芭蕉の句碑
川上登古の川下や月の友
玉村町角渕に角渕八幡宮がある。
角渕八幡宮

建久4年(1193年)、源頼朝が那須野で狩りをした帰りに角渕で休み、烏川の風景が鎌倉の由比ヶ浜に似ているというので、
後に奉行として上野国に入った足立盛長に命じて鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の分霊を勧請せしめたのが角渕八幡宮のはじめといわれ、慶長15年(1610年)に荒廃した角渕八幡宮の社殿を玉村の上新田と下新田の境に移築修造し、玉村八幡宮と名を改めまつった。
角渕八幡宮には庚申塔を始め、数多くの石碑がある。
数多くの石碑に埋もれて、芭蕉の句碑があった。

川上登古の川下や月の友
出典は『続猿蓑』。
元禄6年(1693年)秋、深川の五本松で詠まれた句。
深川の末、五本松といふ所に船をさして
川上とこの川下や月の友
角渕八幡宮の南は烏川である。
一露園社中建立。
一露園湛水は新町の医師で、竹内湧水の門弟。
天保10年(1839年)頃「柳茶屋の芭蕉句碑」を建立。
嘉永5年(1852年)、湛水没。
新町宿ができるまで中山道は金窪村(現上里町大字金久保)から玉村町角渕を経て倉賀野宿へ向かっていた。
新町宿が設けられたのは承応2年(1653年)頃。
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