俳諧七部集

『続猿蓑』(沾圃編)


元禄7年、撰集。俳諧七部集の一。元禄11年5月、刊行。

沾圃は能役者宝生流第十世宝生佐大夫。

元禄8年(1695年)10月12日、『翁草』の序を書く。

巻之上

八九間空で雨降る柳かな
   芭蕉

   春の烏の畠掘る声
   沾圃

巻之下

   春之部

顔に似ぬほつ句も出よはつ桜
   芭蕉

   梅 附 柳

春もやゝ氣色とゝのふ月と梅
   芭蕉

鶯や柳のうしろ藪のまへ
   芭蕉

   歳 旦

人もみぬ春や鏡のうらの梅
   芭蕉

   穐之部

   名 月

名月に麓の霧や田のくもり
   ばせを

名月の花かと見えて棉畠

ことしは伊賀の山中にして、名月の夜この二句をなし出して、いづれか是、いづれか非ならんと侍しに、此間わかつべからず。月をまつ高根の雲ははれにけりこゝろあるべき初時雨かな、と円位ほうしのたどり申されし麓は、雲横(よこほ)り水ながれて、平田渺々(べうべう)と曇りたるは、老杜が唯雲水のみなり、といへるにもかなへるなるべし。 その次の棉ばたけは、言葉麁(そ)にして心はなやかなり。いはゞ今のこのむ所の一筋に便あらん。月のかつらのみやはなるひかりを花とちらす斗(ばかり)に、とおもひやりたれば、花に清香あり月に陰ありて、是も詩哥の間をもれず。しからば前は寂寞をむねとし、後は風雅をもつぱらにす。吾こゝろ何ぞ是非をはかる事をなさむ。たゞ後の人なをあるべし。

支考評

深川の末、五本松といふ所に船をさして

川上とこの川下や月の友
   芭蕉

いなづまや闇の方行五位の声
   芭蕉

   伊賀の山中に阿叟の閑居を訪らひて

松茸や都にちかき山の形
   維然

まつ茸やしらぬ木の葉のへばりつく
   芭蕉

   いせの斗従に山家をとはれて

蕎麦はまだ花でもてなす山路かな
   芭蕉

 本間主馬が宅に、骸骨どもの笛鼓をかまへて能するところを画て、舞台の壁にかけたり。まことに生前のたはぶれなどは、このあそびに殊(異)ならんや。かの髑髏を枕として、終に夢うつゝをわかたざるも、只この生前をしめさるゝものなり

稲づまやかほのところが薄の穂
   ばせを

家はみな杖にしら髪の墓参
   芭蕉

   冬之部

   時 雨 附 霜

けふばかり人も年よれ初時雨
   芭蕉

   釈教之部

ねはん会や皺手合る数珠の音
   芭蕉

甲戌の夏、大津に侍りしを、このかみのもとより消息せられければ、旧里に帰りて盆会をいとなむとて

家はみな杖にしら髪の墓参
   芭蕉

   旅之部

   送 別

   元禄七年の夏、ばせを翁の別を見送りて

麦ぬかに餅屋の見世の別かな
   荷兮

別るゝや柿喰ひながら坂の上
   惟然

   許六が木曾におもむく時

旅人のこゝろにも似よ椎の花
   芭蕉

   留 別

鮎の子のしら魚送る別哉
   芭蕉

元禄三年の冬、粟津の草庵より武江におもむくとて、嶋田の駅塚本が家にいたりて

宿かりて名をなのらするしぐれかな
   ばせを(う)

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