蕉門の俳人

浜田洒堂

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近江膳所の医師で、医名は道夕。別号珍碩。

 元禄2年(1689年)、芭蕉に入門。

 元禄3年(1690年)、芭蕉は浜田珍夕の草庵「洒落堂」を訪れ、草庵を讃えて「洒落堂記」を書いた。

四方より花吹き入れて鳰の波

 同年8月13日、『ひさご』(珍碩編)刊。

 元禄5年(1692年)9月、深川の芭蕉庵を訪れた。

壬申九月に江戸へくだり、芭蕉庵に越年してことしきさらぎのはじめ、路にのぼりてふろしきをとく

   深川夜遊

青くても有るべきものを唐辛子
  芭蕉

 提げておもたき秋の新ら鍬
   洒堂

俳諧深川集』

 同年9月29日、深川から川下りをして、小名木川に船を浮かべて桐奚(とうけい)宅に訪ね行く途中、船を留めて大島稲荷神社に立ち寄り参拝。

   九月尽の日女木三(沢)野に舟さし下して

秋にそふ(う)てゆかばや末は小松川
   ばせを

   雀の集(タカ)る岡の稲村
   桐奚

月曇る鶴の首尾に冬待て
   珎碩

女木塚句碑がある。


秋に添て行はや末ハ小松川

 同年10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で五吟歌仙。

   元禄壬申冬
   十月三日許六亭興行

けふはかり人もとしよれ初時雨
   ばせを

   野は仕付たる麦のあら土
   許六

油実を売む小粒の吟味して
   洒堂

   汁の煮(にえ)たつ秋の風はな
   岱水

『韻塞』

 許六は本名森川百仲。彦根藩重臣。

元禄6年1月まで滞在。帰郷後『俳諧深川集』を編纂。

 元禄6年(1693年)2月2日、呂丸京都で客死。

鶴岡市羽黒町手向の烏崎稲荷神社に図司呂丸追悼碑がある。



消安し都の土に春の雪

呂丸辞世の句である。

洒堂の追悼句が刻まれている。

雁一羽いなてみや古の土の下
   酒落堂

大坂に移るが、之道と軋轢を生じ膳所に帰る。

 元禄15年(1699年)、『白馬』(正秀・洒堂撰)。

元文2年(1737年)9月13日、没。

洒堂の句

庭鳥や榾焼よるの火のあかり


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