蕉門の俳人
服部土芳

服部半座衛門保英。伊賀藩藤堂家の武士。
初号は蘆馬。別号は蓑虫庵・些中庵。
貞享2年(1685年)、『野ざらし紀行』の旅の折に水口で芭蕉と再会を果たし、入門。
些中庵土芳其頃は蘆馬と稱す。此春播磨にありて、歸る頃、翁ははや此國に出られけれは、跡を慕ひて京に上る。水口の驛に往あひて、同し旅ねの夜すから語りあかすとて、
命ふたつ中に活たる櫻かな
翌日朝中村柳軒といふ醫のもとに招かれ、此句にて二十年來の舊友二人におなし句を以て挨拶したりと一興。
貞享5年(1688年)3月4日、伊賀上野に些中庵を開く。芭蕉より、「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」の自画賛を贈られ、蓑虫庵と呼ばれた。
蓑虫庵

元禄3年(1690年)3月2日、伊賀上野風麦亭で歌仙。
木のもとに汁も膾も桜哉
| ばせを
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明日来る人はくやしがる春
| 風麦
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蝶蜂を愛する程の情にて
| 良品
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水のにほひをわづらひに梟ル
| 土芳
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元禄7年(1694年)10月12日、芭蕉は大坂南御堂前花屋仁右衛門宅で死去。
芭蕉翁の遺骸は遺言により、膳所の義仲寺に葬られたが、訃報をうけて、翁の臨滅に馳せ参じた伊賀の門人貝増卓袋、服部土芳は生地に遺髪を奉じて帰り、先塋の傍に墳を築いて故郷塚ととなえた。
故郷塚

元禄15年(1702年)、『三冊子』成立。
宝永6年(1709年)、『蕉翁句集』。
安永5年(1776年)、『三冊子』刊。闌更序。
享保15年(1730年)1月18日、没。
門人に川口竹人がいる。
蓑虫庵に土芳の「若菜塚」がある。

卒度往てわかな摘はや鶴の傍
土芳の句
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