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■浅草羽子板市■

暮れの17、18、19日、浅草観音様の境内に江戸時代のままの情景が展開します。
通りから一段高く床を張ったにわか座敷店。飾り立てた羽子板は舞台より、一段といい男振りの役者の顔、顔、顔。
仲見世から宝蔵門(仁王門)、観音堂まで境内いっぱいの人の波でこのときばかりは師走の寒さも和らぐようです。

昔は師走の東京の各所に
羽子板市が立ち、女性たちはひいき役者の当り狂言の羽子板を求めたとのことです。

「市」とは、神社仏閣の縁の日、参詣人の集まる日に、近郷在住の人々が日常生活用品を商うために「市」が立ち、「歳の市」とはその歳の最後の市です。
江戸の歳の市は浅草が最も古く、万治元年(1659年)両国橋が架けられた頃と言われています。

毎年十二月半ばに浅草寺でおこなわれる「羽子板市」がはじまったのは万治二年(一六五九年)。
花鳥風月や殿上人、左義長(悪魔を払う正月の儀式)を描いた羽子板は、江戸時代後期、歌舞伎の興隆とともに、役者絵を押絵を用いて取りつけるようになり、現在にいたっています。

毎年、12月の17日、18日、19日の3日間、台東区の浅草寺 (観音様)の境内で羽子板市が開かれます。
この羽子板市の始まりは、今からおよそ300年以上も前、
江戸時代初期の万治年間(1658〜)ごろだと伝えれてい ます。

江戸時代中頃には、当為全盛を極めた歌舞伎の人気役者 の舞台姿を写した羽子板が市に並べられ、
人々は自分の 贔屓役者の羽子板を競って買い求め大変な人気でした。

現在も「羽子板市」の当日は、浅草の仲見せ通りは大変な人出です。
年の瀬の風物詩として、いつまでも大切にしたい日本人の心に残る行事のひとつです。

資料提供 こうげつ人形


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