唐津くんち見聞録 平成17年11月3日(木)
11月3日(金)すばらしい秋晴れの中を、玄界灘に向き合う美しい城下街、佐賀県の唐津を訪ねた。
<唐津城から唐津市街を臨む>

唐津出身で、日本におけるスローフ
ード運動の先駆者で著名なジャーナ
リスト金丸弘美さんの実家におじゃ
ましたのだ。
唐津は「唐津くんち」や「唐津焼
き」で前から知ってはいたが、実際
に訪れるのははじめてのことであった。
11月3日は、2日の「宵山」3日
の「お旅所神幸」4日の町内巡行と続く、まさに「くんち」の真ん中の日である。
金丸さんによると、唐津くんちは江戸末期から明治にかけて作られた十四基もの曳山もさることながら、その本
当の醍醐味は「くんち料理」にあるのだという。毎年写真のような豪華な料理をならべて、訪ねてくる友人や仕事
関係の人々をもてなす。50人から100人、多い場合には300人もの人をもてなすのだという。そのために
「くんち貯金」というものまであるとのこと。行きの飛行機の中で金丸さんの本を読みながら、旅館でもそれだけ
の支度をするのはたいへんなことだろうに個人の家で本当に
そんなことができるのだろうかと半信半疑であった。
しかし行ってみてその思いは
一挙に覆された。まさに次か
ら次へと、群馬から、茨城か
ら、伊賀から、大分から、北
九州から、そして我々のよう
に埼玉からと、それこそ日本
全国から様々な人々が訪ねて
くる。この交友関係の幅の広さ
は、日本全国を飛び回って活躍している金丸弘美さんならではのものではあるだろうが、驚くべき人数だ。しかも、
写真のように一つ一つの料理が手をかけたすばらしいものばかりときている。おそらく、このために大変な時間と労
力をかけてひたすら準備にあたってきたであろう金丸家一族の女性達が、次から次へと訪ねてくる人々を、当然のこ
とのように見事に手際よく裁いていく。おそらく、神に感謝し、人に感謝し、その人との出会いに感謝し、それこそ
1年間の全力をかけてこ心からもてなそうという唐津の人々の心と、その圧倒的な伝統の力に感動し、おそらく唐津
は、かつて唐の国との貿易で栄えた本当に豊かな城下町だったのだろう、などと勝手に想像しながらながら「くんち
料理」を堪能したのであった。
しこたま「くんち料理」を堪能した後に、いよいよ曳山(山車)見物をということで、金丸家で偶然いっしょにな
った人たちとでかけることになった。いずれも、各地でしっかりとした自分の世界を持ち、地に足のついた活動をし
てるすばらしい人ばかりである。金丸さんに言わせると、こういったすばらしい人々との出会いやコミュニケーショ
ンも唐津くんちの醍醐味なのだということだろう。
曳山はかつて15基あったが1基は火事で焼けて、いまでは14基だとのこと。それぞれが江戸時代の末期から明
治初期にかけて、和紙の一閑張りの張り子に漆を塗り込んだ巨大なもので、重さは2トンから4トンほどもあるとのこ
と。それを各町々で1年間守り続け、この「くんち」の日に一斉に各町のプライドをかけて引き出し、町中をねり歩
くのである。特に3日は14基全ての曳山が唐津の浜に勢揃いする「御旅所神幸(おたびしょしんこう)」がある。
15時から、14基の曳山が順番に各町を練り歩くために浜から引き出される「浜出し」が始まる。ちょうどこの「浜
出し」を見ることができた。何トンもの曳山を浜から引き出すのは容易なことではないが、「えんや!えんや!」と
<唐津神社参道のにぎわい> <御旅所神幸・浜出し>

いう威勢のよいかけ声とともに一斉に力の限り引っ張る。かなりの時間がかかるが勇壮なものである。
各曳山の華麗さもさることながら、最も驚かされたのはそれぞれの曳山の曳き子の人数の多さである。どの地方の
祭りも、曳き手担ぎ手の不足から、外部の「プロ」の曳き手、担ぎ手を雇っている現状の中で、唐津くんちの曳き手
は、お囃子の少年達から始まり、前方を曳く子供達も多ければ、中心となって曳く青年達の数がびっくりするほど多
いのである。そして、その曳山全体の運営指揮に当たっていると思われる壮年、老年の方々も含めて実に表情がいい。
この華麗な曳山を管理運営しているのはそれぞれが小さな町のはずなのに、なぜこんなに多くの人間が集まれるのか、
驚くばかりである。
唐津の人々の、唐津を愛し「くんち」にかける思いの強さ、そしてそのために、町をあげ世代を超えた組織が健在
でなければ、これだけの豪華華麗な曳山を守り続けることは不可能であるし、ましてや、これだけの人が関わり集ま
ることは不可能であると思う。
さいたまから遠い唐津の地で、すでに日本では失われつつある「生まれ育った郷土の、風土と人を愛する心意気」
に触れて、大きな元気をもらった気がする。
翌日は、玄界灘に面する唐津の浜に幅約500メートル長さ5キロにわたって黒松の林が展開する名勝「虹ノ松原」
を鏡山の上から見物して、改めて美しい唐津を満喫して帰途についたのであった。
<鏡山から「虹ノ松原」市街地方面を臨む>
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