正岡子規の句碑
横須賀や只帆檣の冬木立

JR横須賀線横須賀駅前の横須賀市汐入町にヴェルニー公園がある。
ヴェルニー公園の東端に正岡子規の句碑があった。

横須賀や只帆檣(はんしょう)の冬木立
平成3年11月、建立。
明治21年(1888年)8月、正岡子規は夏期休暇を利用して、友人とともに汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉に遊んだ。碑の句は、横須賀港内に連なる帆檣(ほばしら)の印象を詠んだもので、句集『寒山落木』に収録されている。
正岡子規は、慶応3年(18673)9月17日、伊予国温泉郡(現・愛媛県松山市)に生まれ、本名を常規(つねのり)といった。
松山中学校時代は政治家志望であったが、上京後は文学に転じ、文科大学国文科(現・東京大学)に進んだ。
子規は、写実(写生)を主張して、空想を排する俳句の革新を行った。
その考えを新聞「日本」紙上に、『獺祭書屋(だっさいしょおく)俳話』(明治25年)、『俳諧大要』(同28年)として表した。また、句作は生涯に2万句を数え、特に明治25年(1892年)から同31年(1898年)までは毎年千句以上を創作した。同30年(1897年)には「ホトトギス」が創刊され、以来子規派の雑誌として注目された。一方、30年には、『歌よみに与ふる書』を「日本」に掲載し、短歌の革新にも着手した。これは、俳句で主張した写生を短歌の上にも及ぼしたものであった。
子規は、明治35年(1902年)9月19日、35歳の若さで亡くなったが、彼の主張は、俳句では、高浜虚子、河東碧梧桐らが継承し、短歌では、斎藤茂吉、島木赤彦らの「アララギ」派に受け継がれていった。また、彼の提唱した写生文は、夏目漱石、伊藤左千夫ら後続の文学者に影響を与えた。
横須賀市
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