碓花坊也寥

芭蕉と同郷で、伊賀上野の人。白井鳥酔の門人。宮城県柴田郡柴田町の大光寺第十四世環中道一和尚。白雄参禅の師。
妙高山大光寺

明和5年(1768年)8月、大光寺に芭蕉の句碑を建立。

名月や池をめくりて終夜
明和6年(1769年)、岩手県平泉の毛越寺に芭蕉の句碑を建立。

夏草や兵共か夢の跡
明和8年(1771年)6月11日、諸九尼は大光寺に也寥和尚を訪ねている。
十一日 舟岡の大光寺と申御寺に行。これは也寥和尚と聞えおはします大徳なり。手づから五百の羅漢の尊像をきざミて、後の山に安置し給ふを結縁す。
安永2年(1773年)、加舎白雄は「奥羽紀行」の旅の途上、大光寺に碓花坊也寥を訪れている。
天明4年(1784年)11月27日、大光寺で没。
也寥禅師の画に
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松嶋をよく見て句なき翁かな
| | 白雄
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也寥禅師の消息に酬ゆ
ながき日やみちのくよりの片たより
天明四年霜月廿七日
時は蔦の葉のかつかつ枯て、ものこひ鴫の啼かひなきゆふべなりけり。みちのく也寥禅師遷化ましましけるよし、おもひこまごまと、そこの門人よりつげこしける。禅師は伊陽の産、芭蕉の翁にゆかりありて、我爲に翁の枕表帋附属の師、且参禅無二の師たりしをや。
也寥の句
朧月山高からす低からす
蝶の出るまては狂ふや春の雪
五六間うき世はなれて高燈籠
雪の中に折々嘶ふ厩かな
早乙女の蓑ほころびて暮にけり
冬に似た山の端もあり桜ばな
水際になりて柳の葉ぞ長き
さゆる夜やほしのちかきに浜あらし
海のうへなにをかるへに秋のかぜ
朝がほや杖にもよはき竹ながら
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