一茶の交友

〜本間松江〜

本間家七世玄琢の俳号。

 宝暦5年(1755年)、玄琢は小川町下馬場の庄屋村山家に生まれ、本間家の養子に入る。

玄琢の生家が「やすらぎの里小川」に移築復元して保存されている。



 寛政5年(1793年)、芭蕉の百回忌に玄琢は本間家に残っていた松江・桃青・ソラの三吟句碑を建立。



   帰路自準に宿ス

塒せよ和ら本す宿の友すゞめ
   松江

  あきをこ免多るく年の指杉
   桃青

月見んと汐引のぼる船と免て
   ソラ

「松江」は本間家初代道悦の俳号。

七世玄琢も「松江」と号した俳人である。

 文化9年(1812年)、日向の真彦という神職が小川の松江を訪ねて「翁椀」を贈られた。真彦は喜んで夏目成美に見せた。

 常陸国小川の里松江が家に、芭蕉留錫のころ、常に食をすゝめたる古五器二具あり。文化壬申の年、日向国真彦といふ神職の人、その住る所の翁が岡といふに文明中に勧請せし翁大明神といふ有所祭猿田彦神その社に芭蕉翁を合せ祭ると云事にて、諸国の句を勧進せし頃、松江が家に宿して、此のあらましを語り出るに、主この人の志の深きにめでゝ右の五器の中、汁碗ひとつをおくれりとて来り示してこれをよろこぶ。はなはだ古雅なる器なれば左に図す。

『随斎諧話』

 文化14年(1817年)5月23日、小林一茶は小川を訪れ、芭蕉の「真筆」や本間家の「翁椀」を見ている。24日は本間家に泊まり、25日、帆津倉に泊まる。

[廿]三日 晴 高浜本間松江ニ入 氏神画馬 小川 今出屋惣八泊

[廿]四日 晴 本間ニ入

『七番日記』(文化14年5月)

その時の一茶の真跡が残されている。

   けふといふけふ久しくねがひ
   ける本間の家を訪ひて
   はせを翁の書のかずかずに
   目を覺しけるが其外に又手に
   ふれ給ひし一品有

したはしやむかし
      しのぶの翁椀

   文化十四年五月廿二日也けり

しなのゝ一茶

文政7年(1824年)4月6日、玄琢没。享年70。

墓碑に辞世の句が刻まれている。


閑こ鳥こゝろとむれは風の吹   自準亭七世松江

文政8年(1825年)4月5日、義香建立。

「義香」は玄琢の子道偉の俳号。

松江の句

   佛頂禪師に身を隨へ給ふ時、此家
   を臥所にせしかバ、芭蕉翁の書跡
   樓をせばむ 。

恙なく實をもつ芥子のひとへ哉


山影や苗代つくる小山伏


春うれし茶水捨ても草になる


燕のあらしを艸にかくれけり


   墨水

春風や塵(ごみ)におさるゝ都鳥


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