芦野ゝ里なる道野辺の清水に西上人の俤もゆかしくその木陰に我も彳て残暑を凌く
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宝暦(1751−1764)中、白井鳥酔も遊行柳を訪れたようである。
宝暦中、鳥老師、山鯉房を携へ奥羽行李の戻りそこの田畔に立寄り、其繊枝を手折り、笠の端に挿み、武中栗橋駅愛弟梅沢氏素人氏が窓外に刺す。今一庭を蔽て八九間空にしられぬ雨を見る、同州八王子の郷、執友窪田氏古由君其一朶を懇に乞覓(もと)め園裡に養ひ給ふ。此時亭々として舎蓋に彷彿たり。ことし明和五戊子の春正月望の日、志村氏書橋君又其梢をみづから折て一章を添らる。是を榎本氏の室女星布平願をもつて鳥老師におくれるを爰の沢辺に移す。
武都松露庵 侍瓶 昨烏題す
似た僧のけふも立寄る柳哉 鳥酔
加舎白雄「移柳の文」
大磯町の鴫立庵に「遊行柳子碑」がある。
安永2年(1773年)、加舎白雄は遊行柳を訪れた。
道の辺の柳をけふこそ見るなれ。先のとし鳥師行李の帰るさ頌嘆のあまりに一枝を折て笠の端にさしはさみうつし植し、今東道鴫立庵の一沢を覆ひてゆきゝの人をねむらす。一枝を折し罪を風流に換られしよ。楊柳情ある時は何ぞくゆべき。其柳此柳ともに枝幹ともにみどりなり。西上人はむかしにして鳥師のおもかげ柳にそふて柳になつかし。
秋の柳をれくち淋しもしやそれ
鳥師は白井鳥酔のこと。
大島蓼太も遊行柳を句に詠んでいる。
小林一茶も遊行柳を詠んでいる。
不細工の西行立り柳かげ
『文化句帖』(享和4年正月)
境の明神へ。
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