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G-NET 最新厳選★地質関連 図書情報
西伊豆の地質形成紹介 静大教授がマップ第3弾発刊(静岡新聞社)よりH24.05.24紹介
伊豆半島ジオパーク推進協議会顧問の小山真人静岡大教授(火山学)が、西伊豆地域の地質を紹介した「火山がつくった西伊豆の風景―伊豆半島南西部のジオマップ」が、静岡新聞社から発刊された。
2009年から同教授が刊行する伊豆半島ジオマップシリーズ第3弾。西伊豆町と松崎町周辺で大地を構成する火山の噴出物を、2千万年前から年代別に色分けして地図上に提示。各年代の火山が織り成す、壮大な大地形成の歴史を一目で分かるよう工夫した。
海底火山の火口だったことを示す巨大な岩「浮島海岸の重複岩脈」(西伊豆町)など、ジオサイト(地質的な見どころ)15点も写真付きで紹介している。同推進協は「マップを手に西伊豆を旅し、美しい風景の成り立ちの秘密を知ってほしい」と話している。
定価500円(税込み)。県内の主要書店で販売している。
地震のメカニズムを理解して備えよう!(ZAKZAK)よりH24.04.04紹介
★マグマ学者・巽好幸著「【送料無料】いちばんやさしい地球変動の話」(河出書房新社)
東日本大震災の発生から1年。その間多くの地球科学者たちは、未曾有の大地震に立ち向かうべく行動を開始したが、著者は、震災後最初の1冊を上梓した。そのねらいは“啓蒙”である。「今年は、3つ、4つ書きますよ」と、豪快に笑う。(文・写真 竹縄昌)
−−昨年の3月11日はどちらに
「ケニアのフィールドに。ケニアは大陸が割れている場所があり研究対象なんです。家内が電話で今、すごく揺れていると知らせてきました。9日に起きた地震が地震予知連が予測したものと同じマグニチュード7で、それだとばかり思っていたのですが、まさかその2日後にM9が来るとは」
−−本書のきっかけは
「3・11とは一体何だったのかというテーマで、朝日カルチャーセンターにいろんな専門分野の研究者が集まっての講演会があったのです。そこでお話ししたことに肉付けをして出版しました。これまでは研究者は論文で世界を引っぱっていくんだと。アウトリーチ(一般への研究の広報活動)に目をつぶっていたわけではないのですが…。しかし、3・11で考えが変わりました。研究だけに終始していいのかと思い、今年は3つ、4つ(本を)書きますと宣言しました。去年は論文は1つしか書けませんでした」
−−本書などで私たちも最先端の研究を知り、危機管理に役立てられる
「我々はなんで地球が変動するのかということを毎日考え、いくつかの研究成果も出している。そんな人間が直接書いたのと、“〜と言われています”と伝聞で書かれたのでは迫力が違う。昔、アインシュタインが相対性理論を数式なしで書いてるのに感動したことがある。研究者本人だからこそ書けたんですね」
−−防災、減災意識は
「そこに暮らしている人たちが、地震や火山噴火が頻発する変動帯に暮らしていることを強烈に自覚して、DNAにまで刻み付けること。私がこの本で伝えたかったのは、日本列島で地震などが起きるのが、なぜ当たり前なのかということなんです。日本列島はプレートがぶつかり合って押し合っているよねと、そこで話が終わっているのと、地球全体のプレートの仕組みから日本における地震のメカニズムを理解することは、意識の刻みつけ方が違う。また例えば地震発生の確率が30年で10%といわれたとしても、なら、90%は来ないんだと思ってはいけないのです」
−−知らないで怖れているだけではダメ?
「我々はここ20年間で、阪神淡路大震災と東日本大震災という大地震のタイプを2つ見てしまった。過去には明治と昭和の津波もありました。地震のタイプは違うけれど、そういうことが記憶にきちっとつながっていない。そんなコミュニティーになってしまった日本はちょっと危険かなと思う。マスコミも危ない危ない、と批判しているだけでは解決しません」
■巽好幸(たつみ・よしゆき) 1954年、大阪府生まれ。マグマ学者。独立行政法人「海洋開発機構」(JAMSTEC)地球内部ダイナミクス領域プログラムディレクター。
京都大学理学部卒、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。京都大学、東京大学教授を経て現職。2003年、日本地質学会賞、2011年、日本火山学会賞受賞。海底の岩石試料などをもとに、地球の進化、変動予測など地球の構造、システムの解明に向けたプロジェクトに多く携わっている。
著書に『沈み込み帯のマグマ学・全マントルダイナミクスに向けて』(東京大学出版会)『地球の中心で何が起こっているのか』(幻冬舎新書)など。
■あらすじ 「マントル対流」「プレートテクトニクス」−この1年でこれほどメディアに登場した地球科学用語もなかっただろう。それらを地球の歴史、構造から始まり、日本列島の地下に起きていることなどをかわいいイラストとともに、わかりやすく解説している。
マントルは沈んでからどうなるのか、内部の温度は? どうして日本に地震が起き、そして火山列島となっているのか。
知っているようで実はよくわかっていなかった素朴な疑問も氷解する。日本人は変動する列島に住んでいることを強く意識して欲しいと願う、最先端の研究者の思いがこもっている。
恐竜絶滅の理由は隕石衝突で決まってたらしい!『決着!恐竜絶滅論争』(エキサイトレビュー)よりH23.12.09紹介
『決着!恐竜絶滅論争』後藤和久/岩波書店 恐竜絶滅は一般の人の注目を集めやすいテーマだが、なかなか知ることの出来ない学界の現状を紹介している
2010年3月、地質学や堆積学、古生物学、惑星科学、地球化学、地球物理学など幅広い分野の41人の研究者が合同で「恐竜絶滅の原因は小惑星衝突である」と書いた論文が「サイエンス」誌に掲載された。恐竜絶滅の理由に関する過去数十年の論争の歴史、1000に及ぶ論文を精査した内容だった。
恐竜ってなんで絶滅したのか。巨大隕石が落ちてその粉塵で世界中が暗くなって植物が消えて食物連鎖が途絶え…という「隕石衝突説」が有名だと思うけど、僕は「諸説あってまだよく分かってない」という感じなのだと思ってた。
強い興味がないと、恐竜の絶滅について調べる機会も少ない。「花を咲かせるタイプの植物が出て来て昆虫とかとうまくやり始めたから大型のシダ植物とかが減って恐竜が絶滅した」みたいな話を小さい頃から色々どこかで見たり聞いたりしていると、結局「色々考える人がいるんだろうな」と思って終わってしまう。知識も無いと「でかすぎて自滅したんじゃないの」とかも思えてしまう。
実際、そうやって滅んだ種類もあるかもしれない。だけど学者が論じている「絶滅」は、白亜紀の最後に、恐竜が1種類も残さず全ていなくなる「大量絶滅」の瞬間の話だ。
『決着!恐竜絶滅論争』という本は、上記論文の書き手の一人でもある地質学者、後藤和久が書いた、恐竜絶滅研究の歴史に関するものだ。その内容があまりに「学問的にピュアじゃない」ことに驚いた。
まず、僕のような専門外の一般人が恐竜絶滅の理由について諸説戦っているように思ってるのは、「衝突派以外」の少数派がこれまで「マスコミ対策」を頑張って来たから、というのも大きな理由なんだと書かれている。
学者は専門雑誌に研究結果をまとめて論文を出す。「ネイチャー」や「サイエンス」は漫画雑誌で言えばジャンプやマガジンみたいに有名で色んな人が読む可能性のある雑誌だ。そういうトップ雑誌に載らなければ、なかなか研究成果が新聞やニュースになることはない。だから学者は雑誌に論文を投稿する作業とは別に、会社が新商品情報を出すように「プレスリリース」をする。
さてそこで、衝突派が「今まで信憑性が高かった衝突説に、さらなる証拠が見つかった」という情報を新聞に提供するのと、少数派が「衝突説を覆す証拠が見つかった」と出すのと、どっちがセンセーショナルだろうか。やはり定説が覆る方が面白いと思ってしまう。権威のある雑誌に載らなくてもプレスリリースをうまくやれば、一般社会に影響力を持ててしまうのだ。
簡単に恐竜絶滅研究の歴史を書くと、「衝突説」は1980年に登場した。書いたのはノーベル物理学賞の受賞者とその息子の地質学者だった。その後賛否両論の大論争を巻き起こしたが、1991年にメキシコのユカタン半島で隕石の落ちた跡、「チチュルブ・クレーター」が見つかったのが決定的だった。どれも結構最近の話なのが意外ですよね。その後も次々と衝突説を支持する証拠が見つかり、精度の高い分析も行われるようになって、学界では衝突説が定説になっていった。
そんな学界の状態とは関係なく、一般社会には様々な異論が発表され、人々の認知もそれに影響を受けてしまっている。そういう状況を受けて、冒頭の41人による論文が発表されたのだった。一般の人にも認知してもらおうと、プレスリリースもちゃんとやった。
本書は「プレスリリース問題」のような科学と社会との関係や、もちろん恐竜絶滅研究の歴史についての記述が中心と言えるだろう。さらに、衝突説の登場から30年間、「火山で絶滅説」などの少数派学者がどうやって絶滅せずに生き残ってきたか、という話も面白い。彼らが出す異論は科学にとって重要ではあるが、科学である以上、誤りであってはいけない。だから新しい証拠が見つかるたびに自説を大胆に変えたり、クレーターが見つかると一部衝突説を認めつつ反論したり、様々な工夫をして生き延びる。中にはどうにもうまくいかず、最先端から退く学者もいたり、対応が様々なのも興味深い。
地球にぶつかった隕石も、「秒速」20キロで落ち、エネルギーは広島型原爆の10億倍、付近はマグニチュード11の地震に襲われ、起きた津波は高さ300メートル…など、研究で導き出された各種データも、見ているだけで驚くものばかり。
中高生でも理解できるような内容で「研究の実際」や「科学のありかた」にまで想像が及ぶ良書だと思いました。興味のある方は是非!
島原半島ジオパークのガイド本(読売新聞)よりH23.11.25紹介
来年5月に島原半島で開かれる「第5回ジオパーク国際ユネスコ会議」に向け、県教育センター主任指導主事の寺井邦久さん(55)が、半島の地質の特徴などを紹介する「島原半島ジオパークをひと筆書きで一周する」(長崎文献社)を出版した。寺井さんは「半島が重要な地質遺産であることを多くの人に知ってもらいたい」と話している。
島原半島は2009年、洞爺湖・有珠山(北海道)、糸魚川(新潟県)とともに、貴重な火山や地層、地形などを認定する国内初の世界ジオパーク(地質遺産公園)に選ばれた。会議は来年5月12〜15日、島原市の島原復興アリーナをメーン会場に開かれ、研究者らの講演などを予定している。
寺井さんは1990年4月、島原市の島原高に地学教諭として赴任し、雲仙・普賢岳の噴火災害を経験。95年に気象予報士の試験に合格してからは防災教育にも携わり、雲仙岳災害記念館を拠点にジオパークのガイドやガイドの養成活動も行っている。
本では、千々石断層の動きが確認できる唐比(からこ)低地(諫早市森山町)や、91年9月に普賢岳の火砕流で焼けた大野木場小の旧校舎など、半島の特性がうかがえる約40か所を写真や地図を交えて紹介。このほか、加熱した溶岩の放射熱で焙煎(ばいせん)したコーヒーなど、食に関する情報も掲載している。
寺井さんは「ガイド本としてだけでなく、防災教育にも活用してほしい」と話している。オールカラーA5判、95ページ。1050円で各地の主要書店で販売。問い合わせは長崎文献社(095・823・5247)へ。
【温故地震】大震災編 都司嘉宣・東大地震研究所准教授に聞く(産経新聞)よりH23.11.17紹介
「千年に1度」ともいわれる巨大な地震と津波が襲った東日本大震災。地震学の限界と、歴史に学ぶことの大切さがクローズアップされた。歴史地震学の第一人者で津波研究が専門の都司嘉宣・東大地震研究所准教授は、古文書から過去の地震の実像を科学的に解明し、将来予測につなげることが重要だと強調した。
◇
−−想定外の大津波だった
都司 地震や津波の研究はこれまで、江戸時代の初めから約400年間の記録を調べ、その中で最大のものを考えていた。三陸地方では明治三陸地震(1896年)の津波がたぶん上限で、これより大きいものは来ないだろうと。貞観地震(869年)の津波が明治三陸より大きかったことは地質学的に知られていたが、千年も昔のことが来たときどうするかを考えるのは現実的でないと、防災の参考にしなかった。
ところが現実は千年前とそっくりの津波が起きてしまった。「千年に1度」は無視できないと、身に染みて分かった。三陸で生まれ、そこで80年間の一生を終える人にとって、千年に1度のことに遭遇する確率は単純計算で8%だが、いくら低い確率でも、人命が奪われる大災害は無視してはいけない。
サッカーに例えると、ゴールキーパーが用心していない場所にボールを蹴られてしまった。大丈夫だろうと、守っていなかった弱点を突かれた。手も足も出なかった悔しさがある。敵は一枚上手だった。
−−教訓をどう生かすか
都司 東海地方では安政の東海地震(1854年)の津波が防災の基準とされてきたが、ちょっと待てよと。東海地方で千年に1度の地震とは、どんなものなのか。その解明はおろそかにされていた。
そこで古文書などの歴史記録を基に、明応の東海地震(1498年)の津波を現地調査してみると、静岡県西伊豆町仁科で安政東海地震の倍以上の高さだった。伊豆市の栄源寺の看板には近くの集落で30人余が死んだと書いてあり、伊豆半島の西海岸で標高10〜20メートルは当たり前に来ている。安政の3倍くらいだ。明応の東海地震は静岡県で千年に1度の津波だったのだろう。
焼津市の津波は、安政は海岸から約1キロまでだったが、明応は約3キロまで来た。海岸付近の人が、津波警報が出てから3キロ内陸に避難するのはほとんど不可能。命を守るため、5分以内で行ける場所に津波避難タワーを造らなければならない。
−−今回の津波の特徴は
都司 大震災は複数の震源域が同時に動く連動型の巨大地震で、震源域は南北500キロ、東西200キロと巨大だった。しかし、震源域が広いから津波が大きくなったのではない。震源域の中に南北約50キロ、東西約70キロの狭い楕円(だえん)形のコアとなる領域があり、そこで海底が20メートルも上昇したため大津波が起きた。
狭い範囲に千年分のひずみが蓄積され、それが一気に解消されて連動型になった。大きな布の1カ所をつまんで急に持ち上げると、周りも引っ張られて一緒に上がるようなものだ。
−−なぜ狭い範囲にひずみがたまったのか
都司 10月の日本地震学会で興味深い発表があった。太平洋プレート(岩板)が沈み込む場所に海山(海底の山)があり、にきびみたいにこぶができていて、上側の陸側プレートに引っ掛かって摩擦が大きくなり、狭い範囲が固着していた。ここが滑って今回の巨大地震が起きたと推定されるという。そうか、とひざを打った。
紀伊半島や四国で千年に1度の津波が来た宝永地震(1707年)については、紀伊半島の古文書に『地震が起きてから津波が来るまで、ご飯を炊く時間があった』という記載がある。時間は30分ぐらいだろう。東日本大震災も大津波が来るまで約30分かかっており、宝永地震の津波もはるか沖の狭い範囲から来たことを意味している。
宝永地震は東海、東南海、南海地震の3つが同時に起きた連動型だが、明応の地震は東海地震の単独型だ。大阪に大津波が来た正平の地震(1361年)も南海地震の単独型だった。つまり、津波が大きくなるのは連動型だからではなく、とてつもなく海底が上昇する狭い領域があることが根本的な原因だ。
政府は南海トラフで起きる連動型地震の津波の想定を見直しているが、単に切手を貼り合わせるように震源域を広げただけでは、津波の高さは単独の場合とあまり変わらない。狭い範囲が強烈に上がることを考慮して数値計算しないと、われわれの先祖が残してくれた古文書の事実をちゃんと説明できず、甘い予測になってしまうだろう。
狭い範囲が滑ったのが東日本大震災であり、宝永や明応の地震もそうだったとすれば、今後は海山の痕跡などを調べ、固着域がどこにあるのか解明する必要がある。将来を的確に予測するため、それが歴史記録に合うことを確かめないといけない。
◇
プロフィル】都司嘉宣
つじ・よしのぶ 昭和22年、奈良県生まれ。東大工学部卒、同大学院理学系研究科修士課程修了。国立防災科学技術センター研究員を経て理学博士。60年、東大地震研究所助教授。平成13年、同准教授。専門は津波、高潮、歴史地震。14年から産経新聞科学面に「温故地震 」を連載。近著に「千年震災 」(ダイヤモンド社)。
「諏訪鉄山記録」を発行 茅野の住民グループ、歴史や地質解説(信濃毎日新聞)よりH23.08.21紹介
茅野市などの住民グループ「諏訪鉄山の歴史保存をすすめる会」は、戦時中に国内有数の鉄鉱石産地だった同市の諏訪鉄山の歴史や地質についてまとめた冊子「諏訪鉄山記録」を発行し、19日、市に50部を寄贈した。同会は3年前にも関係者の体験談中心の冊子を作っているが、今回は過去の資料を基に、鉄鉱石の産出量や成分なども解説し、多角的にまとめたのが特徴だ。
同会によると、茅野市の蓼科高原一帯に広がっていた諏訪鉄山では、1937(昭和12)〜62年に複数の鉱床で鉄鉱石が採掘された。冊子は歴史編と地質編の2部で構成。歴史編では関係者への聞き取りなどから、学生らの勤労動員や連合軍捕虜による作業、トラックなどによる茅野駅までの輸送の様子などを紹介。集めた写真をふんだんに載せた。
地質編では、鉄鋼会社や国の研究機関が20(大正9)年から67年に刊行した9冊の資料に記載された、その時々の鉱床の場所や鉄鉱石の品質、埋蔵量などを紹介。朝鮮戦争の特需があった51年の最盛期には月に4500トンを産出したという。産出量の変遷から、日中戦争や第2次世界大戦で鉄鉱石の輸入が減り、必要に迫られたことがうかがえるなど、戦争と密接に関係があるとも指摘している。
地質編をまとめた山梨学院大付属小学校(甲府市)の小林祐一教諭(45)=富士見町富士見=は「国内の多くの研究者が諏訪鉄山に注目していたことが分かった。諏訪地方でももっと注目されていい」と話す。ことしは鉱物の研究者や、地理、歴史の教員グループによる諏訪鉄山の視察が増えているといい、同会代表の宮坂敏郎さん(56)=茅野市北山=は「体験学習など観光にも生かせるはず」と述べた。
冊子はA4判、178ページ。市の公募・提案型補助金を含め約100万円をかけて400部を印刷した。希望者には2千円で販売する。問い合わせは宮坂さん(電話0266・67・4428)へ。
伊賀市史:「通史編 古代・中世」を発売 /三重(毎日新聞)よりH23.06.22紹介
伊賀市は「伊賀市史」の第1巻「通史編 古代・中世」を発売した。市総務課によると、伊賀盆地の地質学的な成り立ちから、藤堂高虎が伊賀に入る前までの期間を網羅した「伊賀の歴史が凝縮された1冊」という。
伊賀市史は全7巻で、これまでに資料編の2冊が出ている。通史編の刊行は初めてで、16年度中に全巻をそろえる予定だ。今回は、藤井譲治・京都大大学院文学研究科教授を監修者に学識経験者ら28人が07年ごろから編集を進めていた。
本書では、伊賀の古墳文化や伊賀国分寺の建立、東大寺荘園の成立など古代を7章に分けて記述した。中世以降も鎌倉幕府と伊賀国とのかかわりや戦国時代の織田家と伊賀国人衆の争いなどを紹介し、中世伊賀の宗教や文化、集落の生活についても章を立てて解説している。豊臣政権下の筒井定次による伊賀支配についても解説している。写真や図、表も計400点収録した。
執筆者の1人の白川哲郎・大阪樟蔭女子大准教授は「東大寺をはじめ、奈良、京都と伊賀国が密接に関わっていることが明らかになった」と話している。A5判930ページ、定価5000円。問い合わせは、総務課市史編さん係(0595・52・4380)。
乾燥標本収蔵1号室 リチャード・フォーティ著
有名博物館の数々の裏話を披露(NIKKEI NET)よりH23.05.31紹介
本書は、私のような自然史博物館オタクにとっては、たまらない本だ。自然史博物館オタクとは、野外で動植物や地質を観察したり採集したりするのが大好きで、どこへ行っても、そこに自然史博物館があれば必ず入ってみないと気が済まない、行けば行ったでほとんど入り浸り、というたぐいの人々をさす。そういう人々にとって、本書の舞台である大英博物館の自然史博物館は、世界中にあまたある自然史博物館の中でも女王バチ級である。その裏話がおもしろくないはずはない。
しかし、世の中、自然史博物館オタクばかりではない。それでも、やはり本書はおもしろいだろう。なぜなら、ある使命を持った組織の歴史と裏話、普段は表にでない部分の話は、人間、誰が読んでもわくわくする要素があるからだ。
ロゼッタストーンなどで有名な大英博物館は、日本人にもよく知られている。その系列の自然史博物館は、これも、入り口を入ってすぐの巨大な恐竜の化石などで有名だ。ここには、入館者が見る展示の何百倍もの標本が、奥に収蔵されている。本書の著者は三葉虫の化石研究を専門とし、1970年以来、ここで40年も研究生活を続けてきた。本書は、一般入館者が入れない奥を案内しつつ、先輩たちから聞いたり、長く伝えられたりしている、本博物館に関する数々の逸話を披露する。少しばかり狂ってしまった研究者、あからさまな盗み、何十年もばれなかった捏造(ねつぞう)、そして昨今のリストラの嵐……。
しかし、著者が本当に伝えたいのは、この地球上に存在するありとあらゆる自然の産物を記載し、未来永劫(えいごう)保存するのが使命である自然史博物館という組織はどうあるべきか、という問題だ。記録の保存とは、実物の標本の保存だが、今はDNAバーコードというものもある。それだけでよいのか。記載と研究が本筋なのに、昨今はアトラクションと金儲けが要求される。それでよいのか。地味だが大切な分類学の価値をどう社会にアピールするのか。歴史の小話に笑ったり、浮世離れした研究に驚いたりしながら、最後には大きな問いに誘われる一冊である。
滋賀の地学、研究後世に 「レッドデータブック」刊行(京都新聞)よりH23.05.14紹介
滋賀県内の特色ある地形や地質をまとめた研究調査報告「記録しておきたい滋賀県の地形・地質」が、琵琶湖博物館からこのほど刊行された。地学版「レッドデータブック」で、県内の研究家が中心となって計209項目を執筆、8年がかりでまとめた。
湖国では生物のレッドデータは作成されているが、開発や治水などによって古くからの地形が失われていくため、後世に記録を残しておこうと2003年に計画された。
地形52、地質67、化石51、鉱物39の項目があり、計4章で構成。地形では、内湖や天井川など湖国に特徴的な地形を紹介する一方で、大津の市街地を走る膳所断層や堅田断層などを写真や地図入りで解説。大津市葛川町居町で1662(寛文2)年、花折断層を震源とした若狭地震が発生した際の山崩れの跡で、高さが約100メートルもある丘「イオウハゲ」などを取り上げ、地震発生時の危険箇所を指摘している。
1960年代から相次いだ道路や住宅開発でしま模様状に地層が露出した「露頭」の記録や、県内の主な化石、鉱物の産地を網らしており、琵琶湖の湖底で鉄の粒子が砂の表面に球状に付着した粒状の鉱物「湖成鉄」など、珍しい現象も紹介している。
編集にあたった地学研究家藤本秀弘さん(68)=大津市=は「滋賀県は全国の地質の縮図で、多彩な地形や地質がみられる。後世の研究の一助となれば」と話している。
琵琶湖博物館のショップで280円で販売している。
今週の本棚:富山太佳夫・評 『ゲーテ 地質学論集 気象篇』/『経度の発見…』(読売新聞)よりH22.11.14紹介
◇『ゲーテ 地質学論集 気象篇』=ゲーテ著
(ちくま学芸文庫・1575円)
◇『経度の発見と大英帝国』=石橋悠人・著
(三重大学出版会・2100円)
◇大きく変動した一八世紀西欧の科学
文豪ゲーテは雲を愛した−−と書き出したのはいいとして、そのあとをどう続ければいいのだろうか。
私のように、子どもの頃(ころ)、山陰の海辺の農村で、日本海から流れて来る雲と大山にかかる雲を毎日ながめていた者にとっては、文豪ゲーテはそれだけで愛すべき人ということになってしまう。雲を愛する人に悪人はいない。たとえ彼が『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』を書かなかったとしても、私個人としては、時々刻々と変化する雲を愛したこの文豪を好きになっていたような気がする。そのような彼の雲に関する文章がとうとう読めるようになった。
「早朝、七時四十五分、高い雲の壁が南にあった。東から西へおよびながら、両側へ減少していった。それは動きはじめ、たなびく帯のように分かれ、上端でかたまりとなり、綿くずのようになってかき消え、爽(さわ)やかな北風にのって東のほうへ流れていった。晴れた空のもとで雲の壁は帯のように分かれ、雲間にはいとも美しい群青が見えた」
ここにあるのは、一八世紀から一九世紀にかけてのイギリスやドイツの文学で大きな潮流となったロマン主義風の自然描写とは一線を画す描写と言うしかない。確かに、絶えず動くことをやめない雲が本格的に詩や絵画の対象となりだしたのはこの時代のことであるけれども、それを読んだり見たりしていると、こちらの心も動き出してしまう。やたらと人間の挙動にしがみついてしまう恋愛小説や教養小説、社会小説などよりも、ずっといい。
「帯のように上がる層雲、塊となる積雲、四散する絹雲、下降する雨雲」−−地上に人災をもたらす雲のあり方についてもゲーテは承知していたはずであるが、この文豪はそれにはあまり触れたくないようだ。
それにしても問題になるのは、一体どのようなコンテクストで彼が雲のありように興味を抱くようになったのかということである。あるいは、雲への関心をどのように位置づけようとしたのかということである。その答えは気象学。雲への関心は決して自己満足的な文学の枠の内にとどまることはなかったのだ。彼の「気象学的後記」というエッセイの中には、こんな文章が見つかる。「同時に同じ子午線と緯度で測定されたバロメーター示度の情報を集めること……一八二二年十二月中の種々異なった場所におけるバロメーター示度を比較したグラフが、イェーナ天文台【から……】私の手許(てもと)に届いた」
このくだりを眼(め)にした瞬間に、私の頭には、留学中のイギリスでグリニッジ天文台の歴史を研究している石橋悠人のことが浮かんだ。彼はまだ大学院生であるが、すでに『経度の発見と大英帝国』というすばらしい本を出している(第五回日本修士論文賞を受賞した本である)。この本のテーマが経度測定法の歴史であり、なぜ子午線零度がイギリスのグリニッジ天文台の上を通っているかの説明もでてくるのだ。更に、「海上における正確な経度測定法の確立をいち早く経験したのは、一七六〇年代のイギリスである」という指摘もされている(因(ちな)みに、ゲーテは一七四九年の生まれ)。
実は、緯度の測定は別として、一八世紀の初めには経度の正確な測定は困難とされていたのである。その証拠に、『ガリヴァー旅行記』(一七二六年)の中では−−空飛ぶ島ラピュター、おぞましい動物ヤフー、そして江戸、長崎、踏み絵の話まで出てくるにもかかわらず−−「経度、永久運動、万能薬」の解明は不可能とされていた。ところが、そのイギリスで、その経度の正確な測定が可能となったのである。その歴史をひとりの若い大学院生があざやかに解明してみせたのだ。
石橋は序章にこう書いている。「グリニッジ天文台史・経度測定法の開発をめぐる概括的研究、クロノメーター・時計史、航海技術、機器職人、そして経度とクック航海との関係、という五つの主題をさしあたり設定する」。これを見ただけでも、経度測定法の開発が大英帝国の政治経済と、そして科学研究と絡む時代の一大プロジェクトであったことが分かる。一八世紀の悪名高い大西洋中心の三角貿易(つまり奴隷貿易)から、南太平洋へ眼が移るときの背景にあったのがこのプロジェクトであったのだ。『ロビンソン・クルーソー』(一七一九年)の舞台が大西洋、『ガリヴァー』のそれが北太平洋というのも、今となってみれば奇妙な対応というしかない。
石橋はそのような歴史の変動を丹念に明らかにしてゆく。イギリス議会が設立した経度委員会の構成とその活動、不可欠のクロノメーターを製作した時計職人ジョン・ハリソンのこと、更にはそれを活用したクック船長の南太平洋航海のこと、地理学の新しい展開のこと。この本の中には新しいイギリス史がつまっている。こんなに大切な本を、こんなに若い研究者が書くとは!
地名に残る災害の痕跡 「先人の知恵」東北の38例を分析(河北新報)よりH22.09.27紹介
宮城を中心に東北の地名の由来と災害との関係を調べた本「災害・崩壊地名―地名にこめた祖からの伝言」が、防災関係者の間で話題になっている。水害やがけ崩れの被災地域は、受難の歴史を地名に刻んでいる所が少なくない。そんな災害地名はいわば、先人が残したハザードマップ。自費出版した宮城県地名研究会の太宰幸子会長(66)は「市町村合併や宅地開発で古い地名が消えていく時代。地名に込められた先祖の知恵を知ってほしい」と訴えている。
太宰さんは大崎市鹿島台の自宅で学習塾を営む傍ら、ライフワークとして地名研究に打ち込んできた。本は20年来の活動の集大成で、38の地名について、起源や所在市町村を紹介している。
災害地名に使われている主な文字は表の通り。本では地名の碇(いかり)、猪狩について「自然が怒るという意味で、洪水などの被害をたびたび受けた地域」と指摘。梅田や梅木は「『埋まった』という土地の異変を伝えている。印象が悪いので、梅の文字が当てられている」というケースが目立つという。
災害地名の具体例として登場する60カ所余りの住所はいずれも、自らの足で歩き、地元の人から話を聞いたり、地形を確かめたりして、地名と史実との関係を検証した。河川やがけとの位置関係がイメージしやすいように地図や写真も添えた。
今年5月に出版したところ、地名研究の仲間以外に、防災に取り組む市民グループや、大学の研究者からも問い合わせが相次ぎ、初版300冊は完売。7月末に100冊を増刷した。
災害の歴史に詳しい平川新東北大東北アジア研究センター教授は「災害という視点で地名を調査した興味深い取り組みだ。地名の由来を知っておくと、防災の心構えの一助になる」と話す。
太宰さんは「地名は災害の悲惨さも伝えてきた。わたしたちは先人が知らせてくれる事実に耳を傾けるべきだろう」と話している。
A5判、51ページで、1冊600円。連絡先は太宰さん0229(56)9459。
2『邪馬台国は沖縄だった!』 海洋地質学者の目で解読(琉球新報)よりH22.08.23紹介
邪馬台国(やまたいこく)の所在地については、今に至るまで、九州説、畿内(きない)説など、諸説間の論争が続いている。根拠となる史料は魏志倭人伝(ぎしわじんでん)であるが、その中の記述のうち、「投馬国」(薩摩、但馬など、いくつかの解釈がある)を起点とした「南、邪馬壱国に至る、女王の都する所、水行十日、陸行一月。」の部分について、行程や地名の記載をどのように解釈するかが論争のもとである。
この記述は邪馬台国研究のための「データ」に当たる。データに誤差はつきものであるが、データ自体を、例えば「南というのは東の誤記だ」などと、自説に都合よく読みかえては意味がない。不都合なデータが思わぬ新発見につながることもある。旧水沢緯度観測所の木村栄博士による「Z項」の発見が良い例である。著者は、長年沖縄近海の調査研究を行ってきた海洋地質学者である。海洋地質学は、観測データや採取試料に忠実に、海底やそれをとりまく島嶼(とうしょ)の成り立ちをひもとく学問である。
著者は、魏志倭人伝の中の距離・方位に関する記述がデータとして正しいことを前提に推論を進めている。まさに、海洋地質学の方法で魏志倭人伝を解読した結果たどりついた結論を、本書に著したと言える。
しかし、これまでに、沖縄(あるいはその一地域)を卑弥呼が統治していたという証拠は出ていない。従って、本書に示された結論は、現在では「仮説」の段階である。既存のデータをもとに推論した作業仮説を提示し、それを検証するためにさらなる調査研究を行い、その結果、最終的にその仮説の正否を結論付ける。これが科学の方法である。著者は海洋地質学の研究のかたわら、これまでに与那国島をはじめとする海底遺跡を精力的に調査している。
本書の仮説の検証として、答えを海底遺跡に求めるべく、沖縄島周辺の海底遺跡の精査を行っており、現在のところ、この海底遺跡が邪馬台国と同年代のものであることをつきとめている。今後のさらなる調査の結果、決定的な証拠が発見され、邪馬台国研究がさらに一歩前進することを期待したい。
写真で読み解く京都本 府内高校教員ら出版(京都新聞)よりH22.07.26紹介
京都の自然や歴史、暮らしを地学の視点から写真で読み解くガイド本「写真で見る 京都自然紀行
」(ナカニシヤ出版)が出版された。京都府内の高校地学科の教員でつくる京都地学教育研究会の編著で、編集委員長を務めた洛東高教諭の西村昌能さんは「新しい発見を楽しんでほしい」と話している。
1988年発行「京都自然紀行」、99年発行「新・京都自然紀行」に続くシリーズ。11年ぶりの新刊は写真をメーンに据え、「環境」「地形・地質」「防災」「京のくらし」のテーマごとに京都を読み解く構成とした。
京都と近郊の自然現象として、下層の冷たい空気「逆転層」がつくる大江山の雲海▽山科盆地の夏の夕立「桃山四郎」▽琵琶湖の蜃気楼(しんきろう)−などを説明する。
また、朱雀大路の基準点の船岡山▽京都が海だったころの海底火山の痕跡(京都市右京区芹生)▽筆石(京丹後市)の海岸段丘と岩脈▽鯖街道をつくった花折断層▽2004年の台風23号の時の水位を示す標識(舞鶴市)▽京都駅ビルにある世界の石▽中央分水界(佐々里峠)−といった場所の話題も載せ、自然と人のかかわりを紹介している。
巻末には4億6千万年の京都の地史もまとめており、資料としても役立つ。
西村さんは「都の風景や暮らしがなぜこうなったのか、写真から分かります。知る人ぞ知る京都めぐりを体験してもらえれば」と話している。
宮沢賢治も使った?国内最古級の地質図発見(読売新聞)よりH22.07.14紹介
宮沢賢治が盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)で地質学や土壌学を学んでいた当時に使用されたとみられる国内最古級の地質図や文献類が、岩手大学情報メディアセンター図書館で見つかった。
日本に地質学が導入された当初の状況を知る上で第一級の資料。賢治の残した原稿には、これらの文献を示したと思われる記述があり、専門家の関心を集めている。
発見されたのは1880年代に当時の農商務省が作成・出版した最も初期の官製地質図「予察地質図(東北部、東部、中部)」など30枚以上の図類と、和洋の専門書約200冊。昨年10月に日本地質学会地質学史アーカイブス委員会や産業技術総合研究所(産総研)の合同調査チームが同図書館を訪れ、確認した。
予察地質図は、明治政府の招きで来日したドイツ人地質学者で、化石ゾウ「ナウマンゾウ」に名前を残すナウマン博士が現地調査などを担当。全国五つの調査地域のうち東北部が最初に作成された。今回の発見から同図の資料構成や改訂、印刷の状況などを知ることができるという。
賢治は1915〜20年に同校に在籍。発見された資料は当時、教材として使用されていたらしい。岩手県南部の「種山ヶ原」を題名にした賢治の随筆原稿には、この地質図を指すとみられる「古い地質図の古生界(古生代の地層)に疑いをもっていた」との記述もある。
これは、同県南部の古い地層を石灰岩を含む秩父地方(埼玉県)の古生界と同種としたナウマンの解釈に対し、現地の浸食状況などから起源の異なる岩石ではないかと反論を試みようとしたものと考えられ、賢治の指摘は現在の地質学による解釈により近い。
宮沢賢治学会会員の加藤碵一(ひろかず)・産総研地質調査総合センター代表は「当時の学説を記した資料で、賢治の作品にみられる専門用語や知識の背景を知る上で重要だ」と話している。調査チームは詳しく分析し、来年夏に愛知県豊橋市で開かれる地質学史の国際学会で発表する予定。
◆地質図
=特定の地域内にある地層(岩石)の分布を種類や年代ごとに色分けし、地質構造を示した図。断層や地滑りの危険性、地下断面なども示され、学術用途以外に、防災や土木、資源探査など実用面でも活用される。
長野県内土砂災害の仕組み研究 信大名誉教授が本を出版(信濃毎日新聞)よりH22.06.26紹介
信大名誉教授の川上浩さん(77)=長野市=が、県内で起きた土砂災害や発生のメカニズムをまとめた「山が動く土が襲う」を、信濃毎日新聞社から出版する。1963(昭和38)年に同大工学部の助教授に就いてから現在に至るまでの、各地の地滑りや土石流災害現場を研究した成果を収めている。
川上さんが土砂災害研究にのめり込んだきっかけは、同市松代町を震源とする「松代群発地震」が始まった翌年の66年、地殻変動に伴うわき水で起きた松代町豊栄の「牧内地滑り」。以来、水に着目しながら土砂災害のメカニズムや防止策の研究をしてきた。
著書の中では、地滑り、切土斜面の崩壊による労働災害、土石流の3部に分けて災害事例を紹介。85年に長野市で起きた地附山地滑り、2006年の集中豪雨で起きた岡谷市の土石流災害など33事例を、地質や災害発生時の雨量、地下水の分布状況などに言及しながら発生のメカニズムを説明している。
「土砂災害防止には、水の影響と地質の構造を知ることが大切」と川上さん。「それぞれの事例に当てはめながら、防災に役立ててほしい」と話している。
B5判、202ページ。2500円(税別)で、7月中旬ごろから販売する。問い合わせは信濃毎日新聞出版部(電話026・236・3377)へ。今月26日には川上さんの教え子が中心となり、記念講演などの出版記念パーティーを長野市内で開く。
上総掘り記録集:君津の会が出版 技術や工法紹介 /千葉(毎日新聞)よりH22.05.10紹介
人力だけで数百メートルの深井戸を掘り、地下水を自噴させる技術「上総掘り
」を研究している君津市の「上総掘りを記録する会」(鈴木欣也会長、会員13人)が、記録集「地下水のめぐみと上総掘り−−上総掘り関係文献集成」を出版した。上総掘りが全国に広がった経緯を知るために研究論文、調査報告、新聞、書籍、雑誌を調べ、近代の約100年間の記録をまとめた。
上総掘りは、竹ひごにつるした鉄管と角材をひもで結び、角材を踏み込む反動を利用する画期的な技術。電気や動力は不要で、明治時代から上総地方の小糸川や小櫃川流域での井戸掘り職人の工夫で発達し、全国に広まった。
飲料水の井戸のほか、かんがい用水、温泉、石油、ガス、探鉱の地質調査にも使われている。06年3月に国の重要無形民俗文化財に指定された。最近は東南アジアやアフリカでも人力で可能な掘削技術として受け入れられ、各地で飲料水を確保できるようになり喜ばれている。
今回出版した記録集には、木更津中学校が発表した「上総掘りの研究」▽旧小糸町や旧君津町の「飲料水調査」▽菱田忠義さんの「上総掘考」など、1893(明治26)〜1960(昭和35)年の34文献を収録。技術、用具、工法、歴史、広がり、上総掘りを築いた職人たちなどを紹介している。
井戸やヤグラ、職人の写真や地図で上総掘りを説明しており、貴重な資料として注目される。B5判、186ページで700部出版。全国約500カ所の公立図書館や博物館に無料で配布した。希望者には1350円(送料込み)で頒布する。問い合わせは事務局(電話0439・52・2143)へ。
世界遺産「紀伊山地」を解説 地質研究グループが本に(読売新聞)よりH21.12.08紹介
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」にある紀伊山地中央部の地質を約40年間、調査・研究してきた任意団体「大和大峯研究グループ」(代表=八尾昭・元大阪市立大教授、昨年8月解散)は、紀伊山地の名勝などを解説した「大峰山・大台ヶ原山 自然のおいたちと人々のいとなみ
」を刊行した。
同グループは、府内を中心とした教員や学生らが、主に休日を利用し、1970年から野外調査と分析作業を実施。地質学や古生物学に関係した報告を学術雑誌などで公表するなどしてきた。今回、これまでの成果と、深山・渓谷で見聞したことを紹介しようと昨年4月から執筆を進めてきた。
修験道の行場として知られる大峰山にある、高さ数百メートルの切り立った崖(がけ)「のぞき」は、どのようにできたか。奈良県東吉野村にあるニホンオオカミ終焉
(しゅうえん)の地とされる場所で、何が起きたのか――。こうした謎解きを交え、地質学以外に自然や信仰などについても分かりやすく説明している。
執筆者の一人、奈良県立橿原考古学研究所共同研究員の奥田尚さん(62)(八尾市)は「グループの研究成果は紀伊半島にとどまらず、日本列島の地質形成史の解明に貢献した。一般の方にも地質学、古生物学を身近に感じてほしい」と話す。
築地書館刊。A5判、172ページ(税込み1680円)。
ふくい地質景観の冊子発刊 福井市自然史博、100カ所厳選(福井新聞)よりH21.11.24紹介
福井市自然史博物館が発刊した「ふくい地質景観百選」。県内の優れた地質景観をオールカラーで紹介している
福井市自然史博物館が発刊した「ふくい地質景観百選」。県内の優れた地質景観をオールカラーで紹介している
福井県内各地に分布する多彩な地質景観の生い立ち、歴史に理解を深めてもらおうと福井市自然史博物館は、厳選した100カ所の特徴を解説した冊子を発刊した。カラー写真300枚で迫力を克明に伝え、専門用語をできるだけ使わず分かりやすく解説している。勝山市が「日本ジオパーク」に認定され、地質景観に関心が高まる中、自然の造形美と気軽に触れ合う格好のガイドブックになりそうだ。
都道府県レベルで地質景観を一冊にまとめたのは、全国でも珍しいという。
選定に当たっては、同博物館が昨年度開催した特別展「ふくい大地の物語 地質景観百選」の関連企画で行った、来館者や全国からの人気投票の結果を参考にした。ベスト10は投票結果をそのまま踏襲。11〜20位は投票結果を踏まえ、同博物館の吉澤康暢館長や福井大教育地域科学部の山本博文教授ら4人でつくる百選編集委員会が選んだ。21カ所目から100カ所目までは順位ではなく、北から南に地域ごとに掲載した。
ベスト3は、1位が越前松島(坂井市三国町)の玄武岩質安山岩(げんぶがんしつあんざんがん)、2位が夜叉ケ池(南越前町)、3位は龍双ケ滝(池田町)の凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)。観光地として有名な東尋坊(坂井市三国町)のデイサイト貫入岩(かんにゅうがん)は4位だった。日本ジオパークに認定された勝山市からは、法恩寺山南西の中腹にある弁ケ滝溶岩の板状節理(ばんじょうせつり)が紹介されている。
冊子では、これらの地質景観がどのような生い立ちを持ち、現在の姿になったのかなどを解説。1〜20位までは、写真で撮影したポイントを地図で示し、人気投票で寄せられた「ひとことコメント」も紹介している。
吉澤館長は「県内には、日本列島でも最古級の地層から約100万年前に噴出した新しい火山岩まで広く分布しており、時代的にも内容的にもとても変化に富んでいる。この冊子を持って現地を訪れ、大地の物語に思いをめぐらせてもらえれば」と話している。
A4判120ページでオールカラー。千円。同博物館で取り扱っている。問い合わせは同博物館=電話0776(35)2844。
科学の影「地質学の巨人―都城秋穂の生涯」(四国新聞)よりH21.10.02紹介
今年もノーベル賞の季節がやってきた。もっとも科学の世界も「光」ばかりではない。どろどろと欲望が渦巻く「影」もある。故・都城秋穂米ニューヨーク州立大名誉教授の文章を集めた「地質学の巨人―都城秋穂の生涯
」(東信堂)には、日本のそんな深い闇が描かれている。
都城さんは1960年代後半、東京大助教授から米コロンビア大に移籍。米国で始まった「プレートテクトニクス」という地球科学の基本理論の建設に加わり、極めて大きな貢献をした。
昨年7月に87歳で亡くなった後、パソコンに保存されていた遺稿を磯崎行雄東大教授が発掘。私信や科学雑誌に連載した記事も合わせ、全3巻の刊行が始まった。
第1巻は東大での生活を描く。講義する材料がないため、必ず1時間遅刻する教授。物理や化学の知識を使って岩石の成因を探ることに、なぜか反対する助手たち。
東大地質学教室の有力教授になると、自動的に学士院会員になり、文部省への発言力も増す。「自分だけが目立つ教授になろうと計画する人がいて、それが教室の学問を破壊し続けました」と都城さんの筆は厳しい。
近く出る第3巻では、プレートテクトニクスに反対する勢力から受けた迫害の実態が明らかにされるという。その背後にも嫉妬心があったと都城さんは指摘している。
幸い、日本の地質学は、都城さんの仕事に刺激された若手の力で発展し、世界をリードするまでになった。科学も人間の営みである以上、影は必ずつきまとう。
今週の本棚:森谷正規・評 『株式会社中華人民共和国』=徐静波・著(mainichi.jp)よりH21.08.30紹介
(PHP研究所・1260円)森谷正規・評 『株式会社中華人民共和国
』=徐静波・著
◇経済発展に適した政治の仕組み
日本の戦後政治が大きく変わるであろう日だ。政治は国の根幹であり、国の盛衰を左右する。戦後の大きな経済発展に、自民党政治が役割を果たしたのは確かだが、変わりゆく時代に自民党は対応できなかった。
さて、G2と言われ米国と並んで世界の二大強国になると予想されている中国の政治はどうなのか。共産党政権は、強大な国へ導くことができるのか。一党独裁の強権政治と見られているが、その内実はどうであるのか。“この国はサラリーマン組織である”と副題に掲げる本書を読むと、意外な政治と行政の仕組みにやや驚かされる。この際であるから、日本のこれまでの政治と比較してみたい。
まずは政治家の出身だが、胡錦濤主席の出世への道のりが詳しい。地方の茶葉専門店の息子で、清華大学水利工程系を卒業し、最貧の地の甘粛省に配属されて、五年間ダム建設に従事した。省建設委員会主任の秘書になったのが転機であり、中央党校で教育を受けて、共産党青年団で出世していく。辺地チベット自治区の書記つまりトップになり、行政能力が認められ、中央に呼ばれて着実に国のトップへの道を歩んだ。つまり、現場でこつこつと仕事をして実績を上げて昇進したのであり、サラリーマンと同じだというのである。
次いで温家宝総理の出世も詳しいが、胡主席によく似ている。教師の息子で、北京地質学院の研究生を経て、甘粛省で十数年、地質探査技師をして、中央に出て地質鉱産部副部長(副大臣)になって、トップへの道を歩み始めた。
この二人は、いまでは三分の一にもなった自民党の世襲議員とはまるっきり異なっている。日本の政治家には官僚出身も多いが、中央官庁で大きな権限を基に華やかな業績を上げた人たちであり、やはり違っている。中国では、江沢民、朱鎔基も理工系であり、現場で働いた経験を持っているのが、日本との大きな相違だ。
そこで、政治家と官僚の関係が日本とまったく異なってくる。政治局委員、国務委員、各部の部長(大臣)など政治家の多くが経験豊富な専門家であり、したがって部下の官僚へ依存するなどはありえない。科技部の新しい大臣は、ドイツに学んで、アウディに勤めて、ドイツ自動車業界の精鋭一〇人の一人にえらばれた技術者である。
このように現場経験を持つ人たちが政治を担うことになるのは、中国には選挙がないからである。自分の仕事に専念してきた各分野の人たちの中から優秀で有能な人材が選ばれて、地方政治に入り、抜擢(ばってき)されて中央に進む。その政治の世界では、選挙運動、地元への対策に時間を割くことがまったく必要ではない。
だが、情実や専横はないのか。本書は良い面ばかりを取り上げているという印象はあり、悪い面は、ひどい汚職の他はふれていない。だが、しばしば指摘される「太子党」(大物政治家の子弟)の格別の優遇は、国有企業などではあるらしいが、政治の世界では日本と違って中枢には入れない。専横から汚職につながる例は挙げている。だが、胡主席は厳しく監視しているようだ。
一党独裁の強権政治は、良いはずがなく、民主政治が良いに決まっている。しかし、良いと強いは別であり、発展途上国では“開発独裁”と言われるように、強権政治が経済発展に適している場合が多いのは、歴史の事実である。本書で中国の政治の仕組みを知ると、中でもこの国が経済発展に強い力を発揮する政治的な条件を備えていると、考えざるを得ない。
日本は、民主政治と国の立て直しに真剣に取り組まないと、強大な国に発展する中国に、やがて吹き飛ばされてしまう。
鳥取砂丘検定:公式テキスト発刊、地形など紹介−−実行委 /鳥取(毎日新聞)よりH21.08.27紹介
県や鳥取市、観光協会などでつくる「鳥取砂丘検定実行委員会」は9月の試験開催に向け公式テキストを発刊した。砂丘の地形や地質、歴史などをフルカラーで紹介している。
第1回砂丘検定は9月27日開催の予定。出題数は100問以内で、選択式と記述式がある。
出題の中心となるテキストは6章編成。イソコモリグモといった砂丘に住む絶滅危ぐ種の写真のほか、グラフや分布図で砂丘について分かりやすく説明している。キュッと鳴る「鳴り砂」などの豆知識を記したコラムも収録している。
A5判66ページ。840円。初版は2000部発行し、書店や鳥取市観光協会のほかネット販売もしている。
不気味な「沈黙」(asahi.com)よりH21.07.24紹介
大学生の時に読んで、色褪せないよう、机の引き出しに入れてきた文庫本がある。レイチェル・カーソン著『沈黙の春
』(新潮文庫)。1975年版(3刷)、320円。
カーソンさんはアメリカの海洋生物学者。エッセイストでもあった。地道にデータ収集・分析を行い、こんな警鐘を鳴らした。殺虫剤、除菌剤として大量散布されたDDTなどの合成化学物質が、動植物や人間の体内に蓄積され、生態系や人間の健康をむしばむ――。
1962年に米国で出版され、たちまちベストセラーに。当時のケネディ大統領の目にもとまり、政府の特別調査委員会が科学的調査を行った。結論は、化学物質の有用性だけでなく危険性を意識する必要がある、というものだった。
◇ ◇
それにしてもなぜ、書名は、『沈黙の春』なのか。本の冒頭に、差し迫る危機をわかりやすく描くために、こんな「寓話」が書かれている。
アメリカの奥深くに美しい町があった。春になると緑の野原に白い花がたなびいた。渡り鳥が洪水のように飛んできた。遠路はるばる、大勢の人たちがバードウォッチングにやってきた。だが、異変が起き始めた。何年も殺虫剤を大量に散布しているうちに、草や花は枯れていった。裏庭の餌箱にいた鳥はブルブルとからだをふるわせ、飛べなくなっていた。
「いつもだったら、コマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音ひとつしない。野原、森、沼地――みな黙りこくっている」
「寓話」だから、この記述のままの町があったわけではない。でも、カーソンさんは、アメリカには実際、春が来ても黙ったままになった町や村がいくつもあると書いている。
その延長線上で、人間が直面するものは? そんな問いかけを『沈黙の春』に込めたのだろう。
◇ ◇
街で暮らしていると、「にぎやかな春」をなかなか実感できない。でも、どうしても、アメリカの原風景に残る「にぎやかな春」を体験したい。思い立って、ネブラスカ州を流れるプラット川を訪ねたことがある。
毎年、何万羽ものカナダヅルが、メキシコなどからアラスカ、カナダに渡る。春、長旅の途中に、羽を休めて体力を回復するお気に入りの場所。それが、プラット川だ。ツルがここを好むのは、安心して眠れる、流れの緩やかな浅瀬が多いから。居心地のいい浅瀬は、時に大混雑になる。だから別名は、「ツルのニューヨーク」。
川辺の観察小屋で、じっと夜明けを待った。
すると――ツルの大群、まさに大群が、いっせいに水面から飛び立った。視界を埋め尽くすほどのツル、またツル。鳴き声はあたりに響きわたり、体じゅうが音に包まれた。
生命の躍動感に満ち溢れた、その一瞬。壮大なスケールでその一瞬を体験したことで、逆に、思い知らされた気がした。沈黙の春の、不気味さを。
◇ ◇
3億3千万年ほどの前の地球は、石炭紀と呼ばれている。石炭の元となった巨木がそびえ立った時代だ。リチャード・フォーティ著『生命40億年全史
』(草思社)によると、当事の濃密な森林は静寂に包まれていた。
音を出す生きものがいなかったからだ。聞こえるのは、昆虫がたてるカサコソという音か、両生類がたてる、くぐもった音だけ。恐竜や鳥が森に鳴き声を響かせるのは、ずっと後の時代である。
長い進化の時間をへて、地球上に広がった多様な生物の営み。そこから、はずみ、はじける生命の音――その音をどんどん消去していくのは、まるで進化の時計を逆戻しするような所業にも思える。
◇ ◇
『沈黙の春』の出版から半世紀近くがたった、私たちの地球。野生が黙りこくる原因は、どんどん増えている。有害な化学物質だけでなく、乱開発や水質汚染など多種多様な環境破壊で、鳥やその他の生物の生存が脅かされている。
カーソンさんなら、今のこの地球をどう書いただろうか。
あれこれ思いをめぐらせていたら、テレビで、いい言葉に出会った。燃料効率の良さをうたう家庭用燃料電池のCMで、昆虫好きの養老孟司
さん(東大名誉教授)がこう語っていた。
「都会の人の多くは家にとんでくる虫が減るといいなあとって思っているようです。でも、虫の住めない星には、いつか人も住めなくなります。自分たちが変えてしまった地球環境に、自分たちが淘汰されないように…」。
宇治七名水 桐原水の水質「良好」 住民の会が報告書(京都新聞)よりH21.06.15紹介
水環境の保全に取り組む地域住民の会「水を考える南山城の会」(岡本恒美会長)は、昨年秋から半年かけて京都府宇治市内で実施した、わき水・井戸の現地踏査(フィールドワーク)や水質調査などの結果をこのほど、1冊の報告書にまとめた。「宇治七名水」で唯一現存する桐原水の窒素とリンの濃度が、水質良好とされる琵琶湖の北湖とほぼ同じレベルだったなど、興味深いデータもある。
同会は、かつて「宇治七名水」と呼ばれた中宇治地域のわき水や井戸を見直す活動を、昨年10月から本格的に開始。この春までに、水質や水生生物、地形・地質の調査を含め3度の現地踏査を実施したほか、井戸がいまも残る個人宅への聞き取りや、七名水の歴史を学ぶ講座も行った。
報告書は、七名水の解説に始まって、現地踏査で訪れたわき水や井戸を写真と地図付きで紹介。
さらに、市内5カ所のわき水や井戸と宇治川で行った水質調査の分析結果を、文と表でまとめた。窒素とリンの濃度は多くの井戸で宇治川よりも高かった一方、化学的酸素要求量(COD)はすべて宇治川の値を下回り、汚れの度合いは川の水より低いとみている。
同会事務局の山田晴美さん(61)は「一連の調査で、中宇治地域には想像以上に井戸が残っていると感じた。今後は調査範囲を拡大し山城全域のわき水・井戸のデータベース化ができれば」と話す。
A4判42ページ。希望者には有料(活動支援費として1000円。送料込み)で配布する。問い合わせ、申し込みは山田さんTEL0774(24)7107。
今週の本棚:海部宣男・評 『見えない巨大水脈…』=日本地下水学会/井田徹治・著(毎日新聞)よりH21.06.07紹介
◇『 見えない巨大水脈 地下水の科学』 (講談社ブルーバックス・987円)
◇生命と文化を支えてきた「陰なる水」
咽喉(のど)が渇いたときの水ほど、うまいものはない。自然には感謝すべきものが(太陽をはじめ)たくさんあるが、水はその中でも、身にしみて有難い一つだ。太陽や酸素が嫌いな生き物はいるけれど、水なしで生きてゆける生き物は存在しない。
日照りによる飢饉(ききん)の話や雨乞(あまご)いの行事は、日本にも多い。最近、星にまつわるアジアの神話のワークショップを開いたところ、太陽がたくさんあって苦しんだ話が広く分布していることに驚いた。もちろん、日照りの記憶が残したものだろう。
人類が生きてゆくための水は、じつは目に見えない地下の水に多くを頼っているという。地球上の水では海水が圧倒的だが、塩辛くて利用に適さない。氷河も多いが、氷のままでは役に立たない。次に多いのが、地下水だ。地表を流れる川の水量の数千倍、湖沼の水の七十倍近くもあるそうだ。私も本書で初めて知った。
この本は日本地下水学会と環境ジャーナリストの協力で生まれた。いい組み合わせだと思う。データが豊富なのもよい。名水百選とか湧(わ)き水は知っていても、それが地下を長いあいだ流れてきたことにまで、私たちは思い至らない。地下水をあまりにも知らないので、この本を読むと新発見だらけで、面白いことこの上もない。全国の銘酒と地下水の成分、ビールと地下水の関係など、見逃せない方も多かろう。地下水は、地域を見直すきっかけにもなっている。
日本に数ある名水は、雨として降って地下に浸透し、平均して数年から十年以上、地下の透水層(空隙(くうげき)が多く水を含みやすい地層)をゆっくり流れて過ごす。そのあいだにきれいにろ過され、地下の地質に応じたミネラルを溶かし込んで地表に湧き出るのだ。ペットボトルの水はほとんど地下水だが、地下水は余計な混じりけが少なく、おいしいのである。
地下に隠された盆地に長くとどまる水(化石水)もある。京都盆地の下には、琵琶湖に匹敵する地下水が確認された。その豊かな水が京都の文化にも大きな影響をもたらしたそうな。東京湾岸の下にも大規模な化石水が存在するし、最近では関東平野一帯に巨大な「関東地下水盆」を想定するようになったという。こうして読むと、やはり科学はすばらしい。見えないので掘ってみるしかなかった地下水の分布を、立体的に描くことさえ出来るようになったのである。
だが、地下水も例外ではない。人類はこの豊かな地下資源を、危機に追い込んでいる。世界の穀倉地帯・アメリカ中部の大(グレート)平原(プレーンズ)の農業は、長いあいだ地下水による大規模灌漑(かんがい)に頼ってきた。日本より広い「オガララ帯水層」の化石水が支えていたのだが、さすがに枯渇しはじめ、農地の減少が目立つという。他人事ではない。日々の食糧をこの大穀倉地帯に頼っている日本の私たちも、干上がってしまう。世界の大規模農業はほぼこうした化石水に頼っており、状況は同じだ。地下水は、世界の食糧問題を支配している。
地下水の汚染も、世界的問題だ。日本では、工業用水の使いすぎなどによる地盤沈下が止まっていない。本書は丁寧に状況や対策を取り上げるが、地下水は回復が難しいのだ。
いっぽう、地下水を可視化しその動態も含めて総合的に理解する「地下水の流域管理」という概念は、興味を引く。目に見えなかった地下水にも、川や空気同様「公共のもの」という考えが生まれ育っている。私たちにとって、大事な水だ。その重要な部分を担う地下が見えてきたことはともかくも大きな進歩なんだと、そう思いたい。
日本地方地質誌「関東地方」刊行記念シンポジウム(産業技術総合研究所)よりH21.05.03紹介
関東地方の地質:研究の進展と今後の課題
2008年10月30日に、日本地方地質誌「関東地方」(日本地質学会編)
が朝倉書店より刊行されました(同誌の刊行には、編集委員および執筆者として、産総研地質調査総合センターの職員が多数関わっております)。
本シンポジウムは同誌の刊行を記念して開催されるものであり、地方地質誌の内容の紹介、および今後の関東地方の地質学的課題を提示することを目的としております。
【書評】『富士燦々(さんさん)』文、ネイチャー・プロ編集室(フジサンケイ ビジネスアイ)よりH21.04.20紹介
■四季折々、異なる美の霊峰
富士山は簡潔な山容で「和の美」を自ら具現した高峰。四季により、また眺める地点によって、異なる風姿を見せてくれる。そのえりすぐりの美しさを積層させた写文集だ。
朝の光を浴びた夏の山体は、北斎の絵より赤い。山頂に輝く陽が昇ればダイヤモンド富士、静かな満月がかかればパール富士。雲海に自らを投射すると影富士が現れる。高層大気との作用で雲がわく。代表格の笠雲は崩れる天気の前触れなのだ。
富士にまつわる文学や工芸品もある。黒い空と黄色い山の頂に宝珠形の御神火をあしらった陣羽織には桃山時代の大胆さが脈打っている。無駄のない文章は、噴火史や地質学にまで及んで有用だ。英訳付き。『富士燦々(さんさん)
』(写真・尾形真隆ほか/1890円、角川書店)
歴史を変えた気候大変動 [著]ブライアン・フェイガン(朝日新聞)よりH21.04.15紹介
■ディケンズも小氷河期を生きた
なるほど、歴史には地政学もあるが、気候学もあるなと思わせる好著。“最近の地球はおかしい”といった“現世視野”でないのがいい。
に、しても、1300年頃から1850年頃まで約500年間、リトル・アイス・エイジ=小氷河期と呼ぶべき時期があったとは。ただし、ずっと極寒だった訳ではなく、気候がめまぐるしく変動したらしい。この間、黒死病、イギリスの囲い込み農業の開始、フランス革命やアイルランドのポテト飢饉があった。自分で耕し、食べ、あげくに重税を課された農民が圧倒的多数だった時代。飢饉(天地災害)と飢餓(統治者の無策)が人類の歴史を作ってきた。自然に翻弄されたこの歴史に、化石燃料の使用という人為的要因が乗っかったのが現代という訳である。人間は恐竜と同じ運命を辿るのか!?
それは各自で考えて頂くとして、本書の話題は広い。骨まで冷える描写が巧いディケンズは1690年以来、最も寒かった10年間に子供時代を過ごしているとか、寒さ厳しいスイスのバイロン邸での夜伽話からメアリー・シェリーのフランケンシュタインは生まれたとか、文学や絵画の話題も豊富。本書を親しみやすい読み物にしている。 ◇
東郷えりか、桃井緑美子訳
歴史を変えた気候大変動
(河出文庫)
著者:ブライアン フェイガン
出版社:河出書房新社 価格:¥ 998
長崎豪雨災害:記録と教訓、後世に 長崎大・高橋教授が出版 /長崎(毎日新聞)よりH21.04.13紹介
長崎大工学部の高橋和雄教授(63)がこのほど、「豪雨と斜面都市−1982長崎豪雨災害
」(古今書院、税別2500円)を出版した。高橋教授は「近年のゲリラ豪雨は長崎豪雨と降雨パターンが似ており、全国で発生リスクが高まっている。本書を通して一人でも多くの人に教訓を生かしてもらえれば」と話している。
A5判180ページ。豪雨災害とその対応▽災害の記録▽災害と交通▽都市施設の被害と復旧▽長崎防災都市構想の策定と復興▽継承したい災害教訓−−の6章で構成されている。
災害当日、高橋教授(当時は助教授)は大学で仕事していた。突如、けた外れな勢いで雨が降り始め、国道でバスは立ち往生、市民が大学に避難してきた。「道路にたたきつけられた雨のしぶきが1メートルぐらい跳ね上がって、雨が下から上に降っているようだった」と振り返る。
その後は長崎大調査団の一員となり、都市や橋などのインフラ、自動車がどのような被害を受けたかなどを調査。長年、長崎の復興、斜面市街地の町づくり、情報伝達システムのあり方などの課題を追い続けてきたが、災害から四半世紀余りが過ぎ、今回まとまった形で記録を残すことにした。
高橋教授は「ライフワークとして長崎豪雨災害の調査研究を手がけてきたが、本書がその集大成で一つの締めくくりになる」と語った。==============
■ことば ◇長崎豪雨災害
82年7月23日の夕方から夜半にかけて集中豪雨が発生。長崎市中心部では河川はんらん、郊外部で土砂災害が生じ、死者・行方不明者299人、被害総額は3153億円に上った。
支局長からの手紙:さぬき山 /香川(毎日新聞)よりH21.03.24紹介
富山支局勤務時代に知り合った大学の先生が先日、研修旅行で学生を香川に連れて来た時の話をしてくれました。「学生たちは、香川の高速道路から見える山を見て『これは山なの』と言うんですよ」。確かに平野部から3000メートル級の峰々が望める富山と、平野にぽこんぽこんと可愛い山がある讃岐平野の景観はずいぶん違います。富山で育った学生たちが「これは山?」と思うのも不思議ではないかもしれません。
県観光振興課長の那須幹博さんから最近いただいたお便りで、讃岐平野の山を「さぬき山」と呼ぶ人がいることを知りました。「県外の方は、突然平地からお椀(わん)を伏せたように盛り上がっている山を見て衝撃を受けるそうです。そして、誰が名付けたわけでもないのに、多くの県外の観光客の方が、それらの山を総称して『さぬき山』と呼んでいます。日本昔話に出てくるようなおむすび型の山にはとっても癒やされるとも言ってくれています」と、那須さんは書いています。
私も初めて香川に来た時、まず注目したのは、特徴ある山の姿でした。余りにきれいな山の形に冗談で「古代のピラミッド?」なんて言ったこともありましたが、あの形にはちゃんとした理由があるそうです。「さぬき山」は地質学的には「ビュート」というとか。これも那須さんのお便りで知ったのですが、手元の「地理用語集
」(山川出版社)を見ると、「平坦(へいたん)な頂面、周囲に急斜面を持つテーブル状の地形」である「メサ」の侵食が進み「孤立丘となったものはビュートと呼ばれる」とあります。「メサ」の一つが屋島ですから、屋島と「さぬき山」たちは“兄弟”のような関係といえるのですね。
那須さんによると、飯野山(讃岐富士、丸亀市・坂出市)などでは里山トレッキングのバスツアーで県外から多くの人が訪れているそうです。
最近買った「香川県の山
」(高松勤労者山の会著、山と渓谷社)には、県内の50の山について、登山コースが紹介されています。飯野山の項を見ると、歩行距離6キロで所要時間2時間25分。支局の近くの石清尾山(高松市)は同じく6キロ、3時間20分とあります。季節は春。ぜひ1峰でも登頂したいと思いました。
『再現!巨大隕石衝突 6500万年前の謎を解く』(日経ビジネス
オンライン)よりH21.03.05紹介 そうなんだ@為五郎
『再現!巨大隕石衝突 6500万年前の謎を解く
』松井孝典著 岩波科学ライブラリー 岩波書店 1200円(税抜き)
ジュラシックパークというマイクル・クライトンの著書や映画をご存じの方は多いだろう。化石になった恐竜の卵をもとに、クローン恐竜を再生する話だ。かつてジュラ紀といわれる地質時代には、恐竜が地球上にはびこっていた。それが、ある時突然絶滅した。さまざまな原因が考えられたが、どうやら大型隕石が地球に衝突し、そのため気候が激変したのが主要因ではないか、という説が生まれた。
確かにユカタン半島に巨大なクレーターが発見され、それを精密に検証するとどうやら大衝突はあったらしいことが分かってきた。著者の専攻は比較惑星学である。
地質学的に言うと6500年前の地層は専門語としてK-T層と呼ばれている。白亜紀と第三紀との境目という意味だ。地層で「紀」の境目は重要だ。前の紀と次の記で化石どのような変化があるかを調べると、地球上の生命の変化が分かるからだ。
ところがヨーロッパからK-T層の間に化石をまったくも含まない薄い層があるという報告がされた。色めき立った地質学者は直ちに世界中のK-T層の調査を始めた。K-T境界の地層からはわずかだがイリジウムが検出された。
イリジウムは世界中どのK-T境界層でも発見されたが、メキシコ湾岸(カリブ海のユカタン半島)で分厚いK-T境界層が発見され、イリジウムも多く出た。メキシコ湾のユカタン半島沿岸ではT-K境界層の9メートルもの厚い堆積層が見つかった。
世界中の地層学者がその謎を解くべく頭脳を結集した。異常に厚いK-T境界層がメキシコ湾岸で見つかったことで、ひょっとしたらそこが常々言われていた、大隕石の落下地点ではないかという考えが共通認識になってきた。
大隕石の大きさは直径10キロメートルと言われていた。そのような大隕石が秒速8キロメートルほどのスピードでユカタン半島にぶつかった。シミュレーションで計算すると直径200キロメートルほどのクレーターができると推測された。
では直径10キロの隕石(これくらいの大きさの小惑星はいくつもある)が地球と衝突した瞬間になにが起こるか。衝突は大きく深い穴を穿つ。その穴に周囲の海水が流れ込む。周辺の海岸では、それまでになかったような引き潮を観測するだろう。それに続いて何波にも分かれた大津波が押し寄せる。津波の高さもけた外れだ。波高300メートルの津波がアメリカ大陸に押し寄せる。
衝突口の深さは3万メートルほどで、これはちょうど地殻の厚さに相当する。すると地殻が吹っ飛ばされてその下のマントルが露出する。マントルとしてはいきなり地殻の圧力がなくなり、「圧力降下による溶融」という現象が起き、ドロドロに溶けてしまう。海水は蒸発してしまう。
そして、隕石孔に周囲の海水がなだれ込む。相互にぶつかり合い大きな波高の山がうまれる。もっとも恐ろしい水蒸気爆発が起こる。地球は噴出する水蒸気によって完全に雲に覆われる。あらゆる、環境システムが激変する。そこの住む恐竜たちは、もはや生きてはいけない。
直径10キロメートルもあるような隕石の衝突に我々は直面するのか。著者はその可能性はゼロではないが、きわめて低いとう。それでも地球という惑星誕生の当初には何億回もあった。そもそも、地球の素材は隕石だったのだから。数多くの隕石が宇宙空間で一緒になり、太陽の引力と釣り合ったとき、地球が誕生した。そのころは隕石が土砂降りだった。
『火星の生命と大地46億年』(日経ビジネス オンライン)よりH21.03.05紹介
『火星の生命と大地46億年
』ビック・ベーカー ジェームス・ドーム著 丸山重徳訳 講談社 1800円(税抜き)
地球より1つ外側の火星は、地球とほぼ同時に誕生した。地球の年齢はおよそ46億年だから、火星の年齢も46億年歳となる。
本書の半分はSFである。火星上に着陸した宇宙飛行士たちが、それまでの地球からの科学的観測の結果を基に、地上探査をする。2030年のことである。ゴジラと呼ばれる船外機を使って、火星に降り立ち、船外活動をする。探査の目的はかつて火星には水があったか、生命はあったか、という大きな目的だった。水の存在は火星周遊衛星の探査によってほとんど確実と見られていたが、ヒューストンは事実を裏付ける証拠が欲しかった。こうなると火星探査は地質学者の出番となる。
火星に降り立った宇宙飛行士たちはまず風景に圧倒される。火星の大きさは地球の8分の1にすぎない。だから重力は2.6分の1だ。しかし、259
日間に及ぶ地球・火星間飛行で、筋肉が退化している飛行士たちは良く転ぶ。転んで宇宙服に穴が開いたら一巻の終わりだ。
風景は圧倒的だった。マリネリス峡谷と名付けられた谷間で、アメリカのグランドキャニオンに良く似た地形の場所だった。ところがスケールが極端に大きい。深さは9キロ、幅は200キロ、長さは4000キロという大きさだ。峡谷越しにオリンポス山が標高2万6000メートルでそびえ立っている。
長く危険な踏査の末に、火星飛行士は石灰岩の地層の中に「ストロマトライト」の化石を発見した。オーストラリア西海岸にある石灰岩地帯に1つの小さな池がある。シャークス・ベイと呼ばれている。
そこにストロマトライトという藻類が付着した岩が露出している。地球でもっとも古い生物化石の1つで、火星飛行士が発見したストロマトライトの化石は、火星にも誕生したばかりの地球と同じ様な生物があったことを示している。その化石のサンプルを採取しようとして火星飛行士の1人が崖から墜落し、その衝撃で宇宙服に裂け目が出来て死亡した。しかし、彼はしっかりと大きなストラマトライトの化石を抱きしめていた。
SFなのだが、こんなことは2030年には起こり得るな、と感じさせるような火星飛行士の死である。火星に一時期水があり氷河があり海があり、地球と同じように生命があふれていたと想像するのは宇宙ロマンの中でも一番リアリティがあるな、と本書は教えてくれる。
『地球46億年全史』(日経ビジネス オンライン)よりH21.03.05紹介
『地球46億年全史
』リチャード・フォーティ著 渡辺政隆、野中香方子訳 草思社 2800円(税抜き)
地質学なんかとても退屈なものだと思ってきた。何とか層と何とか層が重なって地層が地表に現れる。地質学者は倦むことなく鉱石採取ハンマーを片手に世界中の地層の露岩を尋ねていく。時にそれは冒険や探険でもある。
リチャード・フォティは以前に同じ出版社から『生命40億年全史』という本を出している。(本欄で紹介済み)。それはとても面白かったので本書には期待した。はたして、地味に思われる地質学を、生き生きとドラマチックに見事の書き切っている。
まず読者は地層がむき出しになった露岩を訪ねる世界旅行に付き合わされる。まずベスビオス火山の大噴火で地中に埋もれて死の都市となったポンペイへ。手には採石ハンマーと、18世紀の偉大な地質学者チャールズ・ライエルの『地質学原理』を抱えた旅だ。
エーゲ海に浮かぶ白亜の島、サントリニ島は観光名所として良く知られている。全島石灰石で覆われている。石灰石を切り出して町を構成したのだから、どの家も真っ白に輝いている。石灰石の地層を見つけると著者は喜びに小躍りする。いったいどんな化石が眠っているのだろう。
著者の好奇心はいくつかの海洋性の動物の遺骸の化石を見つけただけでは収まらない。さらに、ヨーロッパアルプスを訪れ激しく歪んだ地層を発見する。地層が折れて押されて固まり、また折れてまた固まる、と周期的に変動して出来たのがヨーロッパアルプスなのである。観光客を魅了するアルプスの高峰は、地中海の南のアフリカ大陸に激しく押され潰されて出来た山脈だという。
次にハワイ諸島を訪れる。プレートテクトニクス理論では、ハワイ諸島は「汽車は出ていく煙は残る」と形容される。ハワイ諸島はすべてが火山島で、西に大きく動くプレートが次々に噴火を起こし、どんどん西向きに出発した列車のようなものだ。噴火が残ったのはビッグアイランド・ハワイ島だけで、現在も活発な活動を続けている。でもあと数百万年もすると、ハワイ島も死火山となり、現在よりずっと西に移動するであろう。
古い地層は化石だけではなく、美しい宝石も生み出す。巨大なルビーやオパールや、サファイアや、ダイアモンドまで生み出す。金銀鉱はもとより、地質学者は1本のハンマーを元手に一攫千金のチャンスさえある。ウランやリチウムといった希少金属も、最初に手掛かりを発見するのは地質学者だ。
本書の楽しみは、地質学的な目で世界を周遊することだ。何度も行ったところでも、新たな視点で見ると、まったく新しい見聞旅行になるものだ。もう一度ハワイに地層の旅というテーマで行ってみたい。地質は古代への知識が一杯詰まった古文書のようなものだ。
【書店員のオススメ】『リーダーシップとニューサイエンス
』 (MSN産経ニュース)よりH21.02.15紹介
「ニューサイエンス」という言葉の響きには惹(ひ)かれるものがある。「混沌(カオス)」を単純に還元する傾向のある機械論的言説が飛び交う時代に、「組織と人」そして「社会を創(つく)る人間の知恵や勇気」を余すところなく用いる世界を志向する、今までの通説にはないリーダーシップ論が読めるとは期待大である。本書は1992年にアメリカで生まれ、組織論に新しい風を吹き込んでロングセラーとなり、ようやく今、日本へとたどり着いた。この混迷の時代にこそ、売れてほしい本だ。(マーガレット・J・ウィートリー著/英治出版・2310円)
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