蕉門の俳人

天野桃隣

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伊賀上野の人。本名勘兵衛。通称藤太夫。太白堂。

 元禄4年(1691年)9月22日、芭蕉は江戸へ旅立つ。

 同年閏10月23日、芭蕉は新城在住の太田白雪に案内され、鳳来寺山に登山した。天野桃隣・各務支考、白雪の子桃先・桃後らがこれに従った。

鳳来寺仁王門


 同年10月29日、芭蕉は3年ぶりで江戸に到着。桃隣は芭蕉に同伴して、初めて江戸に移住した。

 されば師が東行の袂にすがり、はじめて富士の高きを驚き、むさしの広きをうかゞふ。

天野桃隣『陸奥鵆』

 霜月はしめ粟津より東武に歸菴。(桃隣同行)。神も旅寝の吟此時なり。


 元禄5年(1692年)8月9日、許六は桃隣の紹介で芭蕉に入門。

 元禄7年(1694年)4月、芭蕉は桃隣の新居祝いに画讃の句を贈っている。

   贈桃隣ノ新宅

寒からぬ露や牡丹の花の蜜


 元禄9年(1696年)、芭蕉三回忌にあたって『奥の細道』の跡をたどる。

 元禄10年(1699年)8月、『陸奥鵆』(自序、素堂跋)

享保4年(1719年)12月9日、桃隣没。享年71歳。

宮城県白石市の甲冑堂に桃隣の句碑がある。


いくさめく二人のよめやはなあやめ

桃隣の句

白桃や雫も落ず水の色


はつ雪や人の機嫌は朝のうち


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