西行の歌碑


きゝもせず束稲やまのさくら花
     よし野のほかにかゝるべしとは

平泉の中尊寺に東物見台があった。


東物見台


後三年前九年役衣川古戦場跡

中尊寺の東物見台に西行の歌碑があった。

西行の歌碑


きゝもせず束稲やまのさくら花
     よし野のほかにかゝるべしとは

出典は『山家集』。



建久元年(1190年)2月歿 73歳

天養元年(1144年)頃奥州初度の下向

文治2年(1186年)8月16日、西行は再び平泉に赴く。

 8月16日 庚寅

 午の刻西行上人退出す。頻りに抑留すと雖も、敢えてこれに拘らず。二品銀作の猫を以て贈物に宛てらる。上人これを拝領しながら、門外に於いて放遊の嬰児に與うと。これ重源上人の約諾を請け、東大寺料の砂金を勧進せんが為奥州に赴く。この便路を以て鶴岡に巡礼すと。陸奥の守秀衡入道は、上人の一族なり。

『吾妻鏡』(文治2年)

西行は秀衡の一族であった。

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