Ec-chan's Note

Ec-chanは投稿魔。1995年から思いついたことや観戦した試合について、『ワールドサッカーダイジェスト』にメモがわりに投稿しています。掲載されたもののなかから、いくつかを選んでみました。ロベルト・バッジョ→イングランド代表(これは今も現役)→ガイスカ・メンディエタというEc-chanのお気に入り遍歴とサッカーに対する考え方がよくおわかりいただけると思います。

◆1995年8月
ロビーの移籍先がやっと決まりました。本人が「日本行きもある」と爆弾発言し、一時は心配しましたが、イタリアに残ることになってホッとしています。彼の将来を考えれば、絶対にイタリアを離れるべきではありません。
わたしはミーハー・バッジーナなので、95-96シーズンはユベントスからミランに乗り換えることになるのですが、これって生粋のミラニスタさんやユベンティーノさんにとっては、軽薄な行為なんでしょうね。でも、好きな選手を追いかけるのもサッカーを楽しむひとつの方法ですから、どうか許してください。むしろ、わたしはユベンティーノさんの心境を思うと複雑です。部屋には必ず彼のポスターが飾られていると思いますが、それはやっぱり剥がされてしまうのでしょうか。
フィレンツェのバールには、いまでもロビーの写真が飾られていると聞きました。そんな風にロビーがユベンティーノさんの心にも残っていてほしいと思います。一昨シーズンまでのユーベを引っぱってきたのは、他ならぬキャプテン、R・バッジョなのですから。
そしてミラニスタのみなさん、ロビーの幸福はすなわちミランの幸福です。バッジーナはミラニスタ以上にミランの幸福を願ってやみません。ああ、こんなことならチャンピオンズ・カップのミランをもっと真剣に応援するんだった。
◆1995年10月
否定的観測と激励を込めた観測。R・バッジョに対する最近のメディアの論調は完全に二派に分かれています。
前者は心配性のバッジーナの不安をいたずらにあおります。実際、序盤戦を終えたいま、ミランのロビーが機能しているとはいえません。もし、今後も合わないようだったら…。しもし、昨シーズンのユーベのように、ロビーの故障中にミランが勝ちつづけたら…。考えたくはないけれど、ロビーの輝きが失われてしまう可能性さえあるのです。
ほんの1年前まで、賛辞のなかにいた“ポニーテールの王子様”はいま、最大の危機を迎えています。コンディションさえ良ければ、素晴らしいプレーを見せてくれるという確信も、移籍によって揺らいでいます。考えてみれば、ロビーが万全な状態でシーズンを送ったことはあまりありません。
『無事これ名馬』という言葉に従えば、彼は名選手ではないのでしょう。
それでも、ロビーがいまの地位を築いたのは、彼のギブアップしない精神力にあることを、みんなが知っています。アイドルのイメージとはほど遠い、苦しい闘いを乗り越えてきたからこそ、ロビーは世界中の人々から愛されています。
メディアのなかにさえ、「がんばれ、ロビー」という論調がみられるのはその証拠といえるでしょう。
ロビー自身はメディア嫌いで知られていますが、メディアはバッジーナ同様、彼の活躍を願っているはずです。非難の嵐のなかから、ロビーが劇的に復活する。それこそが、サディスティックなジャーナリストにとって、もっともおいしいシーンなのですから。
『ワールドサッカーダイジェスト』編集部のみなさんだって、「あのころのロビーは良かった」なんて回想分は、まだ書きたくないですよね?
◆1995年12月
わたしは、横浜マリノスの練習場のすぐそばに住んでいます。
バッジーナのわたしにとっては用のないところでしたが、11月の休日、散歩がてらのぞいてみました。
そこには100人以上のファンがいましたが、その9割が女子高校生だったのには驚きました。彼女たちは練習よりも、選手とお近づきになれるかもしれない練習後を楽しみにしているようです。
場違いな雰囲気のなかで、わたしは5月に訪れたユベントスの練習場のことを思い出しました。
そこでは、優勝決定直前とは思えないほど、のんびりと練習が行なわれていました。ここにもおよそ100人ほどのファンがいましたが、そのほとんどが男性で、彼らは楽しそうに選手たちの名前を呼んだり、歌ったり…。
当時、まだユーベに在籍していたロベルト・バッジョに掛けられた「ロビー!」というダミ声には、頑張ってくれよ、という激励が込められていました。
暖かい気持ちになれたのは、5月の日差しのせいばかりではないと思います。
練習後、選手にファンが群がるのはどこも同じです。イタリアでは、ファンが差し出すノートや紙の切れ端に(イタリアに色紙はない)、快くサインをしてくれます。カメラを向けると、ほとんどの選手がニッコリと笑います。もっとも、ロビーのような超人気者は、脱出するのに精一杯でそうもいきませんが。
わたしが知るかぎりでは、ユーベやミランの練習は、個人には公開されていないはずです。
練習を見るためには、練習見学が組み込まれているツアーに参加するより方法がありません。せっかくイタリアまで行くからには、試合以外にも選手が動いている姿を間近にみたいと、だれだって思うでしょう。
フィオレンティーナのように自由に見学できるチームがあることを思えば、ミランのガードの固さと人気の高さが恨めしく思えてなりません(もしかして、練習見学を制限しているチームは世界中でミランとユーベだけ?)もう、最後の手段はミラネッロの塀をよじ登るしかないのでしょうか?
〔マリノスの練習場、今はマンションが建っています〕
◆1996年6月
ラツィオを語るとき、「あのチームはねぇ…」と苦笑する人が多いと思います。ホームで爆発的な得点力を誇りながら、アウェーにめっぽう弱いチームカラーはセリエAに詳しくない人でもご存じでしょう。
3月にトリノへ行ったとき、偶然にもそのラツィオの選手と同じホテルに泊まり、選手たちと会うことができました。予想外のことで色紙もなかったのですが、チームスタッフのひとりである、気さくなCiaralli氏がA3サイズ大のチームの集合写真を分けてくれ、それにサインをもらうことができました。
まず、いきなりホテルのロビーでシニョーリに遭遇。その後、次々とやってくる選手を片っ端からつかまえて、サインをねだったのですが、ラツィオに詳しくないわたしは、まずサインをもらって(みんな、自分の顔写真の下にサインする)名前を確認したあとで写真を撮るという手順になりました(これは、まとめてサインをもらうときいいですよ。色紙に寄せ書きしてもらうと、あとでどれが誰のものか絶対わからなくなります)。
このホテルには、宿泊客以外は入れないようで、完全な独占状態となり、結局15人の選手からサインをもらってしまいました。
次の日のユベントス戦、前半2点リードしたラツィオの楽勝かと思われました。
しかし前夜、
「ボクは部屋に帰るけど、キミたち、もうサインはいいのかな?」
とでもいいたげに、こちらをみながらエレベーターを待っていたカジラギのレッドカードから、試合は一気にユーベのペースとなり、だれよりも長い時間をかけてサインに応じてくれたチャモが同点のオウンゴールを献上するに至ってラツィオはいつもの“トホホなラツィオ”になってしまいました。
ラツィアーレには辛いでしょうが、愛すべきラツィオの典型的な試合といえるでしょう。
思いがけず手に入ったサインをみるたび、「ラツィオっていったい…」と呆れてしまう、バッジーナのわたしです。
◆1996年8月
ワールドカップ日韓共催決定後、
「最初に規定を破ったのはFIFAのほうなのだから、こちらのいい分もとおすべきではないか」
という意見が日本側にあります。〈スタジアムの数に合わせて試合数を増やす〉〈決勝戦を日韓両国で行なう〉〈参加国を倍にする〉などなど…。『なんか違う』と思うのは私だけでしょうか?
自治体がワールドカップに求めているのは経済効果です。しかし、それは大会開催中だけのものに過ぎません。
「大きなスタジアムなんていらない」
という住民もいるでしょう。すべてのスタジアムで試合を行なうにしても試合数や参加国を増やすのは疑問です。ただでさえ蒸し暑い6〜7月の日本は、サッカー向きの気候ではありません。スケジュールを過密にすれば、あるいは期間を伸ばせば、選手の疲労も増すでしょう。
日本が提案している40か国参加の場合、決勝まで残った国は1か月で8試合をこなすこととになります。コンディションは維持できるのでしょうか。ワールドカップの歴史に刻まれるのは収支決算ではなく試合の内容です。94年のアメリカ大会、真夏の炎天下で行なわれた決勝戦は“見どころのない凡戦”という酷評だけが今後も残っていくのです。
参加国が増えるのは時代の要求かもしれません。でも、それでいいのですか?共催をチャンスとして日韓の友好を築くこともお金を儲けることも大切です。しかし、開催地がもっとも優先しなければならないのは、選手によい環境を提供することです。ワールドカップは開催地のものではありません。試合をする選手のものだということを忘れないでください。
わたしには2002年を境に、ワールドカップが選手の手からどんどん離れていくような気がしてなりません。
◆1997年2月
ミランにいても仕方がない。だれもがそう考える状況で、ロベルト・バッジョが出した結論は「ミラン残留」だった。しかし、ファンの多くは、これを支持するだろう。それもまた仕方がないと…。
残留の本当の理由は、移籍先がなかったからではないだろうか。カップ戦からの収入が半減してしまったミランは、移籍金満額なら彼を売りたいと考えたに違いない。ロビーの移籍金は10億円を下らないといわれる。しかし、それだけの額を出してまで現在の彼を獲得しようというチームは、おそらくヨーロッパにはないだろう。
不振のシーズンを送るうちに、彼には「守れない、走れない」という烙印が押された。プレッシング、全員攻撃、全員守備をめざすヨーロッパのビッグクラブが、彼の獲得に二の足を踏むのも無理はない。弱小クラブには資金がなく、フランス・ワールドカップをめざすからにはヨーロッパを離れたくない。がんじがらめの彼は、結局どこへも行くことができなかった…ではないだろうか。
消極的な理由にせよ、残留の道を選んだロビーは、サッキ・コレクションのひとりとして最善を尽くすしかない。サッキにとっても、持ち駒は多ければ多いほどいいはずだ。
幸いにも、ロビーにはまだ多くのファンがついている。彼のいないミランがお粗末な試合をすれば、
「バッジョを出せ!」
とヤジが飛ぶ。与えられたチャンスを一つひとつものにできれば、彼が望むアズーリ復帰も夢ではないだろう。
地道な努力と忍耐はいつかきっと報われる、という教訓の生き証人になるために、ロビーに与えられた時間は、あと1年と少しである。
◆1998年5月
「ワールドカップを観に行くんです」
「それはすごい!で、アルゼンチン戦?クロアチア戦?」
「いやぁ、そのー、日本の試合は観ないんです」
すると相手は“信じられない”という顔をします。(普通は日本の応援に行くと思うんだろうな、やっぱり)
わたしはイングランドの低迷期からのファンで、今回も彼らを観るためにフランスまで行くんです。“アメリカ大会予選敗退の悲劇”は、わたしにとっては日本というよりイングランドのものでした。その後のユーロ96からワールドカップ予選での闘いを見ると、勢いを増す彼らに久々にワクワクを感じています。
現時点の予想では、イングランドは第2グループのトップといったところでしょうか。ただし、日本のマスコミの大好きな言葉――ワールドカップはなにが起こるかわからない――を借りれば、イングランドの優勝だってありえない話じゃない。ヨォーシ、フランスまで応援しに行くぞ!
しかし、日本で売り出されてるのは日本代表の応援ツアーばかり。こうなったらダメもとで、イギリスの旅行会社に頼むしかないかな、と思っていたら…やっと、イングランド戦が日程に組まれているツアーを発見しました。普通にフランスへ行く場合の約2倍の料金にチョット驚きましたが、一生に一度のことかもしれませんし、思いきって行ってきます。
あとになってツアーの日程を見直したら、なんとノルウェーとデンマークも観ることができるんです。ノルウェー、デンマーク、イングランドの共通点は…マンチェスター・ユナイテッドだぁ!この3か国を制覇すれば、ユナイテッドのほぼベストメンバーを見ることができるじゃありませんか。
「ユナイテッドのユニホームを調達して、フランスに行こうかな…えっ?派手すぎるって」
◆1998年8月
6月26日、すこし肌寒いランスでコロンビア対イングランド戦を観る。試合開始前に子どもたちのミニゲームがあった。ゴール裏で眺めていると、突然メインスタンドから「シアラー!」の歓声が。見るとハーフウェイライン近くをシアラーが歩いている。彼に続いてイングランドのスタッフと選手もやってくる。彼らはミニゲームを見はじめた。試合前にこんなところで、全員がぼ〜っと突っ立っててもいいのか?まぁこの際、理由なんかどうでもいい。なんたって、ホドルと彼のチームが目の前にいるのだ。ミーハーモードは全開。双眼鏡を持ってきてよかった。妙にうれしそうなベッカム(この日が初スタメン)とシーマン。シェリンガムとアンダートンは仲良さそうに話している。ネビルなんかは、まるで睨みつけるようにゲームに見入っていた。試合前にこんなほのぼのとしたシーンが見られるなんて…なんだかとっても得した気分だ。
シートとシートの隙間には、丸めた紙が挟んである。人文字を創るためのものだ。わたしのシート脇にはまっ白い紙が置かれている。隅に日付入りで〈コロンビア対イングランド〉とフランス語で書かれている。「いい記念品だ、持って帰ろう」。選手入場のあと、カウントダウンにしたがっていっせいに紙を掲げる。この白い紙はセント・ジョージの旗の白地の部分だった。「よかった、コロンビア側じゃなくて」。まわりには、紙飛行機を作ったり、紙吹雪にしてしまったり、丸めて投げたりする人までいる。「あぁ、もったいない」。でも、とっても楽しそうだ。
試合も文句なかった。20分にアンダートン、30分にはベッカムのフリーキックが決まり、2-0でイングランドの勝利。はるばるやって来たランス。イングランド・サポーターのド真ん中で心おきなく騒いだ。イングランドの単純で力強い、世界一すてきな応援に参加できたことがなによりもうれしかった。
◆1999年2月
「ワールドカップを隔年開催にしよう。世界最大のスポーツイベントが4年に一度というのはもったいない」
FIFAのブラッター会長が、またおもしろいことを考えているらしい。
「ヨーロッパ選手権はどうなるのよ」
って思っていたら、さっそくUEFAのヨハンソン会長が、
「UEFAの仕切りの場をなんだと思っているのか」
と反対の意志を表明した(まあ、ヨハンソンはブラッターの意見にはすべて反対するだろうけど…)。
ヨーロッパ・サッカーのファンにとって、ワールドカップの中間年に行なわれるヨーロッパ選手権は、“もうひとつのワールドカップ”ともいうべき重要な大会であり、決してワールドカップに劣るものではない。ワールドカップに敗れたヨーロッパ各国の監督は、
「次の目標はヨーロッパ選手権」
と口を揃えていっていた。
そもそも、隔年でのワールドカップの開催など可能なのか。つねにすったもんだする開催地の選定、経済状況に左右されるスタジアムの建設、そして選手に過剰な負担をしいる予選…。これらのことを考えれば、2年周期で行なうのは無謀といえる。大会の規模を縮小すれば話は別だが、それでは本末転倒だろう。質の落ちるワールドカップを隔年でやるくらいなら、各地域の選手権を充実させたほうがよっぽどましだ。
また隔年ワールドカップには、スーパーリーグ対策という面もあるらしい。代表の試合でスーパーリーグに対抗する――。しかし、たとえばマンチェスター・Uのファーガソン監督ならこういうはずだ。
「これ以上、代表の試合に選手を取られるくらいなら、スーパーリーグに参加する」
隔年ワールドカップにしろ、スーパーリーグ構想にしろ、実際にピッチでプレーする選手と、それを見守るファン以外の人間に、サッカーの未来が握られているような、そんな気がする。

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