塩の湯温泉「明賀屋本館」

「湯めぐり手形」のスタンプはあと3つ。


ところが最後の難関は塩釜温泉「ホテル塩原ガーデン(HP)」。

 「湯めぐり手形」では「ホテル塩原ガーデン」の入浴可能時間は午後5時から。午後5時からお風呂に入ったのでは、帰るのが大変だ。

ということで、塩の湯温泉「明賀屋本館」に泊まることにする。

 私にとって塩原温泉郷は日帰り圏内。まっすぐ行ったのでは早く着き過ぎる。「芭蕉の里」黒羽に行く。

国道400号で塩原温泉郷へ。


まず門前温泉「山口屋旅館」に行く。

 塩原温泉旅館協同組合(観光協会内)に立ち寄って、翌日の営業時間を確かめておく。今日中に「湯めぐり手形」のスタンプを全部集め、明日印籠を手にしてお風呂に入ってみようと思ったからだ。

次に古町温泉「ホテル深山荘」へ。

 「湯めぐり手形」のスタンプも「ホテル塩原ガーデン」を残すだけ。「ホテル塩原ガーデン」の入浴可能時間は午後5時から。

とりあえず、「明賀屋本館(HP)」へ。

創業延宝2年(1674年)という伝統の宿。

 大正2年6月15日、東洋大学の創設者井上円了は塩原温泉を訪れて福渡温泉「桝屋旅館」に泊まり、17日に明賀屋で入浴している。

 17日 晴れ。福渡より18丁離れたる所に塩泉あり、これを塩の湯と称す。塩釜より渓橋を渡り、小渓をさかのぼること10丁にしてこれに達すべし。旅館は明賀屋を第一とし、これに次ぐものは玉屋、柏屋なり。この日、明賀屋を訪うて入浴す。

「塩原紀行」

若女将が出迎えてくれた。別に私だけを出迎えてくれたわけではないが。

「湯めぐり手形」では「明賀屋本館」のお風呂に入れない。

とりあえず、川岸露天風呂に入る。

 浴場は渓流の岸頭にあり、客楼より梯階を下ること数十段にしてこれに達す。浴場にて渓流を対観するところ、積翠まさに滴らんとし、幽邃実に掬すべくして最も風致あり。

「塩原紀行」

川岸露天風呂は鹿股(かのまた)川の川岸にある。

鹿股川


まだ時間が早いので、誰も入っていないと思ったら、1人だけ入っていた。

浴槽は4つあるので、誰も入っていない浴槽の写真を撮ってみた。


源泉の泉温は69.0℃だが、この浴槽のお湯は適温。

お湯は鼠色に濁っている。

泉質は含炭酸・ホウ酸弱食塩泉(緩和性低張高温泉)。PH5.9。

 「緩和性」とは刺激が弱く疲れがとれる温泉のこと、「低張」とは人間の細胞液より浸透圧の低い温泉。

 湧出量は毎分289.0リットルと豊富。もちろん掛け流しで、お湯はそのまま鹿股川に流れる。

川縁の2つの浴槽は、1つは温く、もう1つは火傷しそうに熱かった。

川岸露天風呂は終日混浴。老夫婦がやって来た。

 いよいよ「ホテル塩原ガーデン」に行くことになるが、その前に「ホテル明賀屋」と「山水荘」のお風呂に入ることにする。

塩釜温泉「ホテル塩原ガーデン」から塩の湯温泉「明賀屋本館」戻る。

夕食後、貸切露天風呂に入る。


貸切露天風呂は狭いので、写真も明るく撮れた。

外は暗くて何も見えない。

貸切露天風呂から再び川岸露天風呂へ。

誰もいなかった。

今度は川縁の2つの浴槽の写真を撮ってみた。


 先ほど手前の浴槽は火傷しそうに熱かったが、今度はやや熱めで、何とか入れた。

大浴場「太古の湯」に入ったが、こちらは何人か入っていた。

朝起きて、再び貸切露天風呂へ。


貸切露天風呂は2つあるので、今度は奥の貸切露天風呂に入ってみる。

同じような浴槽だが、やはり明るい方がいい。

川岸露天風呂は通常混浴なのだが、朝6時から8時までは女性専用。

8時を過ぎてから、みたび川岸露天風呂に行く。

前に若い女性の姿が見える。連れの若い男がいるようだ。

2人は脱衣所の所で何か困っているようだった。

若い女性は「貸切露天風呂はどこですか?」と私に聞いた。

 私は「そんなこと言わずに、一緒に入りましょう。」とは言わず、親切に教えてあげた。

 脱衣所に服が脱いであったから、誰か入っているのかと思ったら、誰も入っていなかった。

おじさんが着替えて掃除をしている。

 「毎日お湯を抜いて掃除をするのですか?」と聞くと、毎日浴槽を2つずつ掃除するということだった。

火傷しそうに熱かった浴槽


手前のホースから水が出て、今日はちょうどいい湯加減だった。

「明賀屋本館」の隣に「柏屋」がある。


 昭和8年9月、高村光太郎と智恵子は東北旅行の最後で「柏屋」に泊まった。塩原温泉には10日以上も滞在したそうだ。塩原温泉は2人が旅した最後の地となった。智恵子の病状が悪化した為である。

「明賀屋本館」の北側に廃屋がある。


廃業した「玉屋旅館」の跡である。

現在は塩釜温泉「ホテル塩原ガーデン」として営業している。

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