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「されどフォークダンス」を信じていた若輩者が、こんなことを考えた。
「たかが・・・、されど・・・」という言い方があるけれど、ここで、フォークダンスを当てはめれば、「たかがフォークダンス、しかし、されどフォークダンス」となる。フォークダンスの楽しさ、奥深さを知ってしまった人は、こう思う方も多いのではないだろうか。学生の時からずっと、GWはほぼ必ずフォークダンスに費やしていた私なんぞは、「されど」以外の何物でもないのかもしれない。しかし、実際には、「されどフォークダンス、しかし、たかがフォークダンス」だと思っているし、そうあるべきだと考えている。
私のこうした考え、感じ方は、おそらく故原田先生の影響が大きいと思う。
「仕事あっての趣味です」
「フォークダンスはとてもよい趣味です」
学生の頃は、当たり前だと受け流していたが、今思い出すと、この言葉に、救われ、かつ、とても勇気付けられるのである。
「フォークダンスは人生を豊かにしてくれるか?」・・・「Yes」
「フォークダンスは自己の可能性を広げてくれるか」・・「Yes」
では、「フォークダンスは、人生で最も大切なものか」・・・。
家族、勉強、仕事、友人・・フォークダンス以上、もしくは同等に大切な物は、いろいろあるはずである。その大切なものがあるからこその、フォークダンスである。そして、その順番や重みは、あくまで個人の領域であって、人によって様々である。当たり前の話である。
こんな至極当たり前の話であるが、それを理解することで、その人のフォークダンスからは、妙なこだわりが消えるようになる。そして、まわりが見えるようになる。さらには「とてもよい趣味」として、その人のフォークダンスは、育っていく。
再度繰り返すと・・「たかがフォークダンス」である。
そう考えられるからこそ、フォークダンスは、より揺ぎ無い、強いものとなっていくに違いない。
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