三浦俊彦のページ |
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『読売新聞』2002年8月10日付夕刊掲載 * 赤瀬川原平『東京ミキサー計画』(ちくま文庫、パルコ出版局)について 小説と論理学で言語実験を探る素材が健康食品・可能世界・瞑想音楽などなどやはり多面統一主義でやってる私としてはもう、目標というも畏れ多い、崇拝の対象なのだ。 その大聖人の原点・二十代の前衛芸術を、四十代の回顧的筆致で綴った本書。山手線の駅ホームで卵を割り紐を引きずり、帝国ホテルで人体計測し、ビル屋上からシーツや鞄を投げ落とし、銀座並木通りを勝手に通行止めにして掃除し……ほぼ悪ふざけのノリでハプニングが演じられるが、どれもしっかり写真に撮られ、各方面への案内状も保存されている。周到に歴史的足跡を意識した活動だったのだ。千円札裁判の公判を芸術パフォーマンス会場に変質させてしまう終章は抱腹絶倒を越えて、その確信犯エネルギーに鳥肌が立ってくる。 「町では『芸術じゃない、芸術じゃない』とテレた振りをしていたのですが、法廷では…『これも芸術、あれも芸術』と主張しました」。芸術と社会との緊張関係をズバリえぐった名句ではないか。「芸術」の定義は現代美学の大難問だが、正解がここにさりげなく仄めかされている。そう、芸術とは〈用意周到なる悪ふざけ〉なのだ、と。 |