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初めてプラモデルを手にしてから45年余り、
いったい幾つのプラモを作り倒してきたか自分でもよくわかりませんが、
今でももう一回手にしたい「思い出のプラモ」っていうのは結構あるものです。

ここではそれら私の「思い出のプラモ」を振り返ってみます。
中には実際手にしてない(出来なかった)のもあります。
「あぁ、こんなキットあったなぁ」と懐かしんでいただければ嬉しいです。


ジャンル キット名 メーカ名 スケール
車・バイク トヨタ・セリカ バンダイ 1/20
メルセデス300SLR
ウーレンハウトクーペ
レベル 1/24
いすず・117クーペ ヤマダ 1/24
ヤマハ・GT−50ミニトレ レベル 1/12
ミリタリー
タイガーT
タミヤ 1/25
M41ウォーカーブルドッグ
タミヤ 1/35
ドイツ歩兵セット タミヤ 1/35
88mm砲 タミヤ 1/35
自走榴弾砲ヴェスペ タミヤ改造 1/35
97式中戦車 タミヤ 1/35
ヒコーキ デルタダガー レベル 1/72?
1/144ヒコーキ レベル他 1/144
陸軍4式重爆・飛竜 LS 1/75
F104スターファイター 各社
T−38・タロン フジミ 1/72
コンコルド旅客機 ニットウ 1/132
ダグラスDC−7 マルサン 1/125
その他 ロケットサブ イマイ non
サブマリン707
ジュニア
イマイ non
サンダーバード2号&コンテナ イマイ non
サンダーバード5号 イマイ non
サンダーバード秘密基地 イマイ non
ルナ・キャリア イマイ non
シュピーゲル号 マルサン non
ピブリダー イマイ non
魚雷 イマイ non
アポロ宇宙船 レベル 1/48
ポラリス原潜 レベル 1/260

最終更新日:’10.3.30

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トヨタ・セリカ

バンダイ 昭和48年頃? バンダイ20・トヨタ・セリカ 1600GT


  当時出入りしていた鎌倉プラモデルのショウウィンドウに飾ってあった、
淡いクリーム色のセリカが今でも忘れられないですね。
  これは元モデルカーズ編集長のH野氏(当時はモデルアート誌のライター)が作成されたものでした。

  当時あまりクルマには興味の無かった(む)でしたが、どういう経緯でか、
知り合いからこのキットを貰って作りました。
「バンダイの1/20・セリカ」はエンジン付きフルディティールキットで、ドア、ボンネット、トランク開閉の上、
シートはリクライニングするわ、3つのグレードを作り分け出来るように色々な部品が3通り入っているわ、の
デラックスキットでした。エンジンルーム内部もかなり凝っていて、バッテリーケースなんて下半分が透明パーツだったと思います。ドア内側のライトなどもキチンと透明パーツが奢られていたり。なかなか凄いキットでした。
  折角のキットなので、H野氏の作品みたいに作ろうと、当時買ったばかりのレベル・プロスプレーを使い、
吹き付け塗装にチャレンジしました。もちろんボディカラーは”クリームイエロー”です。
しかし、クルマ塗装のセオリーも知らず、限りのある高価なスプレーガスが勿体無いし、で
途中から筆塗りに移行するも上手く塗れなかった記憶があります。ま、当たり前ですね(笑)。
  加えて、あまりにキレイに作られたH野氏の作品を見てしまった後なので、
とてもこんな風には作れないと、途中で投げ出してしまいました。

今ならちゃんと(いや、”少しはマシ”程度かな?)作れるのにな〜(笑)。

(04.4.21 改稿)

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メルセデスベンツ300SLR
ウーレンハウトクーペ

レベル 平成6年


  モデルカーズ誌の作例として作ったキットです。
ドイツレベル製のフル・ディティールキットで、ガルウィングのドアとボンネットが開閉します。
  雑誌の作例用、しかも当時食玩の色塗りが多かった中での久しぶりのクルマのキット、ということで、
気の抜けない工作になりました。

  H野氏の監修の下、正しい考証を反映し、ボディサイドに弁当箱のような巨大なマフラーと
ボンネット上には虫除けシールドを追加しました。そうそう、シート色はキット同梱のデカールは色味が異なるので
使用せず、青系のチェック模様を手書きで再現したりもしましたね。今ならば自作デカールで済ませるところですが。
  ガルウィングのドアは合わせが悪いため、チリ合わせにはそうとう苦労しました。
足りない部分をプラバン細切りで延長してみたり。ドアヒンジは実車とは違う方式でしたので、アルミから削り出して
自作しました。コレは以外に上手くいって気に入っています。
またメインフレームはバードケージとは行かないまでも鋼管フレーム縦横に張り巡らされた複雑なもので、
エンジンやコクピット、トランク下の巨大な燃料タンクや別体ミッションなどを組み込むと
段々”歪み”が出て来て4輪が接地しない、などというトラブルも発生しました。
そもそもシャーシとボディの固定も殆ど点付けみたいなアヤフヤなものでしたし。結局、要所々々に真鍮線のピンを
打ち込み、無理やり固定させる、という手法を取ったりしました。
特徴ある”二つ折れ”のドアストッパーもアルミ薄板で可動式に自作、とまぁかなり苦労させられたキットでした。

  その甲斐あってか、先のモデルカーズ作例アンケートではトップ30内に入りましたので、
ちょっと報われたかなと思います。もっとも、ワイヤホイール編みの巨匠、K田氏の手になるホイールの出来が
素晴らしかったコトが大きいかもしれませんね(笑)。
今後はこのような手の込んだモデリングはちょっと出来ないと思います。
そういう意味でも、オレ的に”記念碑”的なキットになりました。

(05.10.13 改稿)

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いすず・117クーペ

ヤマダ 平成5年 117クーペ(ヤマダ1/24)


  モデルカーズ誌の作例として作ったキットです。

  旧ヤマダのモータライズキットを出来る限りディティールアップせよ、というH野氏の指示の下、
スモークモールドのウィンドウパーツをエンビ絞り出しに置き換え、ダッシュボード&センターコンソールに
始まるインテリア自作、メッキのヘッドライトの透明化等など、(私としては)かなりのハードディティール・アップに
なりました。
  特に苦労したのはインテリアで、後席を含むバスタブと前席は、手持ちキットの中から似た形状の
タミヤ165セリカから流用。特徴あるヘッドレストはプラバン積層で自作。ダッシュボードはプラバン箱組みに
メータリムは洋白線を丸めて…などなど色々工夫したつもりです。
ただ、締め切りとの兼ね合いで前後バンパーとウインカー&テールライトはメッキパーツのまま、ということに
なってしまいました。納品時には、まぁまぁH野氏の評価を頂き一安心したものです。

  もっとも雑誌では隣に並ぶ”ノーマル仕上げ”(あつたゆきお氏製作)と比べても、ほとんど同じような仕上がりに見えてしまい、苦労は報われませんでした(笑)。

(04.4.21 改稿)

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ヤマハ・GT−50ミニトレ

レベル 1/12 昭和54年頃?

  初めて作ったバイクプラモです。

  ’80年代初めのバイクブームの時、このヤマハGT50”ミニトレ”は、当時においても”ちょっと古めのミニバイク”でしたが、当時、FT50(GT50の前身)に乗っていた(む)としては、キット化に大喜びでした。
同じエンジンの兄弟車のGR50と同時発売だったと思いますが、発売後すぐに買いました。当時600円でした。
  何しろ初めての(マトモな)バイクプラモだったので、作り方もよく分からず当然”素組み”で仕上げました。塗装が難しそうな銀塗装のタンクは、模型屋のご主人に塗ってもらうという体たらく振り(笑)。
それでもキチンと完成した姿に満足しておりました。

  因みに「ヤマハGT50」のキットは、レベルとニットー(どちらも1/12スケール)の2種類が発売されました。
レベルが先で1年近く遅れてニットーからも発売されたと記憶しています。
プロポーションはどちらも優劣つけ難いですが、(む)的にはレベルの方が”似ている”と思います。
パッケージに実車写真を使ったり、モールドがシャープなニットー版も魅力あるキットでしたが、肝心のタンク形状がちょっと違う雰囲気に感じたものです。
  ちなみに、GR50のキットは、レベル、ニットーに加え、ユニオンからも発売されました。
ユニオンからも必ずGT50も発売されるに違い無い!と期待していましたが、何故かユニオンからは発売されることなく、後年になってから「GT50レーサー」という改造レーサー仕様が発売されました。
コレはレベルからも発売されたものと同じ仕様で、キットのモールドの様子を見るとレベル版と同じ金型と思われました。そう思ってよくよく見ると、レベルのGR50はユニオンのソレとそっくりでした。
恐らく、レベルのGT50、GR50共、ユニオン(太田精型)製だったのでしょう。

  当時はイマイがスクーターシリーズで気を吐く一方で、タミヤが精密な大型バイクを出し始めてもいましたし、ユニオンも1/15というちょっと小さいバイクシリーズをラインナップしていました(出来もナカナカ良かったです)。今からは考えられない程、バイクプラモが充実していた時期でした。
だからこそGT50のようなミニバイクもキット化されたのでしょうね。

(’03/12/12)
(’10/6/11 画像追加)

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タイガーT

タミヤ 1/25 昭和47年頃


  友達のタナカくんちにあったタミヤの25タイガーを初めて見せてもらったのは、確か小学校3年生の夏。
しかも完成品ではなくて、バラバラになった部品状態だったのですが、そのインパクトたるや凄いものがありました。
何しろデカイ(らしい)し、キャタピラは一個一個つなげる奴だし、ハッチはパカパカ開くし、内部も作られてて、しかもリアモーター前輪駆動のリモコン(これは後から知った)!しかもリモコンコードはコネクタで取り外しできるという!当時2200円というのは小学生の私にはとても買えない値段でしたが。

  欲しかった、すごく欲しかったな〜。当時私が持ってたのは1/35リモコン・ロンメル(ヤクトパンターのことね)で、しかも電池を買うのが惜しくて(同じ金額でプラモ買えるもんね)なかなか走らすことが出来なかったというお寒い状況では、入手の見込みは全くありませんでしたが…。
  結局念願かなって手に入れたのは小5の春。お年玉を貯めて買いました。もう嬉しくて嬉しくてたまらなかったですね。
  キット内容的には凝ってはいますが古いものなので、当時の小学生には調整し切れない部分もあり、リモコン戦車としては、あまり上手く走ってくれなかったような気がします。筆塗り主体では、インテリア色(艶消し白が指定色)を塗るだけでも大変でしたよ。だってモールド色はジャーマングレーだし。
  でも、車体前部につける”スコップ”なんてヘラ部分は金属の成型品だし、”パチッ”と車体に固定する様なんて実車そのまま。只のボールマウントじゃない、本物っぽい動きをする前方機銃とか・・・。プラモ少年を魅了してしまう”力”がこのキットにはありました。

現在の目で見ると、プロポーションや細部のディティールにも問題あるし、内部ディティール再現やハッチ可動などのギミックを楽しみつつ、走らせることも出来るキット、という割り切りが必要なのかも。
  そう納得したのは、30年後にヤフオクで2台目を入手してからの話です(笑)。


(03.11.19 改稿)

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M41ウォーカーブルドッグ

タミヤ 昭和46年頃?

  初めて作ったタミヤの1/35戦車です。

  当時、私にとっての戦車プラモというと、モータライズで走らせて遊ぶもので、
タミヤの1/48ミニタンクシリーズがお気に入りでした。
  そんな時、ひょんなことからミニタンクとそう変わらない値段で、キャタピラがゴムじゃない、
精密なプラ(ポリですね本当は)製の戦車プラモを見つけました。それがM41でした。
  組み立て説明書もなんだか本格的だし、箱絵もカッコイイし、オトナのプラモみたいな印象を受けました。

  これがタミヤの1/35戦車プラモを作り始めるキッカケになり、
だんだん動かして遊ぶものからMMへと興味が移っていくことになります。
そういう意味では(む)的には重要なキットだったかな?と思いますね。

とは言っても、この時点では「リアルなポリ製キャタピラで走る戦車のプラモ」という位置付けで、
”ゼネコン”片手に走らせて遊ぼう!と思って買って貰ったプラモでした。
ところが、どうも上手く走ってくれないんです。走らせるうちにどんどん右に曲がってしまうし、
どうにかするとキャタピラが外れてしまうし・・・。色々調べてみるに、キャタピラを廻す動輪(スプロケットホイール)が
シャフトに対して少〜し歪んで嵌めてあることに気付きました。しかもスプロケットの裏表の歯が微妙にずれているみたいだし。当時のタミヤのキットでは、その辺も考慮に入れて、嵌め込みタボに切り欠きを作ってスプロケットの歯がずれ難くなっていたのですが・・・やはりビミョ〜にずれるんですね。今ならばキャタピラを巻きつけてズレにくくして接着、
なんていう”テクニック”も知っているわけですが。
とにかく、このズレのお陰でキャタピラが外れ易く曲がり易いというコトになっていました。
でも、すでにホイール裏表はガッチリと固着してしまっており、当時の(む)には直す術がありませんでした。
という訳で、このM41では走らせて楽しかった、という記憶がありません。残念!

  そうそう、ランナーを火であぶって作る「伸ばしランナー」を体験したのもこのキットが最初でした。
あれは面白かったなぁ。
  (む)の作った「伸ばしランナー製アンテナ」は、同級生が作ったものよりも
随分太く無骨なものでした。多分おっかなびっくり伸ばしていたせいでしょう。
アレは充分暖めて、一気に伸ばす程細くなりますからねぇ。

(05.10.13 改稿)

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ドイツ歩兵セット

タミヤ 昭和47年頃?


  初めて色を塗った記念すべきプラモです。
使ったカラーはマルサンのプラカラーセット・ミニ。原色が6色(白・黒・黄・赤・青・銀)と溶剤、筆2本だったか?
これで肌色や軍服、靴の色を調合して塗りました。セットには茶色が入っておらず、赤黒黄色から調合したりと、結構苦労したものです(笑)。もちろんツヤ消し剤とかも知らないので、テカテカしてました。今でこそ塗料など湯水のように使いまくっていますが、当時は塗料一本買うのもずいぶん勇気が要ったもので、何とか手持ちの色から作ったものですよね〜。
プラモ自体は、今のタミヤ製品からは考え付かないような、ダルいモールドのフィギュア(とも呼べないような代物)ですが、色塗りの素材としては丁度良かったかもしれませんね。
  キットには小銃を肩に担いで歩くポーズ、MP38サブマシンガンを手に走るポーズ,立て膝で小銃を構えるポーズ、MG34を伏せ撃ちするポーズの4体の歩兵がセットされています。伏せ撃ちポーズのフィギュアは腕が2種類入っており、双眼鏡を覗くポーズにも作れたような気が・・・。双眼鏡を持つ手と双眼鏡、MG34と弾帯がモールドされた弾薬箱が別部品な他はすべて一体モールドという乱暴なキットでした(笑)。それでも同時期のフィギュアキット「ニットウ・コンバット7」とは一線を画すモールドとパッケージング等のキットとしての完成度は素晴らしいものだったと思いますねぇ。

(04.4.20 改稿)

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88mm対戦車砲

タミヤ 昭和47年頃?

  ちょうどタミヤニュースを読み始め「なんだかすごい大砲のプラモが出るらしい」と友達と話をした記憶があります。我々のようなMM世代には忘れられない名キットと言われますが、私もそう思う反面、あんまりスゴイ印象は残ってないんですね。でも良いキットだったし、実際手に入れた時は大興奮しましたけどね。
当時の思い出としては、お年玉を握り締めて近所(といっても自転車で15分もかかる)の模型屋へ毎日通った記憶があります。

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自走榴弾砲ヴェスペ

タミヤ 昭和47年頃?

タミヤニュースの「これだけは作ろう」に2号戦車を改造して自走榴弾砲をつくる記事が載ったのは41号でしたか?(後で調べたら34号でした)
これを見て戦車の改造へ走ったMM小僧が何人居たことでしょう?私もご多分にもれず挑戦しました。難物は砲身先端のマズルブレーキで、ロンメル(ヤクトパンターですね)の砲身を流用とありまして、クラスの友達を拝み倒してもらった記憶があります(しかし、今思えばよくくれたものです)。
一応カタチにはなりましたが、プラバン工作の難しさと楽しさを知りました。
後日、新生MMシリーズから発売になったのは、嬉しかったですね(買ってないですけどね)。

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97式中戦車

タミヤ 昭和50年

タミヤ最初の日本軍戦車キットです。
  当時はミリタリーミニチュアシリーズも油の乗り切った時期でもあり、満を待して発表されました。発表になったのが昭和50年10月頃で、発売が12月。当時高校受験を控えていた私は、それを買うことをガマンして勉強してました(かなぁ?)受験が終わったその日に買いに走り、早速作り上げた思い出のキットでもあります。
  当時は筆塗り一辺倒でしたから(エアが勿体無くて独戦車の迷彩塗装にしか使っていませんでしたから(笑))複雑な雲型迷彩と黄色いラインも全て筆塗り、しかも専用色が無いのでパッケージのカラーサンプルを見て全部自作するハメになりました。
ドライバー用のクラッペと機銃手ハッチは得意のピンバイス工作で可動にしましたが、コマンダーズハッチはヒンジの薄さが災いして可動に作れなかったのが残念です。それでも、それまで受験で作れなかった欲求不満を晴らすべく、入魂の出来になりましたとさ。


(05.10.13 改稿)

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ロケットサブ

イマイ 昭和44年頃?

昔は潜水艦のプラモって沢山ありましたね。
当然、動力を仕込み実際に航行させて遊ぶためのプラモです。動力はモーターライズだったりゼンマイ駆動だったりゴム紐だったり。(む)の場合は、お風呂で良く遊んだものです。池や川(こっそりプール?)のような広広したところで遊びたかったのはヤマヤマでしたが、水遊びは危険だし、万が一潜ったまま戻らなかったら泣くに泣けないですから、そういう蛮行には及べませんでしたねぇ。

  んで「ロケットサブ」です。この特攻兵器”回天”のようなメカ、「ロケットサブ」はイマイオリジナルの特殊潜航艇?です。
  メイン動力は当時最も普通だった”ゴム動力”で、壁にあたると両舷のハッチがパカッと開いて、これまたゴム動力のミニ魚雷が後ろ向きに発射されるという、凝ったメカが売りでした。
  モールドはボディと主要部分が青、内部パーツや魚雷が黄、スクリューが赤(これはアテになりませんが)の3色モールドだったと思います。当時の水物プラモにお決まりの「マブチ・水中モーター」も取り付け可能だったかと。

  この”ミニ魚雷”の組み立てが結構曲者で、本体が太目の鉛筆程度の太さで左右割りでした。これに輪ゴムの動力を仕込んだスクリュー軸を挟みつつ、しかもスクリュー軸にはワッシャー代わりの傘型金具を2枚挟み込みつつ、隙間が開かないようにピッタリと接着するムツカシさ(笑)!今なら何と言うコトの無い工作ですが、当時、小3?の(む)にとっては結構な難易度でしたよ。結局、ミニ魚雷に上手く動力を仕込むことが出来ず(しかも2本とも)、実際の走行時にハッチが開いても魚雷がプカァと浮くだけでしたが(笑)。もっとも、仮にミニ魚雷がちゃんと作れても、この魚雷のゴムを巻いた上で本体の魚雷ベイに巧く仕込むことが出来たのでしょうか?コレは今でも自信がないな。きっと片方を仕込んでいるうちに、もう片方の魚雷のペラが空回りしてしまいそうな気がします。と言って、出来なかったことを妄想しても仕方無いですね(笑)。それでも「今ならちゃんと作って遊べるのになぁ。もちろんお風呂で!」という妄想は抱いている(む)なのでありました。
イマイ亡き後のアオシマから、コソっと再販してくれないでしょうかね?


(05.6.16 改稿)

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サブマリン707
ジュニア潜航艇

イマイ 昭和42年頃?

  イマイの水物シリーズで一番好きなプラモが、この「ジュニア潜航艇」です。
マンガのサブマリン707は当時少年サンデー(たしか)に連載されていましたが、私がそれらの登場メカのカッコ良さを知ったのは、マンガからではなくて、このイマイのプラモからでした。しかも主役の707潜水艦では無く、このジュニア潜航艇の方がお気に入りでした。変な奴ぅ。

  私が作ったことがあるのは50円キャラメル箱のA級と、ちょい大きなB級です。C級はお店では見たことがありません。ただ一度だけ親戚の家で壊れかけたのを見たことが…。
  キットは3色カラー成形で色を塗らなくても、かなりイイ感じに仕上がります。A,B級はゴム動力による潜航以外はギミック無し。あぁB級は自動浮沈したかもしれません。C級はモーター動力による自動浮沈とサーチライト点灯が売りだったと記憶しています。ただし、このC級、防水に無理がある欠陥キットだったそうで、あまり市場にも出回らなかったそうな。少なくとも当時の(む)が行くような駄菓子屋とか雑貨屋の店先で見ることはありませんでしたね。
今でも欲しいC級!・・・です。

  以前、イマイの方に聞いたところ、これらサブマリン707シリーズは金型が無いそうで、再版は望めないそうです
(って、今やイマイ自体無くなってしまいましたが)。
  う〜ん欲しい!!タスクフォースから新金型で出ないかなぁ?
・・・とか思ってたら出ましたね!(’00年4月)
しかも嬉しいゴム動力!オフロで遊ぶべく買いました!!出来ればもう二周りくらい大きいと嬉しかったけど…。

・・・って「もう二周りも大きなモデル」は、その後「ウィングクラブ」から1/24スケール?の完成品で発売されました。ン万円もする高級スケールモデルですがね。イイ世の中になったものですね。


(05.6.16 改稿)

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シュピーゲル号
(キャプテンウルトラ)

マルサン 昭和42年頃?

  キャプテンウルトラの主役メカです。
  空飛ぶタタミ(笑い)みたいなメカなんですが、3機が分離合体する、という当時としては斬新なカッコ良さがありました。
  こいつは近所のお兄さんが持っていて、ゼンマイ動力(いやモータライズだったかも)、実機同様3機の分離合体が出来るという素晴らしいキットでありました。
しかもニクイことに、モールドままの銀色のボディに赤いラインだけは塗装で入れてありました。
  当然私も相当に欲しかったのですが、近くのお店には売っていませんでした。
当時は模型専門店等近所に無く、文房具屋とか薬局とかの片隅にプラモが積んであるってのが一般的でした。
だからボクらが知ってたプラモの種類ってのは、それらが全てだった訳です。

  さてそんな私にもシュピーゲル号を買って貰えそうなチャンスが巡って来たのです。
それは東京の大丸デパート(今もありますね)のおもちゃ売り場でのこと。
年に何回かしかない”お出掛け”の日だったので、いつもとはちがう、ちょっと豪華なプラモを買ってもらおうと思ってました。
そこで見つけたマルサン・シュピーゲル号。
でも450円(確かその位)は当時小1くらいだった私には、余りに高価でした。
”欲しい”の一言が言い出せないまま、色々逡巡した挙げ句、買ってもらったのは、同じマルサンのDC-7(200円)でありました。
(このDC−7がまた難物キットで、機体前後に延びる長いデカールが上手く貼れずに泣きました(笑))

その後、テレビを見る度に、やっぱり無理してでも買ってもらえばヨカッタと後悔する私でありました。

(注:画像のシュピーゲル号はマルサンのキットではありません。何処かのガレージキットのものです)
(08.7.2 画像追加)

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サンダーバード2号
&コンテナ

イマイ 昭和44年頃

  サンダーバード2号は当時の小学生(男子)の誰もが一度くらい作ったことがあるプラモでしょう。
イマイのその後の運命を定めてしまったプラモでもありますね。
ゼンマイ動力、コンテナー切り離し、エレベータカー格納、折畳みのジャッキとギミック満載の素晴らしいプラモでした。
ただジャッキの折畳み機構が弱く、接着、乾燥が待ちきれない(む)は生乾きのまま遊んでしまい、すぐに駄目になってしまいましたが。

  後からラインナップされたコンテナは、これまた子供心をくすぐるものでした。
各コンテナ毎に3つのミニメカが内蔵された子供心を擽るものでしたねぇ。
でもドラマの本編に出てこないメカも随分入っていて、ちょっと納得できなかったですけどね(笑)。
いつかは2号本体に全部のコンテナを揃えたい!と思っていましたが、それが叶ったのは「model plastics'60」誌上でした。

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サンダーバード秘密基地

イマイ 昭和45年頃


  当時子供たちの誰もが作ったであろうサンダーバードシリーズの最高峰キットが「サンダーバード秘密基地」です。
当時2千円を超えたこのキットは、相当な金持ちお坊ちゃんの類でないと買ってもらえない夢のキットでありました。
勿論私もご多分に漏れず、せいぜい5号(それでも当時500円もしましたが)止まりでしたから、「買ってくれ」とも言えませんでしたね。
このキットがどんなに素晴らしいギミック(仕掛けのことです)に彩られていたかは、皆さんよくご存知なので、ここではいちいち語りません。
当時の思い出としては、クラスでも大嫌いな奴がコレを持ってまして、しかも全然巧く作ってない!それがなんと悔しかったことか…。
それだけが当時の思い出かな?はぁ悲しい。

モデルカーズ誌の「郷愁堂本舗」で、これを組む機会がありまして、当時の悔しさを晴らすべく、一生懸命作りました(笑)。
今でも勿論!”欲しいプラモ”の一つです。

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サンダーバード5号

イマイ 昭和44年頃

  同じくサンダーバードシリーズです。当時500円(間違い、本当は上の画像のように600円でした)もするプラモをオフクロが買ってくれた(確かクリスマスプレゼント)のが驚きで非常に嬉しかった記憶があります。
  5号は宇宙ステーションですから、ゼンマイで走るとか、ミサイルを打ち出すとかの派手なアクションは無いのですが、モーターを使用して地球型のスタンドの上をユックリと旋回しつつアンテナが回転、さらにパイロットランプが点滅するという、ドラマさながらのアクションを盛り込んだキットでした。また、同寸の3号もセットされており、ドッキングシーンを再現できるというおまけ付きの子供ゴコロを捕らえて離さないようなキットでありました。この辺は当時のイマイの素晴らしさだと思いますね。
当時動くプラモといえばゼンマイ動力かゴム動力がせいぜいで、モーターライズはまだ出来ず(モーターは高いので買ってもらえなかったという理由もある)、豆球の点灯だけを組み込んで満足していたように思います。
後の再販ではこれらのギミックが省略されてしまい、当時の無念を今も晴らすことが出来ないのが残念ですね〜。今年のホビーショウ、合同作品展で、見事にこれらのギミックを再現した作品を見ました。嬉しかったですね。いつか(む)も作ってやろ!

画像更新:’09.9.23(初版箱だそうです)

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謎の円盤UFO・ルナキャリアー

イマイ 昭和46年頃?

  サンダーバードと同じITCのSFドラマ、「謎の円盤UFO」に登場するメカニクスです。
月基地との連絡用宇宙艇を大気圏内で収容するための母船と宇宙艇のプラモで、
宇宙艇と母船のドッキング以外に、コレといった凝ったギミック(例えばミサイル発射とか長い着陸脚を複雑に折りたためるとか・・・)が
なかったので、コドモ心にイマイチアピールせず買いませんでした。
  今思うと、ドラマ中でも最も現実味のあるリアルな設定のメカで、ITCらしい造形でしたので買わなかったのが悔やまれます。
実は同じシリーズの「スカイダイバー」を買ってしまった(当時450円もした)からなのですが、今まで再販されることもなく現在に至っています。
何でも金型が壊れてしまい再生産が出来ないからだとか。尚更非常に残念ですね。

  数年前にレジン製のガレージキットをある方から頂くコトが出来、この焦燥感が薄らいだのは幸せです。

(03.11.19 改稿)
(08.7.30 画像追加)

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マイティジャック・ピブリダー

イマイ 昭和46年頃?

マイティジャックというのは、円谷プロが制作した空想科学ドラマでして、
謎の組織Q(たしか)と戦う巨大空中戦艦(なんとアナクロな表現なんでしょ)マイティジャック号の活躍を描いたドラマです。
マイティジャック号に搭載されていた小型戦闘機がピブリダーです。
イマイのキャラ物プラモとしては後期のもので、外付けゼンマイボックスによる走行、ミサイル発射と、
お決まりのギミックが仕込まれていますが、プロップのミニチュアとして見てもかなり良いセンいっていました。
  キャノピーが小さなツメではまっているので、組立て後からも取り外し自由で、パイロットフィギュアの出し入れが出来たりと、
子供には嬉しいギミックでした。
フィギュアのサイズから想像すると1/48相当のスケールだったかと思います。
これは作ったことがあって、散々遊び倒して最後は何処かにいってしまった訳なんですが、
先鋭的なスタイルがとても気に入っていて好きなプラモでした。

  昨年(’00年夏頃)小さい方を再販したみたいですが入手できませんでした。残念〜!
  …と思っていたら、今年(’02/2)になって御殿場のプラモ屋で売れ残りを発見!
ピブリダー&ハイドロジェットを入手しました。
もう一つの方(エキゾスカウト&ミニ・マイティジャック)も買っときゃよかった!

(’08.7.14 画像追加)

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魚雷

イマイ 昭和42〜3年頃?

  ”魚雷”っていうと、何かそのままって感じですが、まさにその通りの魚雷のキットです。
イマイの50円シリーズの一つで、1箱に2本の魚雷が入っていて、お徳な感じがしました。

  当時イマイのキャラ物キットは、同じアイテムの値段違いが3種類あるのが普通でした。
サブマリンシリーズなどではA,B,C級というネーミングで区別していましたが、
50円のクラスというのは、A級にあたるもっとも安い価格帯のキットで、
ギミックなども”飛ぶ”(スプリングなどで)だけ、”走る”(これはフリクションが多い)だけ、
という単機能のキットが多かったと思います。
  この魚雷に関しては、50円クラスだけでした。
同じシリーズには、他にサブマリンのジュニア潜航艇とか、イマイオリジナルの怪獣とか、
海底少年マリン?のP1−0号(お〜懐かしい!)などの水物キットがありましたねー。

  キットはゴム動力で全長は10〜12cmくらい、2重反転スクリューだったような気がしますが、これはちょっとアテになりません。
おそらくスクリュー回転と同時に本体が逆回転してしまうのをそう感じたのかも。
あるいは動力で回るスクリューと、本体側に固定されたプロペラが付いていたのかもしれません。
子供の記憶であいまいですが、初めて作ったものと、後からのものとでは
仕様が変わっていたような気がします。
(その後、ある方からメールを頂き、確かに”2重反転スクリュー”だったことが確認できました。
  情報ありがとうございました)

  実際お風呂で走らすと、なかなかリアルに走るんですよ。
本物の魚雷よりもずいぶん太くて短い形でしたが…。

  あとで知ったことですが、この魚雷のキット、実は”007サンダーボール作戦”に出てくる”水中戦車”のキットに付属する”水爆”を別キットに仕立てたものだそう。
そのせいで、B級やC級にあたる"魚雷”は無かったのですね。なるほどなーと思いました。

(’10.6.11 画像追加)

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デルタダガー

レベル 1/72くらい? 昭和42年頃?

  当時の私はジェット機にはあまり興味がなかった筈なんですが、これはクリスマスだかお年玉だかで貰ったプラモのヒトツです。
  箱は当時のレベルの紙張りの堅い箱で、箱のトップは飛行中のイラストだったと思います。
キット自体は薄い水色で成形され、結構バリが目立つものでしたが、普通は絶対に買ってもらえない高級キットに興奮したものです。

  当時はプラモのヒコーキと言えば脚が引き込み、キャノピーは開閉し、モノによっては爆弾まで投下出来るという、”オール可動”が全盛でした。このキットも勿論のこと、レベルの技術の粋を尽くした可動機構がテンコ盛り状態でして、お子チャマだった私も、そのメカにはシビレておりました。もちろん、ちゃんと作ることが出来ず、全ての箇所が可動する様は想像の域を出ないのではありますが…。
  まず、キャノピーの開閉と脚の引き込みが連動し、各動翼、エアブレーキが可動、胴体下面のミサイル・ベイも開閉、ドアにはミサイルが2基格納されておりました。特に気に入っていたのが、キャノピーと脚の連動機構でした。前輪と主車輪、キャノピーが連動して開閉するんですね。

  このキットは90年代の始め頃に、レベルの「ヒストリックメーカーシリーズ」としてパッケージ変えされた復刻版が出たと思います。
結構高価な価格設定(多分5〜6千円くらいした)だったので、買わず仕舞いだったのが惜しまれます。
(どうもこれは(む)の思い違いのようです。復刻はされていないようです(’09.2.5追記)
最近では、「マスターモデラーズ」誌の何号かに、このキットが紹介されていました。

  その後ヤフオクなどでも探していますが、非常にレアである上に人気の高いキットですので、稀に出品されても数万円になってしまうようです。
とても手が出ませんね。

★その後、ヤフオクで左のキットを入手できました。長年の夢が叶って嬉しかったですよ!


(03.11.19 改稿)
(08.7.2 画像追加)

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1/144ヒコーキ

レベル,イマイ,LS,クラウン,ミツワ等 1/144 昭和49年頃?

1/144というとちょうど手のひらサイズでしょうか?いわゆるミニスケールですが、
今また現用機と旅客機中心のシリーズが各社から出ているようですね。
(む)がハマっていた昭和49年当時は大戦機が中心でした。

  最初に出たのはレベルのキャラメル箱のもので、ラインナップは日本陸海軍機が各々4機ずつでした。
その後に米英独機がそろい、全部で24機のシリーズになりました。
  日本機は全くの新規オリジナルキットで、プロポーションはちょっと”?”なものも多かったですが、
主要な機体が一通り揃う魅力あるシリーズでした。
  続いて出た米英独のシリーズは、同社の1/72シリーズをそのまま縮小したようなキットで、
日本機に較べるとラフなモールドでしたが、組み立てるとなかなか雰囲気のあるものが多かったと思います。
  最初4個箱詰めのアソートセットで販売され、その後バラ売りもされたと思います。1機80円だったでしょうか?
最近、ドイツレベルのブランドから箱絵もそのままに1個500円で再販されたのには驚きました。
それは米英独機中心のようでしたが、日本機の金型なんかは何処にいったのでしょうね。

  次に発売されたのが、イマイの双発日本機のシリーズでアイテムと豊富なアクセサリーが驚きのキットでした。
ラインナップは99双軽,月光,屠龍,百式司偵などなど、1/72でもまともなキットが無いようなものもあって嬉しかったですね。
キャノピーや脚カバーが妙にブ厚かったりしましたが、繊細なスジ彫りが施され、プロポーションもなかなかだったし、
部隊マーク等もちゃんと入っているシッカリしたスケールキットでした。
しかもオマケとしてサポート車両や土嚢が付いていたり(大した出来では無いですけどね)と、なかなか良いキットでした。
  このシリーズは、その後大型日本機のラインナップが出され、殆どの旧日本軍大型爆撃機が揃うなど、シリーズが充実しました。
大型機のキットには同スケールのフィギュアや高射砲、サーチライトなどの魅力的なアクセサリーが付属していました。
これらのアクセサリーだけを集めたアクセサリーキットもありました。

  そうこうするうちにクラウンやミツワなどからも既存のシリーズの穴を埋めるように1/144のキットが出てきました。
P51Dマスタング,アベンジャー,ヘルダイバー,零式三座水偵等ナド…出来はともかく魅力的なアイテムが沢山ありました。
  特にクラウンには単発機以外にも各国の双発爆撃機などもありました。
B−25,B−26、B−17,B−24やB−29,アブロ・ランカスターなどの大型爆撃機、
JU88,Ju111などのドイツ機などもあり、なかなかのものでしたねー。
出来具合にはけっこうなバラツキがありましたけど。
  このクラウンのキット達は、今は韓国アカデミーから一部が出ています。
パッケージ等も新規のものですが、実は日本生まれのキットなんですね。

  後発のLSからも天山艦攻、流星など先発メーカーの隙間を埋める素晴らしいキットが出ていました。
これはすごくイイキットでした。2機1箱で100円、モールド,プロポーションなども素晴らしい逸品でした。
アリイあたりが再販してくれないかな?と期待しています(その後、アリイから再販されました)。

  私と言えば、当時はミリタリー小僧だったはずですが、元来小スケールのチマチマしたものが好きだったので、
このスケールのヒコーキ達を随分集めました。
  ラインナップに触発されてか、コレクションが昂じてか、とうとう割り箸やカマボコ板を胴体にプラバンで翼を作った自作を始めてしまい、
特に戦間機を十数機作りました。これは入り浸っていた模型屋(鎌倉プラモデル・鎌倉市)でもけっこう受けましたね。


(08.6.25 改稿)

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四式重爆”飛竜”

LS 1/75 昭和45年頃?

  今は亡きLSの名キットです。
1/75というハンパスケールですが、当時小学生だった(む)にとっては、オール可動の「遊べるプラモデル」として評価が高かったです。
可動箇所は各動翼、主車輪、回転銃座、機首及び尾部銃、爆弾倉扉(しかもスライド式)と多岐に渡りました。
同じLSからは他にも零戦各型,隼、彗星なども出ていて、これらも可動部が多くて楽しいキットでした。

当時の(む)にとっては、プラモデルはアソビの道具でしたから、いろんなギミックが沢山あるキット=良いキットという評価でした。
「飾って楽しむプラモ(=ディスプレイモデル)は大人のもの」という考えに支配されてましたね。
これらのキットは、今でもアリイから発売されていて入手可能なのは、ありがたいことです。

(08.7.2 画像追加)

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F104・スターファイター

各社 昭和42年頃?

  昔から、F104(通称”マルヨン”)スターファイターが好きでした。
初めて手にしたマルヨンのキットは、もう箱絵も定かではないのですが、100円のノンスケールもの(1/100程度の大きさ?)だったかと。
今思えばニットーあたりかな?何だか暗めの銀モールドであまり精度の高く無い駄玩的な雰囲気のキットでした。
まぁ、それは兎も角、これでマルヨンなる機体を知ったわけです。
  次は親戚からお土産に頂いた(?)1/72クラス(たぶん)のオールメッキのキット。
当時はオールメッキ=デラックスキットということで、随分嬉しかったような記憶があります。
メーカーは何処かな?インストの雰囲気からフジミとかハセガワとかかなーという気がしますが、当時オールメッキでマルヨン出していたのか定かではありません。
オールメッキに加えて日本,西ドイツ,カナダ(本当か?),スイス(んー?)等の各国用のデカールが付属していて、
なんだかスゴク豪華な感じがしましたね。
しかも使う分より余る分が多いなんて!なんだか勿体無くて、いらん所に貼り付けたと思いますね。考証無視ですな(笑)。

  兎に角、ミサイルに翼を付けただけのような精悍なマルヨンのスタイルが大好きでした。
特にT字形の尾翼とか、尖がった機首とか、そして主脚の取り付け方が普通の機体とは違う!
主翼下に格納される主脚が胴体からナナメに伸びてるとこなんかに、かな〜りシビレていたワケです。
でもプラモではこの脚の接着がネックなんですね。
昔のキットはどれもイモ付けか、良くても貧弱なタボで取り付ける仕組みなんで、接着を完全にしないとすぐ取れたり曲がったり…。
上手く作れた試しがないなー。今なら金属線のアシを入れたり出来るから何でも無い工作なんですけれど。

今、ハセガワから1/48の良いキットがでてますね。
今作るとしたら、このキットを使って映画「ライトスタッフ」のラストシーンに出てくる”NASAのマルヨン”を作ってみたいですね。
ジュラルミンの肌がビカビカに光ってカッコイイことカッコイイこと!!
総メタルック貼りで是非作ってみたいキットです。

(画像は東京シャープのF−104だそう。(む)には覚えの無いキットですが、こういう古いものもあったということで)


(05.6.16 改稿)
(10.6.11 画像追加)

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ノースロップT−38・タロン

フジミ 1/72 昭和42〜3年頃?

  初めて「ディスプレイ・モデル」を意識したキットということで一言。

  このキット、田舎から上京してきた親戚のオジサンがお土産に買ってきてくれたものです。
  複座練習機の割と地味目な機体で、当時としては珍しく可動部は何処にもなし。
キャノピーも開かなきゃ、タイヤすら回らない。コドモ心にもツマランキットだなぁと思いましたが、
反面、コレこそ”飾って楽しむオトナのプラモ”だ!と妙に感心して慎重に作りました。
  キットは白い成型色のカッチリとしたモールドで、機体に対して大きめな複座キャノピーが美しくモールドされていて、
ミサイルや爆弾などの装備品は少なくて寂しいものの、なかなか精密なキットだな、と思いました。
  でも完成すると、やっぱり手に取って遊びたくなるのも人情で、何度か離着陸シミュレーション(笑)を繰り返しているうちに
繊細なモールドの前脚がタイヤの上からポッキリと・・・。
  これが「初めて作ったディスプレイキット」の哀れな顛末でありました(爆)。

  しかし、当時1/50サイズだったと信じて疑わなかったのですが、今回調べてみると意外や意外、フジミのキットは1/72でありました。そうだよなぁ、1/50(1/48)サイズのジェット機といったら、結構大きいですもんねぇ。これもコドモ時代の勘違いの一つですね。(’03/11/25)

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アポロ宇宙船

レベル 1/48 昭和45〜6年頃? レベル48 アポロ宇宙船

   アポロ宇宙船による月探査が話題になり、プラモが続々と発売されたのは何時頃のことでしょうか?
11号が月面に降り立って(’69年)以降、70〜71年頃がピークだったと思います。モノグラムやレベル(本国製の輸入キット)の巨大なサターン5型ロケットや、精密な指令船&着陸船のプラモが話題になりました。イマイやタミヤ、アオシマといった国内メーカーも競ってこのメカニクスをプラモ化していたと思います。

  そんな”アポロ・ブーム”の最中、レベル1/48の「指令船&着陸船」セット(もちろん輸入物)を頂いたことがありました。当時は存在すら知らなかったアメリカ製の豪華キットです。当時の(む)は周囲のオトナ達の間では”プラモデル大好き小僧”で通っていましたので、機会あるごとに数多のプラモを頂いたものです。が、このキットを頂いた時の驚きや嬉しさといったら、それはもう凄いものがありました。コーフンの絶頂でありましたね。あぁ懐かしい(笑)。

  このキット、完成して組み上げると全高60cm以上にもなる巨大なもので、サターンロケットの3段目の半分から上の部分を精密に再現したスケールモデルです。上から緊急脱出ロケット、指令船、機械船、着陸船、着陸船格納部から成る”取り外し可能”な5つのパートから成り、指令船のハッチ、機械船のメンテナンスパネル、着陸船の4本の脚、格納部の4枚のドア(チューリップのように開きます!)などが可動します。機械船内部の酸素タンクや機器類も一部再現されていました。

  さてココで実際のアポロ月探査ミッションの話です。
サターンロケットが大気圏外に無事に脱出すると、まず指令船の先端にある「緊急脱出ロケット」が分離されます。
その後、地球軌道上でロケット3段目を切り離し、内部に格納された着陸船を指令船先端に再ドッキングして引っ張り出し、
着陸船の脚を展張し、月に向かいます。
月軌道上で着陸船が司令船より切り離され、月面へ降り立ちます。
月から飛び立つのは着陸船の上半分のみで、地球軌道に戻ってからは指令船だけが大気圏に再突入して帰還します。
  このような地球軌道上から月面着陸、大気圏突入までの一連のミッションが、このキットでシミュレーションできるのです!
さすがに指令船のパラシュートまでは部品化されていませんが、
月面着陸シーンを再現するための”月面”ベースや、月に降り立った宇宙服姿のフィギュアも入っています。
加えて組み立て説明書には、キットを使ってミッションを解説するページが附属していました。
もちろん英語表記なので全く読めませんでしたが、イラストを見る限りそういうコトが書いてあるのだろうナァと想像は出来ましたね。
何にせよ、当時の(む)にとっては何とも凄いキットでした。

  モールド色は当然白でした。塗装しなくても実機の雰囲気が十分味わえるキットでした。
  後年のアポロ13号の事故を伝えるNHK報道番組では、このキットを使って解説していたのを覚えています。
同じ物を持っている、という誇らしい気分と共に、キレイに彩色された機械船内部などが写ると、ちょっと羨ましい複雑な気分だったような覚えがあります(笑)。

  後年、レベルの復刻シリーズ「ヒストリックメーカー」で復刻されました(’90年代初め?)が、当時6千円程もする高価なキットで、とても手が出せませんでしたねぇ。あ〜でもなんだか欲しくなってきましたよ(爆)。

 (’04/4/16)
 (画像追加 ’09/8/27)

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コンコルド旅客機

ニットウ 1/132 昭和45年頃?

   ヒコーキは(む)の大好きなプラモのカテゴリーの一つですが、”旅客機”は余り興味の湧かない機種でした。今までに旅客機のプラモというと、それこそ2〜3個しか作った事がありません。
  昭和43年当時の(む)は”ギミック至上主義”なコドモでしたので、ヒコーキキットといえども「脚の折り畳み」や「キャノピー開閉」は当たり前、と考えてました。なのに何故「コンコルド」だったのか?
  今思うに、ニットウの「コンコルド」は、機体の美しさも然ることながら、ボックスアートと(透明部品の)成型色の美しさに惹かれて買ってしまったキットだったと思います。

  そのキットと出合ったのは、逗子駅前のスーパー「キング」。日用品が並ぶ3Fフロアには、1間程の棚の上下にプラモが並んでおりました。母に連れられて出かける時は、必ず立ち寄って何かしらのプラモを買ってもらうのが当時の(む)の最大の楽しみでもありました。当時の駅前スーパーにどのようなアイテムが並んでいたのか、殆ど覚えていないのですが、タミヤの宇宙探検車(モーターライズ・名前失念)とか、マルサンの100円「ウルトラホーク1号」とかは確かに並んでましたね。
  ある日立ち寄ったプラモ棚に、一際大きな薄べったい箱のヒコーキプラモが目に止まりました。箱絵はコンコルドの三面図をリアルに彩色したようなシャレた物だったのが印象的でした。思わず手にとり中を見ると、割と大柄な主翼と大きな3角形のスタンドが目に入りました。しかもスタンドに始まる一連の透明部品は全てクリアのダークブルーでモールドされていました。これには痺れてしまいました。パーツ割りや箱絵を見ると、大きさの割には簡単な構成で、(む)にも十分組み立てられそうです。このスケールだと着陸脚の折り畳みは無理だけど「コンコルド」の特徴でもある”機首の折り曲げ”は再現されていそう、とフと思いました。そう思うと、もう居ても立ってもおられず、階下で買い物をしている母にねだって買ってもらいました。確か250〜300円だったかと記憶しています。誕生日やクリスマスのような”ハレの日”以外に買ってもらえるプラモとしては、ギリギリ上限の値段ですねぇ(笑)。

  喜色満面で家に帰り、早速組み立てました。楽しみにしていた”機首折り曲げギミック”は、予想に反して固定式でした、というか飛行姿勢のみのモールドで、着陸時には出来ない物だったかと。組み立ててみると、以外に大味なキットで、クリアブルーのキャノピーはむしろリアルさをスポイルする感じだし。難しい機体側面のストライプ等の機体マークはステッカーで貼り易い反面、トイっぽい仕上がりのものでした。着陸脚やコクピットなどアッサリしたもので精密とは程遠い出来映え。当時の(む)にもアッ!という間に完成させられるような簡単なキットでしたねぇ。300円もしたのにナァ・・・。ま、それにしてもやっぱり箱絵と箱の大きさで衝動買いしたのは失敗だったなぁ〜と、ちょっと敗北感に打ちひしがれたのでありました(笑)。  
(’04/4/16)
 (画像追加 ’08/7/2)

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ポラリス原潜(ジョージ・ワシントン)

レベル 1/260 昭和46年頃

   当時グンゼ・レベルから国内販売していた潜水艦のプラモデルです。
このキットを知ったのは、昭和48年版のグンゼレベルのカタログで見たのが最初だったのですが、実はそれ以前に出会いがありました。

  それは昭和46年頃の横浜高島屋でのこと。時期はクリスマス前後の話です。
  当時も真性プラモ小僧だった私は、クリスマスプレゼントは当然プラモ!と決めており、オフクロと共に横浜まで出張ったのでありました。
で、散々悩んだ挙句に選んだのは「タミヤ48・M60」と「岐阜城」でありました。(岐阜城のメーカー失念。今は童友社から出てます)
お城のプラモってのは案外好きなジャンルでしたが、何故「岐阜城」?
普通、有名で見映えもする「姫路城」とか「大阪城」とかにするだろ?と思いますがね(笑)。
恐らくは予算の関係と、小山を模したディスプレイの上下に建物が点在するレイアウトがちょっと気に入ったのか、とも思います。

  まぁソレは良いのですが、そのプラモ漁りの最中に見かけたのがこの「ポラリス潜水艦」のプラモだったのです。
当時価格1200円の、当時としてはデラックスキットだったワケで、当然のことながら予算外です。
なので手にとることもなかったのですが、丁度品出し中のキット群の中にあったソレは、オレ的には凄いオーラを発していたように感じました。
パッケージサイドしか見えなかったのですが、どうもインテリア再現らしい、ということは分りました。
原子力潜水艦の内部構造ってどんなんだろう?と足りないアタマに想像を巡らしたと思います。
・・・というワケで、出会いというにはとても些細なものなのですが、記憶には深く残ることになりました。

  その後、先のレベル・プラモカタログで再会することになるのですが、実際、高島屋で見たソレがレベルのキットである確証はありません。
箱絵は似ていましたが、日本語表記はされていなかったようにも思えるし・・・。まぁイイでしょう。
この手のキットは、国内で普通に買えたのはレベルのそれが唯一だと思いますが、実際はレーンウォール等からも数種類出ていたようです。
本家アメリカではレーンウォールのキットの方が有名なのかも?
発売は1950年台の後半と思いますが、その内部構造再現の余りの精密さに、「軍事機密の漏洩ではないのか?」とアメリカ議会で論争になったと聞きます。
その後も発売され続けている処を見ると、実際の構造とは違う架空のものである、ということでお咎め無しになったのでしょうが。
プラモデルの出来について議会で問題になるとは、随分大袈裟な話ですね。ま、それほど話題になったということで。

   レベルのカタログで見て以来、いずれは手に入れて作ってみたいなぁ、と思い願っていましたが、最近とうとう手に入れることが出来ました。
例に依ってヤフオクで見つけたものです。
内部再現の原潜のプラモは、本国物を筆頭にかなりの高値になるのが常ですが、
最近の”ヤフオク冷え”の状況にあっては、私でも手に入れることが出来るようになりました。有り難いことです。
キットの内容は、流石に1960年代の油の乗った頃のレベル製品だけあって、モールドといい再現度といい、申し分無しです。

これでまた一つ、昔欲しかった数多のプラモのうちの”欠けたピース”が一つ埋まりました。
(その後、'08年末にドイツレベルブランド?で再販されました。価格は7千円位したと思います)




  (’08/6/25)

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ダグラス・DC−7(日本航空)

マルサン 1/125 昭和40年頃?

   ヒコーキは(む)の大好きなプラモのカテゴリーの一つですが、”旅客機”は余り興味の湧かない機種でした。今までに旅客機のプラモというと、それこそ2〜3個しか作った事がありません。

  そのキットと出合ったのは、昭和41〜2年頃の東京八重洲口・大丸百貨店でした。年に何回かあるお出掛けの時で、こういうイベントのときには出先でプラモデルを買って貰える!という楽しみもありました。いや、むしろお出掛け自体よりもそちらへの期待が大きかったですね(笑)。
  実はこの時、目星を付けていたキットがありました。それはマルサンのシュピーゲル号という特撮ドラマに登場する宇宙機でした。
ただ値段も450円位する高級キットでしたので、当時の(む)にはとても買って貰えそうにない物でした。
仕方なく本命は諦めて、色々逡巡した挙句に手にしたのがこのキットでした。未だに何故旅客機のプラモが欲しいと思ったのか判りませんが。

  このキット、特に凝ったギミックがあるワケでもなく、左右の客席窓などに透明パーツが奢られているワケでもなく、せいぜい4つあるプロペラが廻る位の実にアッサリとした物でした。
なので、組立自体には特に問題無く、すぐに出来上がってしまいました。
  そしていよいよ完成間近になってプラモ小僧(しかもまだ初心者)の(む)の前に立ちはだかるのは
”長大なストライプデカールの貼り付け”という難関でありました。
当時の旅客機にお約束のマーキングです。これを完遂させなければ完成とは言えません。

  当時のキットにも既にデカールが用意されていました。当時は「水転写シール」とか「水シール」とか「デキアール」とか、標記は様々でしたねぇ。で、台紙の裏には詳細に「貼り方」が書いてあるワケですが、この貼り方がメーカー毎に色々と違うものでした。
当時知っていた”(む)的デカール貼りの方法”とは・・・
「台紙を水に漬けたら、デカールが台紙から剥がれて浮き上がるので、それまでまで待つ。浮き上がったデカールを指ですくってキットに貼る」というものでした。
う〜ん、間違っとる(笑)!
  マルサンのデカール台紙には、もっと詳細な正しい貼り方が記載されていたのかもしれませんが、当時の(む)はそんな説明は読まなくても知ってる!とばかり無視していたと思います。
  早速、適当な皿に水を張り、当時としては大判のデカールをそのまま全部水に浸しました!
当時はマーク毎に切って(出来ればニス部分も切り取って)個々に水に浸してから貼る、というテクニック(というか常識)は知らなかったものですから(苦笑)。
  待つこと数分、台紙からデカールが剥がれ始めます。小さいものは表面に浮かんできたりします。
それをすくい上げてキットに載せるワケですが、薄い皮膜であるデカールが、その形のまま水からすくい上げられるワケがありません。
ご想像の通り、すくい上げる指にくっ付いてしまったり、長い物は折れ曲がったり二つ折りにくっ付いたり、と大変なコトになってしまいます。
キット表面に載せても、グニャグニャと折れ曲がってしまい位置決めも難しい。強く引張ると千切れてしまったり。
台紙から剥がれるまで待っているので、当然のことながらデカールの糊も解けてしまって貼り付く力が弱くなっているワケですね。
しかも当時はティッシュなんてものは無いですから、デカールもキット表面も水浸し状態で、なかなか定着しません。
そうこうしているうちにキットから剥がれて、また指に付いたり何処かに行ってしまったり・・・。
悪戦苦闘すること数十分、とうとう癇癪を起こして投げ出してしまいました。まぁ子供でしたから無理もありません。
後に残ったのは、ストライプの無い妙に白っぽい飛行機のプラモでありました(笑)。

・・・というワケで、このキットはデカール貼りの難しさを思い知らされたプラモ、ということになりました。
今ならもうちょっとはマシに作れると思うんですがねぇ・・・。


(’10/3/30)

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