茶屋から筆捨山を
名の通り、古くは鈴鹿の山の麓にあった。慶安3年(1650)
の大洪水で民家は勿論田畑まで壊滅した。このため10町
ほど東の現在地に宿を移転した。
難所鈴鹿峠越えの旅人で賑った。家数に比べ旅籠の数が
多い。
宿場制度廃止後は鉄道が険しい鈴鹿峠を越えられず、
国道もそれたため取り残された。
48・坂下宿(天保14年)
日本橋から108里(約424km)
現代の宿駅 
人口   564人
家数   153軒
旅籠    48軒
本陣     3軒
脇本陣    1軒
宿の長さ


筆捨山
10時10分 <新所>交差点から国道を約700mほど進み、オークワ流通センターの看板のところ、橋の手前で分岐する右の田舎道に入る。左の鈴鹿川沿いを歩き、すぐ小さな市瀬橋を渡り、合流する国道を横断し細い道を250mほど行くと再び国道に出、今度はこれを進む。緩やかな上り道は山間に向かう。途中に隠れるように右に細い山道の角に筆捨山碑 右手に見える山が筆捨山。ここは狩野元信がこの山の景観に惹かれ筆を取るも、激しく変化する天候に筆が追いつかず、ついに筆を投げ捨てたと云われる。広重はこれを誇張して奇岩怪石の山として描いたのが坂下宿の絵。現在山は樹木に覆われて当時の山容を知ることは出来ない。
両側が山の間を通るそぼ降る国道を歩く。沓掛町に入り<まなびの小径>の標識のところで、国道からこの右の道に入る。坂道の入口から左側に3mを越す木柱が数mの間隔を空けずらっと並ぶ、手前から日本橋、品川、川崎、、、、と五十三次宿場名が記されている。この道は東海道自然歩道でもある。
坂を上った公民館は旧小学校。トイレ休憩。11時5分〜15分

まなびの小径

松屋本陣跡

小竹屋脇本陣跡
雨はひどくないのが救い。道は意外や広くなり、上り坂の両側に疎らに民家があるが、人も車の往来もなく生活臭がしない鄙びすぎた町並み。ここが坂下宿跡。集会所のところが松屋本陣跡 そこから大竹屋本陣梅屋本陣、右側斜め向に小竹屋脇本陣 と何れも石碑だけが立つ。法安寺には松屋本陣の門が移築されているのがたった一つ残る遺構。
「坂の下で大竹小竹 宿がとりたや小竹屋に」と鈴鹿馬子唄に唄われた面影は遠い昔のこと、、、今まで訪れた中で一番寂しさが心に染みる宿場でした。
400mほどで国道に出る。この手前右に比較的新しい立派な等身大の老爺と老婆の像が立つ、が説明もなく台座や像の裏にも何も彫られていない。正体不明の立派な像です。
11時35分 ここで午前の部を終え、関宿・旅籠会津屋へ戻り昼食。
13時出発。 国道に出る手前右に岩屋十一面観世音菩薩碑 滝の地蔵と呼ばれる。清滝という小さな滝に旅人の安全を祈願し、高さ18mの岩に石室を造り、阿弥陀如来、十一面観音、延命地蔵の三体が安置。また片山神社に至る道があり、そこにある標識は「旧東海道鈴鹿峠1.5km」とありさらに左国道方向を向いた「片山神社 鈴鹿峠」の標識も一緒にセットされている。この旧道は登り口から手を使わないと登れそうにない山道。雨で滑りやすいので安全な国道からの道を取る。進むと国道は上りと下りに分かれた道路になる。500mほど先で右に入ると片山神社 延喜式神社。鈴鹿大明神、鈴鹿権現と呼ばれ、坂上田村麻呂を助けた鈴鹿御前を権現として祀ったともいわれる。鳥居の奥に長い石段が続く、鳥居前で失礼する。また鳥居のそばに鈴鹿流薙刀発祥の地と一寸傾いた石碑がある。
昔の坂下宿はこのあたりにあった。
東海道は鳥居前から右の急な石畳を進む。苔むした旧道は両側を鈴鹿峠の森に囲まれ只でさえ鬱蒼とするだろうに、雨のためむしろ暗く、一人で歩くなら一寸ひるむだろう。

険しそうな旧道

片山神社

山賊が出た〜!
難所鈴鹿峠
途中に鈴鹿峠説明書が立つ。
鈴鹿峠(378m)を越える官道は「阿須波道」と呼ばれ、平安時代の仁和2年(886)に開通した。八町二十七曲といわれるほど急な曲がり道の連続するこの険しい峠道は、平安時代の今昔物語集に水銀商人が盗賊に襲われた際、飼っていた蜂の大群を呪文をとなえて呼び寄せ山賊を退治したという話や、坂上田村麻呂が立烏帽子という山賊を捕らえたという話など、山賊に関する伝承が多く伝わっており箱根峠に並ぶ難所であった。また鈴鹿峠は、平安時代の歌人西行法師に『鈴鹿山 浮世をよそに ふり捨てて いかになりゆく わが身なるらむ』と詠まれている。
       環境省・三重県

昼なお暗き峠への道


鈴鹿峠標識
この立札の少し先に丸い形の石碑は芭蕉句碑 「ほっしんの初に越ゆる鈴鹿山」並ぶように馬の水飲場 1.5m×1m位の今はコンクリートの貯水場。馬も急坂でこのあたりで喉が渇いたのでしょう。
急坂を200mほど上ると平らな広場のような場所に出る。ここが鈴鹿峠。エッもっと山らしい場所を想定していたので拍子抜け。田村神社旧跡は昔はこの峠にあった。今は土山宿に移っている。旧跡の左奥に鏡岩 硅石の断層によってこすられた露出面につやが出た岩肌で、峠に巣食う盗賊が旅人の姿をこの岩に映して待ち伏せし危害を加えたことから『鬼の姿見』と恐れられた。ビックリしたのは<バス停>標識 こんなとこにバスが来るの!ウソッ!信じられない。
峠なら下りになるが暫く平坦な木立の道抜けると前方が広がり、いつの間にか雨が上り陽がさしこむ茶畑。別世界に飛込んだよう。 

鈴鹿峠のバス停

万人講常夜灯
左に新しい道標。「右滋賀県 近江の国 左三重県 伊勢の国」ここが今も昔も県境。茶畑の中を50mほど下ると大きな万人講常夜灯 270年前四国金毘羅隅の常夜灯の一つとして、伊勢への航海と安全を祈願して建てられた。高さ5.44m 3000人の地元甲賀谷の人たちによる奉仕で建てられた。傘の部分は一枚岩。鈴鹿峠の名物。
13時35分。距離が短いせいか難所と感じない、多分山賊が横行したことで難所のイメージが強かったのではないだろうか、、、
この常夜灯が建つ場所は国道1号鈴鹿トンネルの真上。道を下ると国道は上りと下りがここで1本に合流する。国道を進む。
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