![]() 箱舟の聖母 |
他の幻視者に与えられたメッセージ |
イエズス・キリストによって、彼の秘書たる、 ドクター・<メアリー・ジェーン・イーヴンに語られた 「新しく人の住む世界」 The World Repopulated ( Dr.メアリー・J・イーブン ) | |
| 1993年11月2日 | |
|
|
序
わが甘美なる子供たちよ、あなたたちに希望を与えるため、未来がどのようなものであるかを知る恵みと、洞察を与えるために、平和の統治について話そう。そして、全ての後には、栄光ある、この上ない幸福があるのだということを知りなさい。今の時は、あなたたちにとって非常に困難なものであるが、私は、あなたたちに勇気を与えることを切に願っている。
平和の統治のあいだには、あなたたちが知っている世界は存在しない。詳しく言えば、平和の統治のために永遠の御父によって選ばれた、十二の領土となる土地を包括する、再建された、構造改革された世界が存在する。これらの十二の領域は、すでに地上に存在する陸地より成るのだが、今の全ての国、陸地が、新しい陸地を構成するわけではない。そうではなく、多くの陸地の部分部分同様、主要な聖堂やバシリカがある土地、またわが母が安全地帯として選んだその時から、そこへ避難所として聖なる人々が集まった場所、そのような土地から成るのだ。これらの陸地と、居住用の地域全体を結ぶ、陸の橋(land bridges)が存在するだろう。
それぞれの地域は、司教によって治められる一つの領土となり、それぞれの領土には、地域教会と他の教会を支えることで、共に働く人々の小さな共同体(複数)が存在するだろう。これらの教会は、新しくできた陸地にあるほとんどの共同体においては現在存在する教会であるが、現在存在する全ての教会というわけではない。一般的に言えば、わが母と、わが聖なる櫃を敬う教会は、平和の統治のために救われるが、それも全てというわけではない。
神が、このような偉大な業をなすということを知るとは、一つの驚異ではあるが、神は、私は、そうするのだ。私は世界を巡り、大天罰のあとに残ったもの全てを集める。
パート1
私が、これらの描写、平和の統治に関するこの小冊子や他の小冊子において、何年にもわたって知られてきた預言の断片を寄せ集めて、これらの預言の全体像をあなたたちに示すのだということ知ることは、(あなたたちにとって)興味深いことだ。あなたたちが、もはや、これから起こることに対する答えや、その性質について、憶測をめぐらし続けることのないよう、そうするのだ。あなたがたが、起こることの全てを確実に知るために、そうするのだ。
預言と啓示の全てが起こり、人間の自由意志を越えて天が計画したことは、起きるのだ。天の計画の全体的な性質は、人間の自由意志によって生じた小さな変化を被い、その結果、預言や啓示というものが実現するのだ。
パート2
人間の自由意志によってもたらされる大警告のあとの、地上の状態を知るならば、植物と、人間を含む動物の繁殖というレヴェルまで、地上に生命の活力をもどすことは、常に神の計画であった。すなわち、全てを新しくすることだ。(大警告のあとまでに)世界と人間は、人間の忍耐の能力を超えた苦しみを味わうほどの、大きな苦しみを体験しているので、生き残った者たちは報いを受けるのだ。その報いとは、破壊し瓦礫となることを免れ、植物と動物とが再び存在すべく再生される、一つの天体(地球)だ。人類は、天与の腸物と祝福を悟り、自分たちの叫びを聞き、全ての者の必要を満たしてくれた神に栄光を帰すことだろう。
パート3
地は再び栄え、木々や湖や川は、生気に満ちた果物や食物をもたらすだろう。植物は、年に四回実を結び、気候は一定である。気温も一定で、気候の変化に合わせて衣類を変える必要もない。身体を温めるに必要な、そして資源にとり必要な、過不足の無い気温である。必要以上の成長というものはない。全ては、生き残った者が、最後の日々、最後の時のあとに、私が彼らを呼んだときに、彼らが足を踏み入れる楽園として存在するのだ。
私は、私があなたたちを呼ぶところ、それについて知ってほしいのだ。私は、私が本当にあなたたちを、精神に、心に、体に、そして霊魂に平安をもたらす「平和の統治」に、あなたたちを入れたいのだということを、知ってほしい。そこは、平和で、愛に満ちている。あなたたちは、ずっと私を見て生きるのだから。
最初の日々、あなたたちは、自分が一人ぼっちだと感じるだろう。あなたは、あたりを見回し、だれか生き残った者はいるだろうかと思う。あなたは、家族や友人、あらゆる年齢の者たちのことを考える。彼らは生き残っているだろうかと。生きているだろうかと。
だがわが子供たちよ、あなたたちは決して独りではないのだ。私は常にあなたたちと共にあり、あなたを他の者たちの所へと導くだろう。もしあなたの家族が生き残ったのであれば、あなたは、彼らに会うだろう。もし、彼らが生き残っていなかったなら、私は、あなたに新しい家族と、そこにあなたが住むことになる新しい家を与えよう。怖れることはない。あなたが(いま)一人で住んでおり、(その時も)一人で住むことを願うなら、それはそうなるだろう。あなたが家族の中で、他の者たちと共に住むことを好むなら、それはそうなるだろう。私は、あなたについて、あなたの願いについて知っているので、私が取り計らおう。
あなたたちは、新しい地に入り、そこは見るに美しい所である。あなたたちは、いかなる絶望的な考えにもとらわれず、いかなる病気や傷に見舞われることもなく、精神と心、身体と、霊魂の癒しを見いだすことだろう。
その日、第一日目は、あなたたちにとって大いなる啓示となるだろう。そしてあなたたちは、自分の新しい世界を発見することになるのだ。神自らが、何をどのようにすべきか、いかに存在し、生きていくかについて知るための、照らしと知恵とを与えるであろう。あなたたちは、新しい世界、恐怖も、病気も、心配事も、爆弾も、汚染もない世界に生きるのだから。それは、あなたたちが苦しんだことの全てのために、用意された世界である。
大天罰の前にラプチャー(空中掲挙)された者たちも、目覚め、あなたたちに、現れ出るよう呼びかけるために戻ってくるだろう。彼らもまた、自身を適応させることが必要である。彼らは、天の介入(ラプチャー)によって生き残ったが、再び新しい環境に自分を適応させる必要があるからだ。
人々が、起こったことを理解するのには、いくらか時間がかかるだろう。そしてそれから、食料品や水を見つけるために、そして、いかにして生きるかを見いだすために、家、あるいは隠れ家である場所を見つけることだろう。
パート4
さて、わが愛する子供たちよ、私は、「平和の統治」での最も垂要な要素 − すなわち、天国へ行くための霊魂を再び住まわせるということについて、検討しようと思う。大天罰のあいだ、あらゆる年代の多くの夫婦が共に生き延びるが、しかしまた、多くの夫婦は生き残らない。(ニュー・エラでは)結婚生活を望む若者たちは、そうすることで特別の祝福が与えられ、新婚夫婦として、子供を授かることで祝福されるだろう。そのことは、今と変わりはない − すなわち、若者も大人も、恋に落ち、そして結婚するのだ。彼らの選択が純枠であり、徳のうちに生活し、神の望まれるままに子供が生まれるので、彼らは、その時こそ神に大いなる栄光を帰す。生まれる全ての子供が、神そのものへの贈りものとなるのだ。
結婚した全ての夫婦が子供を産むよう決められているわけではない。全ての母親が、たくさん子供を産むよう決められているわけではない。結婚は、「赤ん坊の工場」ではない。断じて違うのだ。私はそうは言いたくない。これら「平和の統治」に生まれる子供たちは特別で、彼らは神に「平和の統治」の日々の栄光を帰し、天において、神にふさわしい、最大級の崇敬をもたらすのだ。
夫婦にとって、子供をもつ機会を得るということは、その時代の法外な恵みであるのだ。
強い願望があり、また神がそれをふさわしいものとするとき、男女は結婚し、たくさんの子供を持つだろう。年配の女同様、年配の男も結婚するだろう。しかし、全ては神によって統御され、誰一人として、強制的に結婚させらはしないし、また、結婚生活における、純粋かつ慎み深い愛を感じない相手と結婚するということもない。
付け加えれば、全ての男、女が結婚するわけではない。これは、何も彼らが、聖職者や修道女であるというわけではない。そうではないのだ。これらの者たちは、家族を支え、教え、祈りと聖性と徳のうちに生きるのである。
かくのごとくなるであろう、わが子供たちよ。そして、神は、「平和の統治」を(すでに)整えた。
パート5
上述の事について、それぞれの生まれた赤ん坊は、神と人間の前に、特別な恵みを得ることになる人生を生きることになるゆえ、神の栄光を讃えるだろう。それぞれの赤ん坊は、当初から、洗礼の秘蹟において恵みを受けたとき、世界にとっての特別な祝福となるだろう。彼らは、主に仕えるために呼ばれた、この終わりの時に生まれた子供たちに加わり、祈り、犠牲、そして至聖なる三位一体と祝されし神の母への崇敬、崇拝の業を共にするのだ。
パート6
これらの子供たちが成人した時、彼らは今日の若者のような誘惑を感じることなく、その生活を、純粋に神へと集中させるだろう。彼らは聖職者あるいは修道者になるだろうし、また、結婚して子供を産むかもしれないし、あるいは独身でいるかもしれない。しかし、かれらがどのような生活を選んだとしても、その目的、形、内容において、神のものではないというものはほとんど無い。こうして、新しい世代が神に栄光を帰すために、立てられることになるのだ。
大天罰と戦争とで、助かり、孤児となる子供たちもいる。彼らは、養子として家々に引き取られる。孤児院といったものは存在しない。主自らがこれら小さき者たちのために家を探すだろう。だから、老いも若きも、よるべの無い者はいない。全ての者に住む所がある。全ての者が、自分の生活、仕事、祈りをし、全ての者が、神の御旨を行っていると知りつつ、平和であるだろう。
パート7
それは、驚くべき時である。恵みの豊かに溢れる時、求める時である。それは、祈りの生活の時、降る恵みの時である。全ての者が、天の助けを余るほど受ける。
さて、わが子供たちよ、私は、先の小冊子で、天と地の王と元后が、どのようにして「平和の統治」を治めるかについて、明らかにしたと思う。私は、その時の、大いなる腸物を示し、「平和の統治」の達成すべき事々をあなたたちに示した。いま私は、世界のもう一つの面 − その領土と、世界がどのように機能するかについて説明したいと思う。
ある国々や、大陸が、君主(王・女王)によって治められることが神の御旨であったということは、多くの者によって知られているところだ。これらの王や女王たちは、かなり昔に、神によってその地位に付けられたのだ。これらの君主によって統治されてきた国々は、多くの場合その君主たちを退位さることを選択し、あるいは、君主を象徴や名目上の存在として残し、民主制を取り入れた。全ての国がそうなったわけではないが、ほとんどの君主国ではそのようになった。
終わりの時においては、様々な国において、その君主たちや、その子孫たちのことが話題にのぼるようになるだろう。彼らがだれであるかを認め、認知すること、人類にとって必要なためにそうなるなのだ。「平和の統治」において、彼らは、知られ、認められることになるからだ。何世紀にもわたり、神自らが、それら君主やその家族たちに与えてきた名誉(特権)を認めることで、人々は、これらの王や女王に対して特別の名誉と敬意とを与えることだろう。
そうなのだ、わが子供たちよ、「平和の統治」の間には、王や女王、王族や王子が存在することになるのだ。彼らが、いかに上等(fine)な生活をしていようとも、彼らもまた、神とその御母に対してふさわしい敬意を示すだろう。わが子供たちよ、私は、富める者が、彼らが富めるがゆえに生きる、とは言わなかった。そうではない、神の前での彼らの成長の度合い(stature before God)、家族の血統が、彼らを王族としたのだ。そうなのだ、これらの人々(王族)は、彼らが誰であるのか、彼らの一族とはどんなものであったのかということについて、全ての人々の認知を受けて生きることになるのだ。彼らの称号や、その血統を認めるということは、神に栄光を帰すことになる。彼らのこの腸物を与えるために、神が彼らを創造し、そして再び彼らはその腸物を与えられるからである。
パート8
わが子供たちよ、次のこともまた「平和の統治」のあいだでの事である。学問、科学、教育に関する特別な恵みを受けた多くの者が存在する。彼らは、神の目的のために自分の技術を使い、また、王と元后に対して栄光を帰す。栄光の日々に、彼らの多くに自分の役割を告げ、全人類にとって良きことのために、彼らの手助けを願う、一つの計画が私たちにはある。それらの者たちは、人々を助け、人々に仕え、自分たちが住む共同体の生活というものを分かち合うのだ。
このようにわが子供たちよ、あなたたちには、自分たちの文化、学問、教師というものが存在するのだ。しかも、ここでの彼らの働きは、神に栄光を帰すことになるだろう。
パート9
さてここに、あなたたちが神を愛し、神に仕え、そして神と共にあるための一つの計画を神はこさえた。神は、ふさわしく崇拝され、讃えられ、敬われ、愛される世界を作り上げたし、また作りあげるだろう。
父なる神は、聖霊と共に地上をご覧になり、良しとされるだろう。神は、神に栄光を帰すために地球と人間とを創造したのだ。そして、神はふさわしく栄光を受けるだろう。自分たちの受けた栄光をそのまま神、創造主へと返すであろう、そのひとり子とその母が栄光を受けるだろう。
子供たちよ、誰れが神のようでありえようか。愛を、カを、そして、その徳と聖なることと、与える権能とにおける畏怖すべき力を、だれが推し量ることができようか。神は、永遠にわたって、全てのものの栄光であり、誉れであり、力であるのだ。そして私は、私とあなたたちに与えられた全てに対して、わが永遠の御父を讃え、敬い、感謝するのだ。
パート10
まだここに、あなたたちに言うべきことがあるのだ、愛する子供たちよ。私は、至高なる神、そのひとり子である。私は神の永遠のひとり子であり、自分の民と共に住むために人となった、三位一体の第二のペルソナである。あなたたちは、私の民、司祭的な民(a Priestly People)、聖なる民 − 永遠のために用意された民である。
神自身のものとして神によって選ばれるために、あなたたちが有する恵みの視野を、決して失ってはならない。他の者たちにもましてとりわけカトリック教徒は、それに呼ばれた特典にふさわしい生活を送る、大きな、畏怖の念をおこさせるような責任をもつのだ。そのことを決して忘れずに、そのことに従って生きよ。
あなたたちの生活を、神の仕事 − 神から、聖三位一体の神に対する贈りものとしなさい。決して、あなたたちの大いなる特権(privilege)に付け込んではならない。私は決してそういうことはしなかったし、今もしていない。自分自身の功徳につけこんではならない。倣慢であったり、救いを当然のことと思ってもならない。今の、そして「平和の統治」でのあなたの生き方、仕事、祈りは、神があなたたちに求める聖性と徳のレヴェルを絶えず目指さねばならない。一人ひとりが無比の存在であり、それぞれが、自分が呼ばれているものに達する恵みを与えられるのだ。常に、自分自身を完全なものにするために努力しなさい。自分が完壁であるとか、神が自分に相応しいと思うレヴェルに「達した」と思ってはならない。そんなふうに思えば、あなたたちは、高慢と自惚れのうちに行動していることになる。
これは、あなたたちに対して、忠告、警告として言うのだが、この小冊子であなたたちに示す情報が、あなたたちを怠惰にしたり、努力を弱めたりするかもしれない。そうであってはならない。努カの手を抜いては決してならない。おそらく、(あなたがたが祈る)最後の祈りが、あなたたちが信仰の危機や、世間に抵抗できる恵みをもたらすことになる、その祈りであるかもしれないということを、あなたは知らないからである。このことを知り、頑張り通しなさい。
パート11
時を長くせずして、あなたたちは、あなたたちのエラ(時代)の終わりを予測させる、いくつもの大惨事を見ることだろう。実際、それは二年以内のことである。このことを念頭に置いて、私は、あなたたちが、祈りへの専心を一層強固にし、学びと、徳の実践をより一層心掛けてほしい。私は、心を同じくする友人が集まり、神とその母に、祈りと崇敬を捧げることを、皆に願う。もちろんこれ(集まって祈ること)は、イエズスとマリアとヨゼフの意向のため、そしてこの終わりの時の恵みや必要なものを求めて、週一度、あるいは週三度集まって祈るグループによって、最高に果たされうる。あなたたちが祈っているあいだ、私たちに求めなさい。そして、耐え抜くための恵みを私たちに願いなさい。
私はこの小冊子で、「平和の統治」の世界、家族、人々について多くを説明しようとしてきた。読み、信じる全ての者に、恵みが豊かに与えられるだろう。それは、あなたたちに希望をもたらす恵みだ。それは、あなたたちを立ち続けさせる神の恵みなのだ。あなたたちが、祈りのうちに、「平和の統治」で私たちと共にいることを願い、あなたたちの祈りの生活を忍耐をもって貫き通し、聖性と徳においてそ進歩をとげることが、私の祈りである。
今の間に、聖体のうちにある私とともに過ごすため、全ての努カをしなさい。家族について、友だちについて、私に語りかけなさい。高潔であること、慎重であり、忍耐強くあることを私から学びなさい。わが忠告を願い、われを愛し、そして、その恵みの衣で、あなたがたの祈りを聞かれるべく、神の玉座の御前で雨とふらせるわが聖なる母マリアを通して、全てを私に差し出しなさい。神の御旨があなたの望みであるように。神の御旨があなたたちの中に行われるように。
私は証言しよう、わが子供たちよ、これらの聖なる言葉は、私、イエズス・キリスト、永遠かつ愛の父のひとり子のものであり、わが秘書は、私があなたたちのために語った一語一語を、忠実かつ正確に書き記したことを。今、これらの私の言葉を読む者一人ひとりを、特別な恵みをもって祝福する。天地の創造主である永遠なる御父と、わが永遠の父の生ける御言葉である、私、イエズス・キリストの御名と、今の時のためのあらゆる大いなる祝福をあなたたちに与える聖霊との御名によりて。アーメン。
イエズス・キリスト
神のひとり子
神の生ける御言葉
1993年11月2日