
|
相 期 邈 雲 漢 |
永 結 無 情 遊 |
酔 後 各 分 散 |
醒 時 同 交 歓 |
我 舞 影 凌 乱 |
我 歌 月 徘 徊 |
行 楽 須 及 春 |
暫 伴 月 將 影 |
影 徒 随 我 身 |
月 既 不 解 飲 |
対 影 成 三 人 |
挙 盃 邀 明 月 |
独 酌 無 相 親 |
花 間 壱 壺 酒 |
|
今年も杭州寒蘭の季節がやってきました。開花したものからアップして行きます。 |
|
![]() |
展示会案内 多摩蘭遊会杭州寒蘭展(平成23年12月、神代植物公園) |
|
水晶寒蘭はお断り! |
|
|
私が最初に杭州寒蘭に出会ったのは世田谷の国香会展でした。秋の寒蘭展に出展されていたもので、出展者は多分黄さんだったと思います。その花は濃色サラサで濃い墨線と純白の覆輪から、強烈な印象を受けました。このタイプの花は日本の寒蘭には無いものだと直感し、是非一鉢欲しいとは思いましたが、当時は鈴木園芸の存在も知らなかったので入手できませんでした。その後昭和54年に日中国交回復後の貿易自由化に伴い最初の杭州寒蘭の荷が入るというので、三越に買いに行ったのですが既に売り切れ状態で、しなびた蘭が2、3個残っているだけでした。仕方ないので比較的マシな一株を買って作っていましたが、その年の秋に一輪だけ花を付けました。それは青花でしたが、蔡仙素のような花色をしていて、青味がかった地色に白い粉をまぶしたような独特の翠緑色が印象に残っています。 私の杭州寒蘭の原点はこのような出会いにあり、その時の杭州寒蘭の印象は、荒涼とした時雨模様の荒野を連想させるようなインパクトがあり、侘び寂とも異なるもので、果たして“美”という概念の範疇に入るものかもあやしいものでした。 とても“水晶寒蘭”などという薄っぺらな、表面だけかっこうをつけたような言葉で言い表せるものではありません。 中国産の寒蘭については、昭和の初め頃には既にわが国に輸入され、数寄者の間で栽培されていたようです。小原流水の「蘭華譜」には台湾の対岸に当たる浙江省や広東省に産する中国産寒蘭についての記述と、数寄者により命名選抜された「群蜂」という品種に関する解説が見られます。その記事を読む限り、その寒蘭は今我々が謂うところの「杭州寒蘭」であると考えられます。この小原流水によってもたらされた、昭和初期の杭州寒蘭は太平洋戦争で散逸してしまい、残念なことに今に伝わるものは全くありません。 戦後になってからは、中国貿易を営んでいた黄業幹氏(故人)により改めて「杭州寒蘭」として紹介され、暫くの間は国香会を中心とした一部の人達により、僅かずつですが栽培と選抜がなされていました。特に黄さんは多くの名品を選抜し、その幾つかは今も栽培されています。 黄さんが中国から持ち帰った寒蘭を杭州寒蘭と呼んだ云われは、最初に杭州市植物園から贈られたものを持ち帰ったことからだと伝えられていますが、中国との蘭を介した交流の一端に関わった由緒ある呼び名ではないでしょうか。このような歴史的経緯に全く敬意を払わず、自分たちの勝手な都合で呼び名を水晶寒蘭に変えようなどというのは 失礼極まりないことです。 私はこの歴史ある杭州寒蘭という名前が好きですし、国香会展で見た花を自分で探し出そうとして30年以上も杭州寒蘭を作り続けてきたのです。その私にとっての蘭作の歴史まで全て無にしてしまうような行いは、断固として拒否します。
|
|
|
平成22年度杭州寒蘭展示会 (主催:多摩蘭遊会 平成22年12月) |
| 平成22年度杭州寒蘭ギャラリー (平成22年12月30日更新) |