小林一茶ゆかりの地

〜秋の夜長の世噺し〜


俳諧寺一茶の隠れ湯「衆苦を忘る不思議の別世界」湯田中

 夜8時から「よろづや」のロビーで「秋の夜長の世噺し」があるというので、聞いてみることにした。

 お噺しは一茶・井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」研究員で「よろづや」相談役の小野久雄氏。「秋の夜長の世噺し」を聞くのは2人だけ。2人の為に小野久雄氏は資料を持って来てくれた。

一茶・井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」


晩年の悲痛な家庭環境と湯田中での艶聞

 文化9年(1812年)11月14日、一茶50歳の時、江戸を引き上げる。24日、柏原に帰り、借家住居して越年。

五十年踊る夜もなく過ぎにけり   『七番日記』

 「五十年」は主に江戸での暮らしであろうが、晩年柏原に帰ってからの家庭環境はさらに悲痛なものであった。『文政句帖』文政5年の句に「六十年踊る夜もなく過しけり」がある。

 一茶は52歳で結婚し、三男一女が生まれたが、それぞれ生まれてから一年前後で亡くなってしまう。一茶61歳の時、妻に先立たれる。62歳で再婚するが、すぐに離婚。

文化11年(1814年)4月11日、52歳で野尻村赤川の常田きくと結婚。

十一 晴 妻来 徳左ヱ門泊

『七番日記』(文化11年4月)

徳左ヱ門は仲人。

千代の小松と祝ひはやされて、行すゑの幸有らん迚、隣々へ酒ふるまひて、

五十聟天窓(あたま)をかくす扇かな

『解註一茶文集』

 一茶はその年の7月22日に柏原を発って江戸に向かい、12月25日に帰るまで柏原を離れている。

 文化13年(1816年)4月14日、長男千太郎が生まれるが、5月11日没す。

蛙たゝかひ見にまかる四月廿日也けり

痩せ蛙負けるな一茶是にあり

『七番日記』(文化13年3月)

文政元年(1818年)5月4日、長女さとが生まれる。

四 晴 柏原ニ入 キク女子生ム

『七番日記』(文化15年5月)

こぞの五月生れたる娘に一人前の雑煮膳を据ゑて

這へ笑へ二つになるぞ今朝からは


翌年の6月21日、痘瘡で没す。

 サト女此世ニ居事四百日。一茶見親百七十五日。命ナル哉今巳ノ刻歿。

『八番日記』(文政2年6月)

露の世は露の世ながらさりながら

一念仏(ひとねぶつ)申だけしく芒哉

秋風やむしりたがりし赤い花


名月や膳に這よる子があらば

『八番日記』(文政3年8月)

 文政3年(1820年)10月5日、次男石太郎が生まれるが、翌年の1月11日、母の背中で窒息死。

岩になれとくなれさざれ石太郎

   一七日の墓

陽炎や目につきまとふ笑ひ顔

『八番日記』(文政4年)

 文政5年(1822年)3月10日、三男金三郎生まれるが、翌年の12月21日没す。

 文政6年(1823年)5月、妻きく没す。(享年37歳)

[十]二 陰 時々晴 菊女没

『文政句帖』(文政6年5月)

 文政7年(1824年)5月22日、飯山藩士の娘雪と再婚するが、8月3日離縁。

[廿]二 晴 飯山家中田中氏女イ(ユ)キ卅八今夕方来

『文政句帖』(文政7年5月)

三 晴 犬鰹節一本引 雪女離縁 ト英来

『文政句帖』(文政7年8月)

へちまづるきつてしまへば元の水

一茶の「青楼文化」湯田中で実る

 一茶は湯田中湯本旅館を定宿として153日泊まる。一茶は温泉好きで、湯田中には青楼・仙窟があった。そして湯本旅館の主人湯本希杖・其秋父子が歓待したためである。

 「青楼」は妓楼のこと。「仙窟」は俗界を離れたすみかで、同じようなもの。いくら「湯本旅館の主人湯本希杖・其秋父子が歓待した」といっても、それだけでそんな所で遊べるはずがない。

 文化9年(1812年)11月24日、一茶は柏原に帰り、翌年の正月、明専寺住職の調停により異母弟仙六と和解が成立し、父の遺産の半分を受け取っている。

 一茶が52歳で24歳年下のきくと結婚したのも、62歳で再婚したのもお金があったからであろう。

一茶ゆかりの宿湯田中湯本


精出してそよげわが竹今のうち

きりぎりすその大根も今引くぞ

 文化10年(1813年)、一茶は湯田中の青楼・仙窟で独身最後の年を満喫。

 文化11年(1814年)4月11日、一茶は52歳で結婚するが、翌年5月2日から10日まで湯田中に滞在。

 文政2年(1819年)、一茶は5月28日から6月5日まで湯田中滞在。

   田中川原如意湯に昼浴みして

なほ[を]暑し今来た山を寝てみれば   一茶

『おらが春』

如意湯は門人湯本希杖が河原に設けた別荘の湯。



   田中川原如意湯に昼浴みして

なを暑し今来た山を寝てみれハ

文政5年(1822年)12月18日

高井郡高き山陰に異湯の湧く仙窟あり

 湯のある所は山陰ながら、糸竹の声常にして老の心もうき立て、さな(が)ら仙窟(に)入りしもかくやあらんと覚ゆ。十娘五嫂の舞ひ、遊女くゞつ(の)声、時ならぬ花の咲く心ちす。彼上人のぼさつと見給ふもむべなる哉。此楼に上れば、一時に衆苦を忘る。ふしぎの別世界也けり

三絃(さみせん)のばちで掃きやる霰哉

「十娘五嫂の舞ひ」は唐代の伝奇小説『遊仙窟』に拠る。

「彼上人」は書写山の性空上人。

 此長者、遊女として年を送しかとも、誰か是を生身の普賢とは露思侍し。只なめての女とこそ思ひけめ。実の菩薩にてをはしましける事、けにけに忝そ侍る。

『撰集抄』(巻六第10 性空上人事)



三絃のばちで掃きやる霰哉

 お噺しが終わってから小野久雄氏に一茶・井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」に行ってみたが休館日だったことを告げると、明日来るなら開けるように伝えておくとおっしゃっる。

それほど機会があるわけではないので、翌朝行ってみることにした。

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