相州の俳人

三浦柴居 ・ 五柏園丈水 ・ 蟹殿洞々


他阿

相模原市当麻の無量光寺住職他阿南謨。

無量光寺山門


無量光寺に五柏園丈水の句碑を建立。


花よ花念仏よ念佛當麻山

 文化7年(1810年)、丈水の三回忌に追善句集『遠ほととぎす』を刊行。

 天保2年(1831年)9月20日、渡辺崋山は相州厚木に赴く時に無量光寺のことを書いている。

 又、高坐郡当麻といふに時宗の寺あり。これを当麻山無量光寺といふ。寺主陀阿、俳諧好す。名あり。荻野といふ所に洞々といえる俳師あり。


他阿の句

初からす熊野ゝ氏子世の広き


花ちりて恥しいほど寝られけり


見せ申厄介はなし月一夜


七夕のさゝ水いはへ孕牛


あさかほにものいふ年と成にけり


宣頂

大山の俳人沼野掃部。加舎白雄の門人。

大 山 


宣頂
   沼野掃部 


寛政7年(1795年)、伊勢原市の大山に芭蕉の句碑を建立。



雲雀より上にやすらふ峠かな

『諸国翁墳記』に「雲雀塚 相州大山伊与利嶺建 宣頂」とある。

宣頂の句

太白星のさやかに梅を離れたり


原中や一粒雨にかた鶉


しくるゝや竈にせふる唐からし


凍蝶のきふを侘る籬かな


葉桜に世を捨心くらへけり


秋の夜や祖父のかたみの松の声


山焼の灰の舞こむ庵かな


馬門

曽我の人。中村左五兵衛。加舎白雄の門人。

小田原市の六本松跡に白雄の句碑がある。


ほとゝきすなきなき飛ぶそいそかはし
   芭蕉

人の知る曾我中村やあを嵐
   白雄

馬門の句

露ふるひて稲妻を追野馬かな

名月にさくら見て泣聖かな


風ぬるしゆふづく丘のむぎのいろ


かへる鴈ものかりそめに聞やすし


稲妻に心追はるゝ野風かな


盂蘭盆や露の及はぬものもなし


たらちめに酒ゆるされし夕しくれ


山遠くなるのミにしてはつしぐれ


葎雪庵午心

小田原の人。岩波氏。俳諧を雪中庵三世蓼太に学ぶ。初号山花。

天明8年(1788年)、午心と改号。

江戸浜町に住み、柳下と称し、葎雪庵を名乗った。

 亨和2年(1802年)2月25日、芭蕉百十年忌で亀戸天神社に芭蕉句碑を建立。

聖廟九百年御忌句碑


碑の裏に午心の句が刻まれている。

白妙や花のあらしも松風も   葎雪庵午心

文化14年(1817年)正月21日、没。

午心の句

死たしと思ふ日ハなし盆の月


暁を野ら巣ならめのちの月


雪の野やかくろひかねて松の雉子

しらぬ人の折てくれけり山桜


芒野や穂に出さうなる家計


ゆれあふてけふも暮けり春の海


名月やはれての後の氣くたびれ


待宵や仏もしらぬひぢ枕


見し鐘をやどりに聞や春の月


宵はいふて十八粥を忘れたり


物着よと子を呼ぶ門や秋の暮


榛のやミ立ならふほたるかな


名月や誰が軍(いくさ)してすみだ川


宝水

溝口村の灰吹薬局二代目鈴木仁兵衛。老人亭。田川鳳朗の弟子。

宝水   玉川溝ノ口薬店 灰吹や定八


文政12年(1829年)、川崎市高津区溝の口に宗隆寺に芭蕉の句碑を建立。



世を旅に代かく小田の行きもとり

天保8年(1847年)1月28日、81歳で没。

宝水の句

山茶花や三日月過の鳥のこゑ


萬歳を聞なり道のかはくうち


衣更着や又死たくもなき日和


すみやかに秋は来にけり人のうへ


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