芭蕉関連俳書

『鵲尾冠』(越人撰)


享保2年(1716年)、板行。

私は越路の者に候間、名も越人と申候。壯年に及ぶ比より故郷を出、流浪仕、貧乏にて學文など申事不存、

此發句は芭蕉、江府船町の囂(かまびすしき)に倦み、深川泊船堂に入れし、つぐる年の作なり。草堂のうち茶碗十、菜刀一枚、米入るゝ瓢一、五升の外不入、名を四山と申候。

似合しや新年古き米五升
   芭蕉翁

辛崎の松は花より朧にて
   芭蕉

二度草堂をいで、尾陽に來るとき箱根にて

山路來て何やらゆかし菫艸
   芭蕉翁

野渡无人舟自横といふ詩は無形の畫なり。空しき舟に鷺をのせて及第せし畫は有形の詩也。此景情飲水冷暖自知するが如く、しる人は知り見る人は見る。されば西行上人は秋の夕ぐれを、岨の立木の鳩の聲に五百年ノ前に聞、芭蕉老人は枯枝の烏に秋の暮を五百年の後に見る。たゞ一器の水を一器に移せり。

枯朶に烏のとまりけり秋の暮
   芭蕉翁

 木棉(キワタ)ゑむ田の中の畑
   越人

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