若者のすべて
ROCCO EI SUOI FRATELLI 180分(日本公開時は140分) 1960年 イタリア=フランス

監督■ルキノ・ヴィスコンティ
製作■ゴッフリード・ロンバルド
原作■ジョヴァンニ・テストーリ『ギゾルファ橋』
原案■ルキノ・ヴィスコンティ/ヴァスコ・プラトリーニ
脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ/パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ/マッシモ・フランチオーザ/エンリコ・メディオーリ
撮影■ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽■ニーノ・ロータ
編集■マリオ・セランドレイ
美術■マリオ・ガルブリア
衣装■ピエロ・トージ
助監督■リナルド・リッチ
製作会社■ティタヌス/フィルム・マルソー
備考■白黒
日本公開■1960年

出演■アラン・ドロン/アニー・ジラルド/レナート・サルヴァトーリ/クラウディア・カルディナーレ/カティーナ・パクシヌー/ロジェ・アンナ/パオロ・ストッパ/スピロス・フォーカス/マックス・カルティエール/ロッコ・ヴィドラッツィ/コラド・パーニ/アレッサンドラ・パナーロ/アドリアーナ・アスティ/シュジー・ドレール/クラウディア・モーリ

ヴェネチア国際映画祭 1960年
審査員特別賞授賞 ルキノ・ヴィスコンティ
国際映画評論家連盟賞授賞 ルキノ・ヴィスコンティ

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 巨匠ヴィスコンティが悠揚迫らぬタッチでつづる、兄弟愛の大ロマンである。
南部で貧窮にあえいでいたパロンディ家は、先に北部の大都市ミラノに出稼ぎに来ていた長兄ヴィンチェを頼って、老いた母と兄弟4人でやって来る(冒頭、広大なミラノ駅をガラス張りの天井越しに眺める俯瞰ショットが小さな母子たちをパンして捉える。大作の予感が充ち満ちる)。長兄には同郷出身の婚約者ジネッタ(カルディナーレ)がいたが、田舎出の彼らに対する風当たりは厳しい。
そして、次兄シモーネ(サルヴァトーリ)が主に登場する第二部へ。彼は三男のロッコ(ドロン)と共にプロ・ボクサーを目指しジムに入ったが、娼婦ナディア(ジラルド)に夢中になり、自らその可能性を潰して、悪の道に陥る。が、そのナディアはロッコを愛し始め、これに憤ったシモーネは仲間と共に、ロッコの目の前で彼女を犯す(まさに圧巻の場面!)。ロッコのお蔭で立ち直りかけていたナディアだが、輪姦に心深く傷つき、再び街娼へと逆戻りした。
そして第三部ロッコ篇。ロッコもまたナディアを諦めた。クリーニング店で地道に働いていたのだが、それも辞め、一家の期待を一身にボクサー稼業へ舞い戻る。一方、シモーネの暮らしは荒れに荒れ、結局、ナディアを誘ったバカンス旅行(豪華な園遊会を開くホテルを前にたたずむ二人が妙に寒々しかったのが記憶に残る)で彼女を殺してしまう(夜、森の池のそばで。これも凄まじいシーン)。ロッコがボクサーに復帰して5年経っていた。いよいよチャンピオンとなった彼を祝っている時、憔悴しきったシモーネが家に帰ってくる。彼にとことん侮辱され、また愛した女を殺されたロッコではあったが、今は何も言わず、泣きながら兄を抱き締めるのだった・・・。

 このネオ・レアリズモの総集編のような壮大な叙事詩を放ってのち、ヴィスコンティは、より典雅で耽美的かつ様式的な、貴族階級を描く独自の世界に没入していくことになる。

総合評価 ☆☆☆☆
この作品を観ると、ヴィスコンティの二面性が見えてくる。一つはネオ・レアリズモの旗手としてのヴィスコンティと、もう一つは耽美主義的な作品を輩出したヴィスコンティ。「夏の嵐」以降に作品に見られる、耽美主義的な側面と、それ以前の作品に見られたリアリズムが見事に融合している。
イタリアの第二次世界大戦後の貧しい家族をリアリティに描くことの恐ろしさ。それを最も顕著に表現していたのは、ロッコ達5人兄弟の母親で有った。それは、お金に執着する姿...その度に背筋に冷たいものが走る。ヴィスコンティは、この母親を通して、イタリアの戦後を描いてみせた。それは、ロッセリーニやデ・シーカの初期の作品に共通するものが有る。 彼らの作品以上に、この作品(と言うかヴィスコンティ)が素晴らしいのは、リアリズムと同時に、そこに出てくる登場人物の描写が実に丹念で、その情念までも画面に映し出されてしまうことだ。
と、同時にロッコ、シモーネとナディアとの三角関係を通して、愛の不毛を描いている。ロッコの聖人のような寛容な心と、シモーネの世俗的な邪悪な心...それに翻弄される一人の女性ナディア。ヴィスコンティの後の作品地獄に堕ちた勇者どもと共通する、自由主義(個人主義)とロマン主義(全体主義)の対峙が、既 にそこに描かれている。
この作品には、イタリアの貧しい生活を描いたリアリズムと同時に、人間に内在する2つの側面を兄弟を通して描いてみせ る。人間の持つ欲望の恐ろしさを見事に描き、それが一つの家族を崩壊へと導く。第二次世界大戦直後という時代が、イタリアの人々、いや庶民の心を、荒廃させた...本当の貧しさ、お金を持たないこと、それ以上に人を愛する心を失う事...いや、愛し方すら忘れた心、そんな思いを強く訴 えかけてきます。

愛の不毛と言えば、ミケランジェロ・アントニーニを思い出す。彼はヴィスコンティの下で映画を学びました。この作品を観ていて、ふと思い出しました。
また、この作品でのアラン・ドロンは、実に生き生きして、清々しい魅力を振りまいていました。「太陽がいっぱい」と並ぶ、彼の名演技でした。

(1999.07 by NOBI)

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