『奥の細道』

〜高舘〜
JR東北本線平泉駅から高舘に向かう。
途中に無量光院跡があった。

特別史跡無量光院跡
無量光院は三代藤原秀衡が造営しました。モデルは宇治の平等院鳳凰堂。鳳凰堂は「極楽を疑うならば宇治のお寺をお参りしなさい」と子供にまで唄われました。無量光院もまた仮想の浄土です。両寺院とも本尊は阿弥陀如来像。西方に極楽はあり、その主は阿弥陀如来なのです。春秋彼岸の頃、無量光院の正面に立つと、西方にある金鶏山の真西に日が沈みます。入日の中に阿弥陀如来が浮かび上がる様子は、まさしく秀衡が思い描いたこの世の極楽浄土だったのです。
「秀衡が跡」であろう。
高舘へ。
元禄2年(1689年)5月13日(新暦6月29日)、芭蕉はまず高舘に登った。
先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。
『奥の細道』
私も高舘に登ってみる。

北上川が見える。

衣川は見えない。
延享2年(1745年)、望月宋屋は「奥の細道」を辿る旅に出る。衣川で句を詠んでいる。
寛延4年(1751年)、和知風光は『宗祇戻』の旅で衣川を句に詠んでいる。
明治39年(1906年)12月6日、河東碧梧桐は北上川に沿って歩き、衣川の橋を渡る。
平泉より徒歩。北上の大河に沿うて遡ぼる街道を来て、衣川の橋を渡る。束稲の連山は右手にだんだん近づいて来た。この山は西行の歌にも詠まれた桜の名所である。
義経堂に登る。
