江戸の俳人

松露庵烏明

白井鳥酔門。松露庵三世。別号東海房、木耳(もくじ)庵。

 宝暦9年(1759年)、鳥酔は烏明を同伴して両総行脚。

 宝暦10年(1760年)8月13日、左明は50歳で沒。烏明は松露庵三世を継ぐ。

 明和2年(1765年)3月、加舎白雄は銚子滞在中烏明に入門、白尾坊昨烏と称した。

 明和3年(1766年)4月、松原庵鳥醉、松露庵烏明、鹿島宮中此松庵連鹿島神宮に建立。

芭蕉の句碑


此松の実生せし代や神の秋

 明和5年(1768年)、はいかゐ雲と鳥』四卉庵孚石序。烏明編。

明和6年(1769年)4月4日、鳥酔は69歳で没。

鳥醉翁


大嶌や波によせたる雪の船

明和第六己丑歳次四月四日

東都松露庵 烏明樹立

 明和7年(1770年)、烏明一門の月次集俳諧武埜談笑』

 安永4年(1775年)、白井鳥酔七回忌で松露庵連中は大磯の鴫立庵に白井鳥酔追善句碑を建立。烏明の句が刻まれている。



ゆふ凪や礒山遠くきしか啼   烏明

同年、蕉翁塚建立。

蕉翁塚


 安永5年(1776年)、加舎白雄を破門。

 安永9年(1780年)10月12日、大磯の鴫立庵に芭蕉の句碑を建立。烏明の句が刻まれている。



おく霜に片はれ月の野末哉   烏明

 寛政10年(1798年)、一宮如寉は連句碑を建立。平花庵雨什筆。



山陰や夕日にぬるゝ秋の霜
   雨什
きはむ木立のひまに薄月
   如寉
つえしらへ大宮人のめてつ風
   烏明

 寛政11年(1799年)、雨什に松露庵を譲る。

享和元年(1801年)6月19日、76歳で没。

榛名山番所跡の松露庵句碑に烏明の句が刻まれている。



松明のはねて空みるしくれかな   烏明

 文政8年(1825年)6月、東海坊素龍は伊香保神社に東海坊烏明の句碑を建立。



七日づゝ変はる顔あり窓涼み

烏明の句

暁にこほれものあり初しくれ


雪の日や煙に動く家ひとつ


   ひと日松はら庵にあそひて

直な帆となつて出けり春の月


拱て僧の出て来る柳哉


虫干や児もことしは讀おふせ


   鴫立沢秋暮之辞

立と詠みし鴫さへ見えす秋の暮


きじ啼やたゝけば凄きうしろ堂


水あびる烏に暮ておぼろ月


鶯や聞お(を)ればげにはるの鳥


ほろほろと柏ちりけりきしの声


松笠のからび落けり蝉のこゑ


うめが香の人の丈こす日和哉


遊く雲や狗蓼さそふ秋の水


冬の夜や日帰りに行馬の粥


鴈啼くやすみれ咲く野の枯尾花


子規卯月も霞む高根かな


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