芭蕉句集
『風羅袖日記』 上 ・ 下

寛政11年(1799年)10月、素綾自序。
文化元年(1804年)、『芭蕉袖日記』として再刊。
860句が収録されているが、そのうち存疑95句、誤伝21句。
元禄三午
神路山を出るとて西行の泪をしたひ増賀の信を悲しむ二句
伊賀の國花垣の荘はそのかみ奈良の八重櫻の料に附られけるといひ傳ひ侍れは
石山の奥国分山といふ所に人の住捨たる菴あり幻住庵といふ清陰翠微の佳境いとめて度眺望になん侍れは卯月のはしめ尋入て
望月の残興なを止す二三子いさめて舟を堅田の浦に出す
また埋火の消やらす臘月末京都を立出て乙州か新宅に春を待て
元禄四未
柴の庵と聞はいやしき名なれとも世にこのもしき物にそありける此哥ハ東山に住ける僧を尋て西行のよませ給ひけるよし山家集に載られたりいかなる住居にやと先其坊のなつかしけれは
同寺堂奉加の言葉書に曰竹樹密に土石老たりと誠に木立物ふりて殊勝に覚へ侍は
三秋を經て草庵に歸れは旧友門人日々に群り来ていかにと問へハ答侍
元禄五申
すてはてゝ身はなきものとおもへとも雪のふる日ハ寒くこそあれ花の降日はうかれこそすれ
柱は癜璃k風か情を削住居曽良と岱水か物数寄をわふなを名月のよそほひと芭蕉五本を植て
元禄六酉
元禄七戌
上野の花見にまかり侍しに人々幕打さはき物の音小唄の聲さまさまなりける傍の松陰をたのミて
五月十一日武府を出て故郷に赴く時人々川崎迄送り来りて餞別の句をいふそのかへし
露川か等佐谷迄道送りして共に隠士山田氏か亭に仮寐す
甲戌の夏大津に侍しをこのかみの許より消息せられけれは舊里に帰りて盆會をいとなみて
本間主馬が宅に骸骨ともの笛鼓をかまへて能する所を画て舞臺の壁にかけたり誠に生前のたはふれなとハ此遊ひに異んや彼髑髏を枕として終に夢うつゝをわかたざるも只此生前を示さるゝもの也
清水寺の茶店に遊ひけるにあるしの男のふかく望けるに
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