『正徳集』

正徳・享保・元文年間に奥州桑折の俳人佐藤馬耳の欖翠軒を訪れた諸国の俳人が書き残した句文集。
欖翠軒記
正徳ミのとし五月末の一日雨日猶
やます世ハ田うへ水の折から
よろしかるへけれと予ハ旅店
の片角に朦朧として侘しきを
此桑折佐藤何某にまねかれて
其亭に至る障子をひらけは
板椽かねの手に折て十丈の
谷に望む唯覚高観音の舞
台のことし見おろせは千木
青葉にして木の間木の間に河の流
をすかす実酔翁かたのしめる
住所にもおとるましや面は百
歩にして市中なる物を裏に
自然のミ山ミ谷のしけりこれ
此庭の妙とやいハん欄干に寄つ
て大木の梢に手をふれ足を
ふれてされ哥を諷ふて曰
五月雨の雲にも乗らんかたつふり
尾陽散人
月空菴露川居士
遊欖翠軒
日は静裏になかく心もこれにひとし
なを景色をもてあそふを最上といふ
にや春ハ園林の花に吟しやゝうつろへ
は緑陰をきよくし秋はヨウ落を感し
て澄潔の月を踏破し碧落の天をう
かち雪の朝は一ときを詠めつくし
四の時をミな庭下に見るはたそ
欖翠軒のぬしやことに風雅のすちを
わかちものゝふのものゝ心をわきまへたり
けらし丙申の夏予奥羽行脚の痩キョウ
をとゝめてこの清亭にやとる一日曲欄
によりて見る所をから哥狂句ひとつ
のふることしかり
初蝉に句を釣あけんなかれ哉
万物に造化の手あり天公も模陵の
手と作れり欖翠軒の大園に目を遊ハ
しむれは絶景に心を奪れ予も句の
両端にとてさはくに手なし翌の日
内荘にまねかれて小庭のけしき石余らす
水絶すこのもかのもの土なるにきれて
初て手を得たるかことし
丹青の手を谷へ出せかきつはた
野州百花坊 潭北
桑折の住人佐藤馬耳子は
我師月空居士の東行をひかへて
正風に組せし男也けふは其縁
にすかりて頭陀の袂を休め風雅の
契を論するの外余事なし
もろ共に掃て咲せむ雪の梅
享保丁酉冬 勢陽之僧燕説草稿
あゝ欖翠の奇なる春は桜
木の雲を踏て上天にも登るへく秋は
池水に月をうつして紫女の心
をもうかゝひつべ(ママ)し松柏イ然として
(※イは草冠+慰)
饂飩ところてむによろしく潺々(せんせん)たる
水音奈良茶田楽にも又可也直下
三千尺澗水眼を射て青し
軒端から螢を滝や池の水
野禽声幽に山姥も住へく
小径屈曲して桃源にも出す
仙人の道ハまきれす苔の花
元文三戊午夏四月下旬
行脚確蓮坊北花
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