啄木タクボク年譜ネンプ
年号ネンゴウ 西暦セイレキ ツキ 出来事デキゴト短歌タンカ 出典シュッテン
明治33年 1900年 7月 20日 気仙沼に宿泊。生まれて初めて海を見て、翌日神明崎から三陸海岸を北上。  
明治35年 1902年 11月 9日 東京新詩社を訪問。  
明治38年 1905年 5月   処女詩集『あこがれ』を出版。  
      30日 「花婿のいない結婚式」  
    6月 4日 「啄木新婚の家」に顔を見せた。  
      25日 加賀野磧町四番戸に転居。  
    9月 5日 『小天地』発行。  
明治39年 1906年 3月   代用教員となって渋民に帰る。  
明治40年 1907年 5月 5日 津軽海峡を渡り函館に着く。  
    8月 25日 函館ハコダテ大火タイカ  
    9月 13日 新たな職を求めて札幌へと旅立つ。  
明治41年 1908年 4月 27日 北海道の放浪生活を経て上京、横浜港に着く。  
    5月 2日 与謝野鉄幹に連れられて観潮楼歌会に出席シュッセキ  
      4日 「赤心館」に下宿。  
           たはむれに母を背負ひてそのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず  
    9月 6日 赤心館の下宿代が滞り、「蓋平館別荘」に移る。  
           東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる  『一握の砂』
      14日    父のごと秋はいかめし 母のごと秋はなつかし 家持たぬ児に 『一握の砂』
    10月 23日    神無月 岩手の山の 初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ 原稿ノート
明治42年 1909年 3月   瀧山町の朝日新聞社に勤務。  
           京橋の瀧山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな  
    6月   東京で初めて「喜之床」に新居を構える。  
           かにかくに 渋民村は恋しかり おもいでの山おもいでの川 『一握の砂』
           二晩おきに 夜の一時頃に切通しの坂を上りしも 勤めなればかな 原稿ノート
明治43年 1910年 8月 28日    ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな 原稿ノート
明治44年 1911年 8月 7日 小石川の宇津木家の貸家へ移る。  
           縁先にまくら出させて、ひさしぶりに、ゆふべの空にしたしめるかな 直筆ノート
明治45年 1912年 4月 13日 26歳の若さで生涯を閉じた。  
大正2年 1913年 3月   遺骨を函館にウツす。  
    5月   節子、この世を去る。  
昭和6年 1931年 6月 6日 与謝野晶子・鉄幹、啄木の墓参に函館ハコダテを訪れる。  
昭和8年 1933年 7月   盛岡で最初の啄木歌碑がてられる  
        病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあおぞらの煙かなしも 『一握の砂』
昭和10年 1935年     「蓋平館別荘」、「大栄館」と名称が変わる。  
昭和29年 1954年     「大栄館」、失火で焼ける。  
昭和30年 1955年     西浅草の等光寺にてられる。  
        浅草の夜のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心 『一握の砂』
昭和53年 1978年 5月   「喜之床」が解体される。  
昭和55年 1980年 3月 18日 「喜之床」が「明治村」に移築、公開される。