一茶の交友

〜今泉恒丸・素月〜

今泉与右衛門。加舎白雄門下で、葛斉と号した。

 宝暦元年(1751年)、奥州三春(福島県)に生まれる。

恒丸42歳の時、江戸に出る。

 文化3年(1806年)3月4日の江戸大火で家を失い、佐原に移り住んだ。恒丸55歳の時である。

四日 晴 大南吹 巳刻芝田町より火出て浅草反甫(たんぼ)迄焼る 五日巳刻ニ至ル

『文化句帖』(文化3年3月)

俗に「寅年の大火」といわれた大火事である。

同年12月12日、一茶は船で行徳に渡り、陸路佐原を訪れる。

   十二日 朝雨 佐原ニ入

『文化句帖』(文化3年12月)

 文化4年(1809年)5月27日、鈴木道彦の十時庵で恒丸会。

廿七日 晴 成美会止ム 於十時庵恒丸会有

此月に扇かぶつて寝たりけり

『文化句帖』(文化4年5月)

 文化6年(1809年)2月7日、布川、田川から佐原に入り、2泊。

   七[日] 左(佐)原ニ入 南風 夜亥刻出火

『文化六年句日記』

   二月八日 於葛斎会

正月はくやしく過ぬ春の風
   一茶

     猫鳥鳴ておぼろ始る
   恒丸

「葛斎」は恒丸の庵。

探題

死下手の此身にかゝる桜哉
   一茶

山椒はめでたき木也春の雨
   恒丸

『文化三−八年句日記写』

同年夏、夏目成美も恒丸を訪ねた。

文化7年(1810年)9月14日、今泉恒丸は亡くなる。享年60歳。

 門人に小見川の兄直、銚子の桂丸・李峰、帆津倉(現・行方市三和)の俳人洞海舎李尺がいる。

佐原の前原共同墓地に恒丸の句碑がある。


蘆花半輪これ俳諧の一大事

佐原の諏訪神社にある芭蕉の句碑に恒丸の句が刻まれている。



こころほどすむものはなし荻の声   恒丸

恒丸の句

ほとゝぎす鳴夜を船の旅寐哉

朝皃のしぼみより秋のさび初る


後より雪の降れかし小風呂敷

『享和句帖』(享和3年11月)

松山や風のしたより雉子の声


艸まくら覆盆子にあるじ致させう


箕むしの心ゆかしや梅の花


酒のまぬ日はなけれども神無月


不二の根のあればぞ我も薬喰


花芙蓉さびしいはわが心にて


   みちのくへ行を送りて

松しまにいふて下され我老ぬと


あたらしき命となりぬ明の春


海山や目をふさいでも秋の夕


まつ風や恋を忘れし瓢汁


 同年10月15日、一茶は布川から田川を経て高岡を通り佐原を訪れ、今泉恒丸の墓参りをする。

笹鳴も手持ぶさたの垣根哉


時雨[る]や主が居たら初時雨
   もと女

『七番日記』(文化7年10月)

もと女は恒丸の妻もと。

本宿コミュニティーホールに句碑がある。



笹鳴も手持ぶさたの垣根哉

 文化8年(1811年)2月18日、一茶は布川から佐原に入り、2泊。

   [十]八 東風吹 昼ヨリ曇 佐原ニ入

『七番日記』(文化8年2月)

 文化11年(1814年)夏、京都に旅立ち、剃髪して素月と名乗る。

 文化13年(1817年)秋、恒丸七回忌のため佐原に帰る。

 文化15年(1818年)、松窓乙二のいた函館に旅立つ。

 文政2年(1819年)4月29日、函館に到着。

文政2年(1819年)9月20日、素月は函館で客死。

しら露や存分置し夢のうち

佐原の前原共同墓地に墓がある。

真如素月尼 葛斉庵主

素月の句

雨を待鳥の羽いろや春の草


松風に出て吹せばや蚤の跡


人の来て元日にする庵かな


礒の松浪こゆるかやきじの聲


ひとあらし世は美しき花の雨


人の来て元日にする庵かな


人の来て元日にする庵哉


雛さまも侘住居かな浪の音


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