「見沼田んぼ」は、
JR東日本京浜東北線、武蔵野線、東武野田線、埼玉高速鉄道(地下鉄南北線)
に囲まれた1260haの農地大空間です。
JR土呂駅・さいたま新都心駅・東浦和駅、東武大宮公園駅・大和田駅、埼玉高速鉄道(地下鉄南北線終点)浦和美園駅で下車。
大空間の方向に歩けば、そこに「見沼田んぼ」があります。
「見沼田圃」、「見沼田んぼ」、「見沼たんぼ」と、書き方が定まっていません。
表記の規定もなく、各人は自分の気に入った思い入れの書き方をしているからです。
「見沼田圃」は行政が、「見沼田んぼ」は水田にこだわる人が、「見沼たんぼ」は小学生相手と、まちまちです。
見沼田んぼの概念図
見沼田んぼを語る時、話相手とかみ合わないことが多々あります。
それは、時代と立ち位置が、人それぞれで異なるからです。
見沼田んぼを語る時のあなたはいつの時代の誰ですか。
あなたは今、どの時代にいて、
どこ(田んぼの中? 台地の住宅? 斜面林? 代用水路の中?)に立っていますか。
あなたは農地所有の農民ですか、耕作放棄者ですか、それとも旅人ですか、台地の住民ですか、開発業者ですか。
| 年代 | できごと | 台 地 |
斜 面 林 |
見 沼 代 用 水 西 縁 |
見沼田んぼ | 見 沼 代 用 水 東 縁 |
斜 面 林 |
台 地 |
| 10万年前 | 温暖化による海進 | 樹林 | 樹林 | 樹林 | 海(古東京湾) | 樹林 | 樹林 | 樹林 |
| 〜 | 寒冷化、大噴火など | 深い渓谷 | ||||||
| 6000年前 | 縄文海進 | 海(奥東京湾) | ||||||
| 〜 | 海退 | 泥炭層堆積 | ||||||
| 湿原から沼地へ | 湿原から沼へ | 幕府鷹場 | ||||||
| 1629年 | 関東郡代伊奈忠治が八丁堤を築き、見沼溜井を作る。下流水田の水源とする。 | 畑 | 溜井 | 鷹場 | ||||
| 1727年 | 井沢弥惣兵衛は見沼溜井の水を排水し、水田にした。水源を利根川に求め、見沼代用水を引いてきた。 | 畑 | 開通 | 水田 | 開通 | 鷹場 | ||
| 1955年〜 | 見沼田んぼやその周辺の開発ラッシュ始まる。 | 宅地化 | 畑 | |||||
| 1958年 | 狩野川台風により見沼田んぼと川口など下流地域が水没。 | 宅地化 | 1か月間水没 | 畑 | ||||
| 1965年 | 見沼三原則(見沼田んぼの宅地化は認めない。治水上の観点から開発が抑制された) | 宅地化 | 畑 | |||||
| 〜 | 減反政策、食生活の変化により米(水田)の需要が激減。 | 宅地化 | 宅地化 | 三面舗装 | 畑作転換 | 三面舗装 | 畑 | |
| 1995年 | 「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」制定。農業環境の変化や都市化の一方で、環境保全の意識が飛躍的に高まったことを踏まえ「見沼三原則」に代わる新たな見沼土地利用の基準が策定された。 | 宅地化 | 宅地化 | 三面舗装 | 乾燥化 | 三面舗装 | 埼玉高速鉄道開通 住宅化 |
@歴史
A入門書・ホームページ
B博物館
C公共トイレと共に見沼田んぼを歩く
D田んぼ
E台地の大木・古木
F草花
G生き物を見る。鳴き声
H電車
I公園
J産地直売
K休憩所
L斜面林
| 史跡 | 時代 | 説明 |
| 10万年前は海。 その後、火山が爆発したり氷河期が来たりして陸地になったが、6000年前に再び海。弥生時代から江戸時代にかけて沼となり湿地となり、ついに水田となった。 しかし、最近ではみんな米も食べなくなり、アッというまに水田はなくなり、畑と盛土と放置田へ。 米が倉庫に山積になった結果、政府は減反政策を打ち出して水田を畑にするよう奨励した。昭和50年、見沼田んぼは構造改革事業により田から畑に変わった。周りを取り囲む大宮台地と斜面林は宅地化されてしまった。これからの見沼田んぼの運命はどうなるのだろう? 「見沼田んぼ」は通称であり国土地理院の地図には記載されていない。さいたま市以外の小学生は「見沼たんぼ」を知ることはできない。 地学的には「芝川低地」という。 |
||
| 工事中の第一調節池から出る古東京湾の貝殻 | 10万年前 | 10万年前は地球の温暖期で、関東地方の低地は海だった。これを古東京湾という。 |
| さいたまは坂が多い | 9〜2万年前 | 氷河期となり海退が進み切り立った崖が多くできた。140〜150mもの高低差のある入り組んだ地形となり、さいたまは坂の多い町となった。 |
| 関東ローム層 | 見沼田んぼ周辺の大宮台地は10mほどの台地が取り囲んでいる。斜面林で見かけるむき出しの崖が関東ローム層で、赤土とよばれる。箱根、富士、赤城など火山の大爆発でできた火山灰が酸化したもの。東京軽石層は5万年前の箱根火山の灰と確認されている。 | |
| 奥東京湾の貝塚・土器・丸木舟・人骨 | 6千年前・縄文時代前期〜 | 縄文時代前期に地球は暖かくなり、見沼は再び海となる。これを奥東京湾という。見沼田んぼを囲む台地岸辺に貝塚・土器・丸木舟の遺跡が多数発掘された。女性の頭骸骨(DNAは東南アジア人)、サメや鯨の骨も。見沼田んぼ周辺は首都圏の住宅地であるため、よほどの遺跡でない限り跡地の保存がむつかしい。出土品は県の埋蔵文化センターか県や市の博物館で見ることができる。 |
| 見沼田んぼの下は泥炭 | 4〜2千年前・縄文時代後期・晩期〜 | 再び海が退くと、低地は徐々に埋まり、泥炭層が厚く堆積し池沼となる。見沼たんぼを30cmも掘ると黒い土の間から水が出てくる。ボーリングすると5m程度まで軟らかい泥炭層が続く。どんぐりや胡桃の実や葉っぱも出てくる。縄文時代から、この地が沼沢地・低湿地だった証拠。戦後しばらくは見沼田んぼの土は“燃える土”として重宝された。田んぼが深いため、もみを直播する摘田が行われていた。昭和50年ごろまで、腰や胸まで泥に浸かって大変な苦労をして農作業をした。 |
| 岬や巨木・巨石・沼は八百万の神々だった | 大宮氷川神社は見沼の北部奥辺に建つ武蔵国一宮。男体(大宮氷川神社・須佐之男命)、女体(三室の氷川女体神社・奇稲田姫命)、王子(中川中山神社・須佐之男命と奇稲田姫命の子孫である大物主命)の三社は、見沼の岬にあり、近世まで同格で祀られていた。大宮氷川神社の池も昔の見沼の残りである。 | |
| 氷川女体神社は見沼の南部に突き出た舌状台地に建つ。馬場の斜面林側から歩くと、三室・宮本に石の鳥居が女体様に背を向けて立つ。女体神社はこれより数100m見沼に寄り、見沼に向かって建つ。江戸初期まで大宮氷川神社よりも隆盛だったが見沼が溜池化されると徐々に力が衰えた。田んぼ化、代用水路のコンクリート化、減反政策による水の枯渇化とともに衰退していった。 | ||
| 中山神社は中川の岬にたつ。大宮氷川神社と氷川女体神社を結ぶ直線上にあり、冬至の太陽は女体神社から昇り、夏至の太陽は大宮氷川神社に沈む。今は大宮氷川方面から東を望んでも住宅やマンションが見えるだけ。中山神社の岬からは女体様を拝もうにも、住宅と大きな倉庫が邪魔して見えない。倉庫の前の畑に立てば、鎮守の杜から日が昇る。住宅地や倉庫、畑の木々を取り除き、畑に水を湛え、丸太舟に乗ったつもりで瞑想すると古代の神秘が見えてくる。見沼観察の秘訣は邪魔な風景を取り除いて地形だけを見ることです。 | ||
| 稲荷山古墳の鉄剣 | 471年 | ワカタケル大王の寺(役所)、斯鬼宮(しきのみや)に在りし時、云々の銘文はこの時代のもの。 |
| 古事記・日本書紀 | 712年 | 古事記は天武天皇の企画に基づき元明天皇の詔によって太安万侶が筆録上進した書。日本書紀は720年完成。 |
| 御船祭りと四本竹 | ?〜享保年間 | 享保年間まで、大宮氷川神社と氷川女体神社から船が出て、壮大な舟神事が行われていた。神社から船に乗って見沼を南下し、第1調節池付近の四本竹遺跡で、見沼の主である竜に神酒をさげ、竹を突き刺した。数百年にわたって使われた祭竹が多数発見された。溜井ができる時、御船祭りに代わる祭場をつくった。それが見沼氷川公園に残る磐船祭祭祀遺跡である。 |
| 寿能城跡公園 | 1560年 | 岩槻城・大田氏の出城跡。秀吉に1590年滅ぼされた。大和田公園近くの閑静な住宅地にある。 |
| 江戸幕府を開く | 1603年 | 関東地方の治水・水田開発が急務となる。 |
| 見沼溜井と八丁堤(堤防) | 1629年〜 | 関東郡代・伊那忠治は堤防を築き、大貯水池「見沼溜井」をつくり、下流の農地の水源にした。このやり方を関東流または伊奈流という。下流は恩恵を受けるが上流は水没田などが頻発し弊害がでた。 |
| 沼面に富士が映えた | 溜井の周囲は44km。台地と池が複雑に入りこみ、台地の林から、水上はるかに富士山が見えた。 大宮鷹場での紀州公・徳川頼宣の歌が残っている 「誰も見よ 箕沼の池に影うつる 富士の高嶺に雪の曙」 |
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| 加田屋新田 | 1675年(寛永) | 見沼干拓前に、江戸の町人坂東助右衛門(屋号・加田屋)が開拓。今も昔ながらの水田風景が見られる最も見沼田んぼらしい地域。県道沿いに坂東家の旧家屋(見沼くらっしっく舘)。干拓工事で築かれたのが締切堤で現在の県道。 |
| 円空仏 | 1632〜1695年 | 埼玉の円空仏の半数は見沼の東側・日光御成街道沿いに残っている。 |
| 見沼田んぼ・見沼代用水・見沼中悪水路 | 1727年(享保) | 徳川吉宗の時代、紀州出身の井沢弥惣兵衛は見沼溜井の水を排水し水田にした。排水した溜井の代わりに利根川から代用水をひき、見沼中悪水路に排水した。用水と排水を分離する方式を紀州流という。悪水は排水の意味で、悪水路と呼ばれていた。芝川と呼ばれるようになったのは昭和40年頃から。昭和初年までは清流だったという。 |
| 高沼用水 | 1729年(享保) | 旧与野市の高沼(鴻沼)を干拓した時できた用水。北袋で分水し地下を通って新都心から与野市街地へ流れる。一見するとどぶ川だが、よく見ると見沼代用水よりも生物に優しい作りと風情がある。 |
| 通船堀閘門(こうもん)式運河 | 1731年 | 東西の見沼代用水と芝川を結び、江戸への交通機関にした。3mの高低差があるため水位を調整するための閘門を設けた。パナマ運河より180年前に完成。国の指定史跡。 |
| 磐舟祭祭祀跡(氷川女体神社) | 享保〜幕末 | 水が干上り、田んぼができると御船祭りができなくなった。代わりに女体神社の前に小さな池を作り、祭りを続けたが徳川幕府の終焉とともに祭りも幕を閉じた。 |
| さぎ山 | 享保〜昭和46年 | 野田小、浦和学院高の東側一体がサギの繁殖地として名を馳せた野田のさぎ山。一時3万羽もいたサギも昭和46年の栄巣を最後に途絶えた。田んぼに棲む生物が3万羽の餌をまかなっていた。 |
| 学校給食始まる | 1945年(昭和20年)〜 | 給食にパンがでるようになり食事の洋食化始まる。米から小麦粉へ。 |
| 都市化・乱開発 | 1955年(昭和30年)〜 | 周辺・下流の宅地造成・住宅建設ラッシュ始まる。 |
| 狩野川台風 | 1958年(昭和33年) | 台風による大水害で、見沼田んぼ全域が数日間の冠水し下流の川口市は大半が水没した。見沼田んぼの遊水機能が再認識される。 |
| 見沼三原則 | 1965年 | 見沼田んぼの宅地化は認めない「見沼三原則」が制定され、治水上の観点から開発が抑制された。 |
| 減反政策 | 1970年〜 | 1970年代からはじまった米の強制的な生産調整=強制一律減反。三面舗装で加速した田んぼの乾燥化が、水田の畑への転換でさらに加速した。 |
| 三面舗装 | 1979年〜 | 水の効率的利用を考えるなら、一滴の水も無駄にするべきだはないとの考えに基づいて、素堀からコンクリートに塗り固められた用水路。生物は根絶された。環境共生の時代には肩身が狭くなってきた。 |
| バブル狂乱 | 〜1991年(平成3年) | 規制の弱い場所で農地の買いあさり、乱開発。 |
| バブル崩壊 | バブル経済が崩壊し、見沼田んぼの乱開発は一息ついた。 | |
| 「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」 | 1995年 | 農業環境の変化や都市化の一方で、環境保全の意識が飛躍的に高まったことを踏まえ「見沼三原則」に代わる新たな見沼土地利用の基準が策定された。 |
| 「みむろ物語」 | 井上香都羅著 さきたま出版会刊。 見沼は田んぼになる前、数千年にわたって神の御沼だった。女体神社はなぜ三室(みむろ)にあるのか。夫婦である須佐之男命を祀る大宮氷川神社と奇稲田姫を祀る氷川女体神社が、なぜこれほどまでに差がでてきたのか。女体様の運命は見沼の水とともにあったのである。 |
| 「見沼田んぼを歩く」 | 小林義雄著 農文舘刊。写真家による見沼田んぼ紀行。 |
| 「見沼」その歴史と文化 | 浦和市立郷土博物館刊。写真や地図が豊富。見沼の信仰や溜井、干拓、代用水、通船堀を詳しく記述。白鷺の興亡も詳しい。見沼の歴史と文化を知るには最適の書。 |
| さいたま市「見沼たんぼのホームページ」 | さいたま市と市民活動団体が共同で運営する「見沼たんぼのホームページ」。見沼たんぼの歴史、農業、観光、行政、見沼田んぼにかかわる市民団体の活動等の詳細を掲載している。 |
| 埼玉県土地水政策課「見沼田圃ホームページ」 | 県が所管する土地利用、公有地化、見沼田圃の保全・活用・創造に関する基本方針等を説明している。 |
| 埼玉県立歴史と民俗の博物館 | 大宮公園北にある日本有数の歴史博物館。入口近くに見沼の先史時代から現代までの地層が縦長に展示されており見沼の土地の変遷がわかる。見沼にかかわる縄文土器・板碑・円空仏・民俗等々を体系的に見ることができる。 |
| さいたま市立博物館 | 氷川参道・市立大宮図書館隣。民俗関係の展示など。常備の解説シートは先史時代から現代にいたるまでわかりやすく書かれていて親切。見沼田んぼが分かりやすく展示されている。 |
| さいたま市立浦和博物館 | 私立病院入口。建物は埼玉師範学校の校舎「鳳翔閣」を移築復元しやもの。見沼通船掘の模型、出土品など。 |
| 浦和くらしの博物館民家園 | 第1調整池の北。市内の古い民家などを保存。探鳥会などの拠点。 |
| 旧坂東家住宅見沼くらしっく舘 | 加田屋新田を開墾した坂東家の旧宅。江戸時代の暮らしぶりを見る。自然観察会などの拠点。 |
| みぬま見聞館 | 大宮南部浄化センター内に設けられた見沼田んぼの資料展示場。ビオトープを併設。 |
@「見沼ガイドマップ」
さいたま市内各区役所・出張所などに常備。
発行:埼玉県企画財政部土地水政策課)
〒330−9301さいたま市浦和区高砂3−15−1 TEL048−830−2195
A「見沼たんぼガイドマップ」
発行:見沼たんぼ地域ガイドクラブ
ホームページ:http://minuma-guide-club.com/
E-mail:ino@minuma-guide-club.com
B「見沼田圃の散歩みち」
◆盆栽村と鉄道の風景 ◆芝川土手と斜面林 ◆田園風景と新都心の眺め ◆氷川女体神社と歴史 ◆農と見沼代用水の原風景 ◆見沼通船堀と水 風景
さいたま市各区役所・出張所に常備。
発行:さいたま市都市計画部みどり推進課
ホームページ:http://www.minumatanbo-saitama.jp/
見沼田んぼを歩く時は、トイレの所在場所を頭に入れておきましょう。
●見沼代用水西縁に沿って歩く
| 代用水沿岸のポイント | 最寄駅 | コメント | トイレ |
| 東大宮操車場 | JR東日本 東大宮駅 | 東日本の長距離電車が集結。電車マニア向け。東大宮駅から500m大宮に戻り芝川を跨ぐ橋(JR東北線と並走)から見物する。 | |
| 見沼グリーンセンター | JR東日本 土呂駅 | 公共トイレ | |
| 見晴公園 | 風車、桜、菜の花、東武野田線の田園的電車風景 | 公共トイレ | |
| 大和田緑地公園 | 東武 大和田駅 | トイレ(大宮体育館内) | |
| 見晴公園前菜の花畑 | 東武 大宮公園駅 | 芝川のカワセミも飛来する | |
| 盆栽町 | 盆栽四季の家、漫画会館 | トイレ(四季の家) | |
| 寿能城址 | 岩槻城の支城あと(城主は江戸城を築いた太田道灌の一族) | ||
| 大宮公園 | 氷川神社、埼玉県歴史と民俗の博物館に隣接 | 公共トイレ | |
| 大宮第2公園 | 公共トイレ | ||
| 大宮第3公園 | 公共トイレ | ||
| 自治医大大宮医療センター | 大宮駅発自治医大バス停 | ||
| 合併記念見沼公園 | 自治医大南。2007年11月4日オープン | 公共トイレ | |
| みぬま見聞館(芝川沿い) | 芝川そば大宮南部浄化センターに併設。ビオトープ。 | トイレ(ここから氷川女体神社までは公設のトイレはない!) | |
| 首都高速道路 | JRさいたま新都心駅 | この付近、セントラルパーク(50ヘクタール)予定地。 | |
| 浦和レッズ大原練習場 | 公開練習日は見物が可能。レッズ公式サイト参照 | 公開日はトイレ使用可 | |
| 正樹院橋 | 西高手前の正樹院橋を右折すると西高通りにさいたま生協上木崎店。おにぎり、飲み物を買ってトイレを利用 | (店舗内トイレ) | |
| 浦和西高斜面林 | 落葉広葉樹の斜面林(浦和西高斜面林友の会が保全) | ||
| ヤブカンゾウの土手 | 西高下の土手はヤブカンゾウの繁殖地(NPO法人カンゾウを育てる会が保全) | ||
| 第2産業道路 | 第2産業道路から下流の見沼代用水土手は未舗装。常緑の斜面林、桜並木が続く。 | さいたま市立病院までトイレはない。 | |
| 北宿橋(市立病院) | JRさいたま新都心、北浦和駅までバスが発着 | 北宿橋を右に登ればさいたま市立病院とさいたま市浦和博物館。 | さいたま市立病院と博物館にトイレ |
| 茶房&ギャラリー「やまぼうし」 | 清水橋を上る。店内から見沼田んぼが見渡せる。 | (店内トイレ) | |
| 氷川女体神社 | 鎮守の杜 | 公共トイレ | |
| 見沼氷川公園 | 小学唱歌「案山子」発祥の地 | 公共トイレ | |
| カンゾウの道 | 氷川女体神社から県道浦和越谷線にかけて、梅雨ころはカンゾウ、秋は彼岸花が咲く。(見沼かんぞうの花を咲かせる会、見沼農業と自然を守る会) | ||
| 浦和くらしの博物館民家園(芝川沿い) | 浦和駅行き念仏橋バス停 | 公共トイレ | |
| 芝川第1調整池(工事中) | |||
| 見沼通船堀 | JR東浦和駅 | 西縁に公共トイレ |
●見沼代用水東縁に沿って歩く
| 代用水沿岸のポイント | 最寄駅 | コメント | トイレ |
| 見沼通船堀 | JR東浦和駅 | 東縁の公共トイレは清潔で広い | |
| 木曾呂の富士塚 | 国指定の富士塚 | ||
| 金崎斜面林ふるさとの森 | |||
| 芝川第1調整池(工事中) | |||
| 川口自然公園 | 公共トイレ | ||
| 大崎公園 | 公共トイレ | ||
| 園芸植物園 | |||
| 見沼ヘルシーランド | 市営温泉施設、レストラン | (店内トイレ) | |
| 国昌寺 | (寺のトイレ) | ||
| 緑のトラスト1号地 | |||
| 総持院 | |||
| 代山の屋敷林 | 埼玉高速道路(メトロ地下鉄南北線終点)浦和美園駅 | サッカー専門競技場「埼玉スタジアム2002」から東北自動車道を跨ぐ橋を渡り、屋敷林の茂る小路を鷲神社に至る。 | |
| 鷲神社 | |||
| 見沼自然公園 | 公共トイレ | ||
| さぎ山記念公園 | 公共トイレ | ||
| 桜並木 | |||
| 加田屋新田 | |||
| 見沼弁財天 | |||
| 画廊喫茶「蔵」 | 染谷。明治時代建造の農家の蔵 | (店内トイレ) | |
| 染谷しょうぶ園 | |||
| 大谷ほたるの里 | 西福寺東 | ||
| 見沼弁財天 | |||
| 七里総合公園 | 東武バス宮下駅(北浦和〜岩槻駅) | 公共トイレ |
●利根大堰から川口グリーンセンターへ
| 川口グリーンセンターから見沼代用水東縁にそって利根川大堰に至る62kmのサイクリングロード。 |
●さいたま新都心から氷川神社、盆栽町方面へ
| さいたま新都心駅・一の鳥居から大宮氷川神社までまっすぐ2.4kmの距離。大宮公園、盆栽町を経て、市民の森、見沼緑道方面へ足を伸ばす。 |
| 1260fもある「見沼田んぼ」に田んぼは、わずか6%に減った。我々がご飯やお餅を食べなくなったことも一因である。 流れる水、田植え、餌を啄ばむ水鳥、風にそよぐ蒼い稲、実る黄金色の稲穂、ばった、冬の切り株の残る田んぼ、空と雲と風。作業をする農家の人々。見沼田んぼは水田が一番似合うのに・・・。 |
|
| 加田屋新田 | 最近、休耕田が多くなったが、昔ながらの水田風景が見られる見沼田んぼらしい地域。県道沿いに坂東家の旧家屋(見沼くらっしっく舘)。見沼代用水東縁の桜並木。JR大宮駅から染谷折返場。近くに染谷しょうぶ園、大谷ホタルの里、見沼自然公園、見沼弁財天、万年寺など。 |
| 上山口新田 | NHKBS「おおいニッポン。今日はとことん埼玉県」の中継場所となった。田んぼ・芝川と新都心高層ビルビルのツーショット。冬の富士山はビューポイントの一つ。拠点はさいたま新都心駅から徒歩25分。近くに浦和レッズ練習場、景元寺のシイノキ、浦和西高斜面林、円蔵院の大イチョウ、中山神社など。 |
| 落葉広葉樹林と常緑広葉樹林 | 日本の北方は落葉広葉樹林(アカシデ、クヌギ、ミズキ、ハンノキ)、南方は常緑照葉樹林(スダジイ、シラカシ)が生育する。関東地方は放置しておくと常緑の広葉樹林となる。見沼の斜面林が落葉広葉樹林である理由は、稲作・農業で生きた台地の人々の生活を支えてきたから。落葉で堆肥をつくる、枯れ木を薪にする、堅い木で農具や家具をつくるなど。このため住民は積極的に林を維持・管理してきた。武蔵野の雑木林も落葉広葉樹林で、農民に管理されて生きてきた。 |
| 染谷ふるさとの緑の景観地 | 市営霊園の南側にある林。さいたま市最大の斜面林。緑の景観地。 |
| 染谷地区の林 | 屋敷林や雑木林の中に長屋門を持つ旧家。盆栽村の看板通り数軒の盆栽園など。 |
| さいたま緑のトラスト保存第1号 | 見沼代用水東縁の総寺院から国昌寺にいたる500mほどがコンクリートのない江戸時代そのままの状態で保存されている。背後の斜面林はボランテアによって維持される。東西の代用水路随一の景観地。 |
| 氷川女体神社叢 | ふるさとの森指定。うっそうとした常緑広葉樹(=照葉樹林)の鎮守の杜。100年も自然に任せると関東の雑木林は昼なお暗き森となる。 |
| 鷲神社社叢 | ふるさとの森指定。植木畑の先に里山の風景。 |
| 大和田のムクノキ | 天然記念物。樹齢260〜270年。樹高30m。 |
| 山崎のケヤキ | 大道橋の手前、第二産業道路の中央分離帯にそびえる。樹高30m。 |
| 国昌寺のセンダンボダイジュ | ムクロジ科の落葉高木でその実が数珠にされる。板石塔婆とともに市文化財。 |
| 景元寺のシイノキ | 上杉謙信家臣の屋敷跡。2本の大シイノキは市天然記念物。新都心近くなので中高層マンションが囲みはじめた。樹齢450年。 |
| 砂の大ケヤキ | 砂は東大宮の旧村名。砂の大ケヤキは樹齢600年の市天然記念物。樹高30m。 |
| 染谷のタラヨウ | 染谷常泉寺近く。市の天然記念物。葉の裏に字を書くと黒変するので写経に用いられた。「葉書」の語源。樹齢200年。 |
| 円蔵院のイチョウ | 上山口新田からよく見える。樹齢400年。樹高26m。 |
| 大日堂のシイノキ | 鎌倉時代の創建。見沼干拓時、井沢弥惣兵衛の最初の宿舎。竜の化身に悩まされ万年寺に移った伝説が残っている。シイの大木は市天然記念物。樹齢400年。 |
| ヤブカンゾウ | 代用水東縁トラスト保全1号地付近。最近では代用水西縁の浦和西高下付近もNPO法人カンゾウを育てる会がヤブカンゾウを保護している。昔は初夏になると代用水土手に、ユリに似たオレンジ色の花が代用水縁に咲き乱れていた。万葉集では忘れ草(忘れな草)と詠まれた。 |
| クマガイソウ、イカリソウ | 雑木林や屋敷林に囲まれた御蔵の尾島家敷地。クマガイソウ、イカリソウが自生。5月の2週間のみオープン。見沼では個人の維持管理で自然が保護されていることが多い。 |
| ショウブ | 加田屋新田から台地の雑木林の中にある染谷花しょうぶ園。8000uの敷地に微妙に違う色の菖蒲が咲き乱れる。6月のみオープン。他に大宮第2公園内でも咲く。 |
| ぼたん | 4月下旬〜5月上旬。見沼田んぼを眼下に総持院のボタンをみる。 |
| 桃、ユキヤナギ、レンギョウ、ハナミズキ、その他 いっぱい。 | 見沼田んぼと斜面林上の台地は植木の産地でもある。春になると花木が芽を吹き、一斉に花が咲く。桃源郷の世界。 |
| レンゲ、菜の花、ひまわり | 田んぼのいたるところに。ビューポイントは自分で探す。 |
| 桜 | 桜の時期に田んぼの真ん中に立って周囲を眺めると、見沼代用水に沿った桜並木が春霞の中、はるか彼方に望まれる。 |
| 盆栽 | 大宮公園北にある世界的に有名な盆栽の町。関東大震災後、東京から業者が移転。町並み、桜も見所。染谷にも盆栽村がある。 |
| ホタル | 江戸時代〜昭和初期まで見沼はホタルの名所だった。加田屋新田・西福寺の田んぼ側に大谷ホタルの里、川口自然公園、さいたま市立病院下など。芝川小学校はホタルを放流等、ホタル再生の動きが各地にある。 |
| かわせみ | 芝川や緑のトラスト1号付近の代用水、見沼通船堀などで見かける。芝川の川辺で葦を目隠しに、一日中カメラを構えて隠れているオジサンを見かけたら、邪魔をしないで陰から見学しよう。オジサンの気分がいいと写真集を見せてくれる。オジサンにとっては恍惚のひと時。 |
| しらさぎ | 米の減反前は水田の餌が豊富で数万羽いた。今は数羽単位で見られる。30年前とくらべ、環境がそれだけ激変したということ。 |
| キジ | いたるところで見る。 |
| 冬鳥・渡り鳥 | 芝川、第1調節池、浦和自然公園、大宮第3公園の観察所などポイントは無数。 |
| 探鳥会 | 日本野鳥の会による三室地区定例探鳥会。県生態系協会による川口自然公園起点の探鳥会など各所で頻繁に開かれる。専門家に連れて行ってもらうと「あそこにいます。ここにいます」と忙しい。見沼田んぼには珍鳥はいっぱいいるのに素人には見えないだけ。鳥を見たければ専門家と一緒に歩くに限る。 |
| 鳥のさえずり | 早春の鶯、ひばり、カッコウ、オオヨシキリなどなど。 |
| 見沼田んぼの南部にはJR武蔵野線、北部には東武野田線が走っている。首都圏で、田園の中を走る電車はここしか見られない。夜間、真っ暗な中を走る電車はさながら銀河鉄道の様。さまざまなタイプの電車が見たいなら、見沼最北の栄東高そばの操車場を跨ぐ砂大橋から。 |
| 見沼田んぼ1260fの全域が田園都市公園。JR各線、東武野田線、地下鉄南北線(埼玉高速鉄道)に囲まれて、拠点駅ごとに最寄の公営公園が点在する。 | |
| 見沼通船堀公園 | 八丁堤の土手と通船堀にそって竹林がうっそうと繁る。東西の代用水を結ぶ堤は県道。県道脇には附島女体神社、稲荷社、不動尊、通船堀元締め・鈴木家、水神社、墓地が並ぶ。 |
| 川口自然公園 | 見沼代用水東縁、第一調節池近く。野鳥の観察拠点。 |
| 見沼自然公園 | 北正面に加田屋新田の田園風景、東に見沼代用水東縁沿いの桜と斜面林。南の植木畑の花木が一斉に咲く季節は、百花繚乱・桃源郷の感。東台地にさぎ山記念公園。芝生、湿地と池を回遊し野鳥を見る。 |
| さぎやま記念公園 | 見沼自然公園上の台地にある。かって天然記念物だった野田のさぎ山を記念した公園。芝生が美しい。釣り池。キャンプ場隣接。 |
| 大崎公園 | 子供動物園、広場、釣りのできる池。日曜祭日は遊覧馬車。付近の木傘神社はヤマトタケル伝説が残る。 |
| 市民の森・見沼グリーンセンター | 見沼代用水西縁最北の総合公園。温室、芝生広場、バラ園、リス観察園、園芸指導、農産物直販、講座開催など。 |
| 見晴公園 | 見沼グリーンセンターの南。見沼代用水西縁に風車。芝川付近の畑から見あげると絵になる。 |
| 大宮公園 | 大宮氷川神社の北に隣接。桜、子供動物園 、ボート池。盆栽村至近。 |
| 大宮第2公園 | 梅林、菖蒲園、庭園、テニス、野球場。代用水西縁に万葉の並木道。緑の市民相談所。このあたりの見沼代用水西縁の土手はよく整備されている。さらに見沼緑道へと続く。 |
| 大宮第3公園 | 広大な芝生、野鳥観察の沼と芦原。隣りの芝川は渡り鳥の溜まり場。第2とか第3とか名前が無粋。もっとましな名前つければいいのに。名前より中身のいい公園。 |
| 大和田公園 | プール、テニス場、市営大宮球場、大宮市民体育館。すり鉢のような第7調節池では釣り。東の高台が寿能公園で岩槻城の出城跡。 |
| 大和田緑地公園 | 大和田のムクノキがある緑の公園。 |
| 見沼氷川公園 | 三室宮本・氷川女体神社の下。神社神主家の出身・武笠三の作詞による案山子の碑。田んぼの原風景が詠われたが、付近は水田はなく畑ばかり。東側にハーブ園。 |
| 合併記念見沼公園 | 自治医大南。浦和、大宮、与野市が合併してさいたま市となったのを記念してつくられた3.9ヘクタールの公園(11月4日オープン)。セントラルパーク基本構想では隣接して50ヘクタールの公園がつくられることになっている。 |
| 浦和レッズ大原練習場 | さいたま新都心駅から徒歩20分。練習日はレッズホームページ参照。 |
| 観光農園ではブドウ、ナシ、ジャガイモ等を直販 | 大崎園芸植物園横の直売所では植木を販売 |
| フルーツパーク浦和組合のぶどう狩り | 大宮市緑花木センター植木の直売所 |
| 膝子農友会直売所 コスモス祭り | 市民農園「ふれあい農園」でできた新鮮な野菜を直販 |
| 総持院から加田屋川を渡る田んぼの中。見沼フラワーパーク直販所 | 中川、上山口新田で野菜の直販 |
| 見沼グリーンセンターで野菜の直販 | 見沼代用水東縁沿いで農家のおばさんが自家の特産品を販売 |
| その他多数(さいたま市の「見沼たんぼのホームページ」に詳しい) | |
| ギャラりー蔵 | 加田屋新田方面。染谷の街道筋に立つ明治44年建造の土塀の蔵。1階が喫茶、2階がギャラリー。 |
| 埼玉県身障者障害センター | 上山口新田北。隣の浦和レッズ練習場で練習試を合見物し障害者と健常者交流の場のレストランで一服。プールで泳ぐことも可能。 |
| 盆栽四季の家 | 盆栽町。弁当などを食べる囲炉裏風休憩所。湯沸しなど完備。元大宮氷川神社宮司の居宅なので風情がある。 |
| 陶音 | 宮本、氷川女体神社近く。喫茶とギャラリー。オーナーは植物画の名手。 |
| 見沼ヘルシーランド | 大崎清掃工場の隣。温水プール、大浴場、食堂などの健康ランド。ウオーキング後に汗を流してビールを飲む。 |
| やまぼうし | 馬場の見沼代用水東縁そば、清水橋上。ギャラリーと喫茶。 |
| ラフレさいたま | さいたま新都心の総合健康増進施設。6〜8階に天然温泉クア、温水プール、フィットネス施設。 |
| 田んぼの中で空腹とトイレは最大の敵。トイレは限られた場所にしかない。自動販売機も食堂もなにもない。 | |
| 大和田緑地公園付近の芝川斜面林 | 湧水池や湿地もある。ボランテア活動のもっとも盛んな地区。 |
| 浦和西高とヤブカンゾウ・正樹院付近から北山崎橋までの斜面林と見沼代用水西縁の土手 | 見沼代用水西縁の土手に延々と桜並木が続く。 |
| 三室(大古里)斜面林 | 見沼代用水西縁の代表的な斜面林。 |
| 見沼代用水東縁南部領辻鷲神社周辺斜面林 | 埼玉緑のトラスト第1号としてコンクリート護岸のない景観が見られる。台地の鷲神社にいたる小道は桃源郷。 |
| 見沼代用水東縁見沼自然公園から加田屋新田までの斜面林 | 水田がまとまって残っている。東縁沿いの桜は一見の価値あり。 |
| 田んぼに勝とも劣らないのが回りを囲む斜面林。京浜東北線に近い西縁は都市化の影響で住宅が斜面林を取り崩していまや虫食い状態。それでも見るところはまだまだ残っている。 | |
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