飯田家は旧北綱島村の旧家で、代々名主を勤め、荒地の開墾、農業の振興、鶴見川改修などに尽力しました。
屋敷地は東西に長く、南側には小高い山があり、北側はかつて水田でした。主屋の間取りは六ツ間取りで、間仕切りの柱間に差鴨居を入れ中二階とした、明治中期の典型的な造りとなっています。表門は、正面中央が通路、向かって左側に出格子窓が付く門番部屋と納屋があり、右側は穀蔵(高床)となっています。建築年代については、確定する資料はありませんが、部材の風蝕、技法から見て江戸時代後期と推定されます。
当家の屋敷は、建築史的な価値を有する主屋と表門がそろい、その周囲に濠を廻すなど、開拓名主としての土豪的屋敷構えを遺しており、家屋敷全体が貴重な文化財です。
平成七年度に表門の解体修理工事を行った結果、四期の変遷があったことが判明しました。また、濠からの浸水を防ぐため、元の地盤より三〇センチメートル程高さを上げて復原しています。

(左図)「飯田助太夫本宅之図」(銅版画)、「大日本博覧絵」より
「大日本博覧絵」は明治の日本全国の名所を銅版画で描いたもので、商店・会社・工場などの図や個人の大邸宅を掲載しているのが特色です。日本全国を10冊程度でまとめていますが、神奈川県のものは1889(明治22)年に発行されました。その中に上記の銅版画が載っています。
