一書一通 富津入 大(木)更津雨十 会所喜四郎殿へ出
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文化2年(1805年)2月6日、12日、一茶は雨十に手紙を出している。
二月六日
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一書一通 木更津雨十 江戸橋会所喜四郎殿へ渡ス
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二月十二日
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一書一通 木更津雨十 江戸橋会所喜四郎殿へ渡ス
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同年4月23日、一茶は雨十と根津神社に参詣したようだ。
根津神社

廿三日 晴 根津開帳参詣雨十 一茶
『文化句帖』(文化2年4月)
文化3年(1806年)9月17日、一茶は雨十と祗兵に手紙を出している。
九月十七日
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一書一通『東鑑』入 木更津雨十 祗兵子へ出ス
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文化4年(1809年)3月7日、小林一茶は春里、雨十と浅草を始め、江戸市中の寺社巡りをしている。
七日 晴 春里、雨十と浅草巡。白金町、白幡イナリ、筋違相生橋、スルガ台太田姫、神田[明]神、湯島、上野大石灯籠、寛永八年十月十七日佐久間大膳亮勝之トアリ。大良(郎)イナリ、七軒寺町東陽寺[手]向野アリ。
『文化句帖』(文化4年3月)
上野大石灯籠

文化6年(1809年)3月6日、一茶は東岸寺で藤見物をして句会を催した。
雨十も句会に参加したようだ。
東岸寺藤勧進
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藤棚やうしろ明りの草の花
| 一茶
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石なごの玉にもかかれふぢの花
| 雨十
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東岸寺に一茶の句碑がある。

藤棚やうしろ明りの草の花
小林一茶房総行脚の途中で「石川ニ入」とあるのは、雨十宅であろう。
十三 夜小雨 石川ニ入
『七番日記』(文化8年7月)
五 晴 石川ニ入
『七番日記』(文化12年12月)
雨十の句
あれしきの家も煙るそ鳴く蛙
麦畑のひくみのさくら咲にけり
帰り花人なつかしう咲にけり
霞む日や田中の松も祭らるゝ
ひよ鳥の見えてはや鳴はつしぐれ
暁やまたあらためて遠きぬた
石なごの玉にもかゝれふぢの花
あれしきの草さへ虫の世也けり
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