若山牧水ゆかりの地

碓氷峠

明治41年8月6日、若山牧水は軽井沢から碓氷峠を越えて坂本に向かった。

其うち彼女自身の上に容易ならぬ動揺の起りかけた事を知らして来た時、私は直ぐ其日に軽井沢を立った。よしや帰った所で私の力で如何することも出来ぬ事をば知り抜いていたが其儘じっとしていることは出来ず、騒ぐ心を暫らくも瞞着せむため、わざと汽車にも乗らず雲の懸っている碓氷峠を歩いて越えた。 麓まで送って来て呉れたT、M両君に後で逢った時、山に登って行く君の姿が馬鹿に寂しかったと言われたが、実際私のそうした感情は其時限りに破れて了ったものと云ってもいい。それから上野停車場に着いて以後今日になるまでの自身の生涯の動揺は次第に暗く、打続いて来ているのである。

「火山の麓」

「彼女」は園田小枝子、「T君」は土岐哀果である。

碓氷峠


7月28日、軽井沢から同郷の友人に出した葉書がある。

 数日前からこんな所へ来て居る、信州の高原、浅間と碓氷との中間に位して居る土地だ、海抜四千尺に近く雲星その他の印象甚だ他と異って居る、(西洋人について来てその仕事を手助って居るのだ、)

明治43年、牧水は碓氷峠を越えて追分に向かう。

 日光(ひざし)の淡い日であった。

 正午(ひる)少し下った頃、私は独り碓氷峠の絶頂の古茶屋の庭の床几に腰かけて居た。ツイ眼のまえのから幾多の山が浪を打って遠くの方へ続いて居る。 曇ったともつかぬ淡い雲の中の大要は夫等の峯から峯、峡(はざま)から峡へ鈍紫(にびむらさき)の澱(よど)んだ光を投げている。中にも鋭い角度をなして幾つともなく空に突き出て居る妙義山の峯々の輪郭がしょんぼりとその光線の中に浮いているのが取分けてうら寂しい。

「火山の麓」

9月23日、碓氷峠から友人に出した葉書がある。

 昨日から一人で古驛めぐりをやってゐる。今、碓氷峠の絶頂に來て居る。上州前橋高崎などもよく見えてゐる。妙義はいつ見ても寂しい山だ。これから軽井澤に下りて、沓掛を經て、追分の方に行く。

碓氷峠の眺望


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