森を抜ければ、一面の深緑ーー。
「……」
少年は言葉もなく、その光景を瓶覗の水色瞳で呆然と見ていた。
青い空に白い雲、そして射すような太陽の光。
大地はどこもかしこもが高く育った草に覆われ、背後にも向こうにも視界を縁取るように深い森が続いている。その緑色すべてが少年が故郷で今まで見てきた植物の緑とは彩度が違った。
深く、濃い、…まさに緑色。
「なんて……」
のどが詰まったようにそれ以上言葉も出ず、少年は陽射しの中で汗を拭った。
額に幾筋か張り付いていた金糸のような髪が、時折強く吹く風に揺れる。
……と。
少年の目の前を何かが横切った。
風景に心奪われていた少年は、普段通りの機敏な動きもとれず、ただそれを、目で追った。
『…鳥!? いや…』
彼の前の前を横切り、空へ舞った黒いそれは鳥のように見えた。だが。
「蝶!?」
それは蝶だった。ただし少年の常識ではあり得ない大きさの。模様は彼の知っている蝶のものとはずいぶん違い、色も濃く、そして鮮やかだ。
「はっ、わっ、若! なにがっ、ありましたっ!」
息咳き切ったような叫び声が聞こえ、少年が出た背後の森から、すでに枝の落とされた藪をかき分けて青年が飛び出してきた。彼の茶色い髪はあちこちに枝や木の葉が刺さり、神官用の旅装束は鉤裂きだらけ。顔にも幾筋も蚯蚓腫れがついている。
「いや、私は大事ない。それよりヘルド…いや、ダッシュ、あれを見てくれ…!」
少年は目を細めて、光の中空を舞う蝶を指さした。
そして指をおろした少年はじっと中空に視線を留めている。
ダッシュと呼ばれた青年は、どれどれと手を庇に陽を避けて彼の示す先を見やった。
「蝶、ですか、あれは!? …彼の国では藪や草や木や動物怪物の類どころか、蝶までもがこんなにむやみやたらと大きいのですな。それにあの色彩の破廉恥なこと!若が驚いたお声をあげたのも無理はありません。それに、ああ…蝶の分際で風上に向かって飛ぼうとは…この国の蝶ですな、何とも厚かましい!」
「……ああ、雄々しいな」
ダッシュの言葉の大部分が耳に入っているのかいないのか、少年は魅入られたようにその蝶を見ていた。
「そして、美しい…」
「…私はそうは思いませんな」
ダッシュは彼にしては控えめな声で呟くように言いおいて、己の身なりを整えた。
「若、このような青臭い臭いはもうごめんです。早く街道に出ましょう」
「ん? ああ…すまない。でももう少しだけここにいてはいけないだろうか?
ここの空気は心地よい…これが…本当の異国というものなのだな。サーランドに出たときも、あの陽気の良さと植生の変化には驚いたが…ここは本当に、なんというか…」
「……」
「天国、のようだ」
「教典の風景になぞらえれば、浮かれ者揃いのショーテス辺りが一番それに近しいようですが…私に言わせてもらえれば、こんな天国はあんまりです」
「そうか?」
「ええ、なによりこの、暑さと臭さ!」
世界中の嫌という嫌を寄せ集めたような嫌悪の表情でダッシュが言い切った。
「ダッシュも鎧を脱いだらいいのだ。多少かさばるが、一部なりとも私が持つぞ」
「そんなわけにはまいりません!」
そんな風に意地を張られるのにはもう慣れている、というような苦笑を浮かべ少年は彼方を見た。
「では行こうか」
「彼の国の都、フィルシムへ」
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