武州の俳人



荘丹ゆかりの地

鈴木荘丹

『能静草』

 享保17年(1732年)、江戸の商家に生まれ、菜窓と号し、医学、俳諧等を学ぶ。

雪中庵三世大島蓼太に師事。

 吾蕉風にをけるや翁か洒落ハ置て論せす、たゝ其・嵐の風骨をうかゝひ蓼先師の譚笑をしたふ、

『能静草』

荘丹は大島蓼太がみちのくに旅立つのを船で千住まで送った。

   蓼師と周竹叟ミちのくの行を千住に送る舟中吟

夏川やはなれぬ鴛の船二艘

『能静草』

 医師としても活躍し、榎戸村(現鴻巣市)の眼医者横田邦厖(文玉)とも親交があった。

 寛政3年(1791年)3月6日、荘丹は与野(現さいたま市)の妙行寺に自分で墓を造った。

寛政辛亥季春六日修造寿蔵于武州足立郡鈴谷邨妙行寺裡因観兼好法師之和歌

華さくら雙岡のおもひかな

   誌寿蔵

うくひすや朝な朝なの布施に何

『能静草』

東永山妙行寺


門人菜英に菜窓の号を贈る。

   吾呼古されし菜窓の号を贈るとて

花なから参らせ篭や莖立菜

『能静草』

 文化3年(1803年)、『はせを其角嵐雪三家発句解』。

 文化9年(1809年)、小川町下古寺の梅松院に芭蕉の句碑を建立。



梅か香にのつと日の出る山路かな

梅松院は火災焼失。

文化12年(1815年)、84歳で没す。

荘丹の句

紅梅はおふ(ほ)太刀をさす若衆哉


紅海は大太刀をさす若衆哉


うぐひすの丁子含める音色哉


水仙や兎の耳も旭影


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