芭蕉句集
『風羅袖日記』 上 ・ 下

寛政11年(1799年)10月、素綾自序。
文化元年(1804年)、『芭蕉袖日記』として再刊。
860句余りが収録されているが、そのうち存疑95句、誤伝21句。
其いつ歟、芭蕉袖日記といへる発句集を師より伝はりて、陀袋にこめをきし事年あり。其句数七百五十有余なりし、予また十余り九とせばかり前の頃、牛路鯨浜にさすらひて、蕉翁のツエを曳れしふる道をしたひ、都鄙に間々書おかれたる色紙、短冊の句々を写し得て、武蔵野、野ざらし、鹿島、よし野、更料(科)、奥の細道等の紀行に洩たるを加へ、都て八百六十余句とはなれりける。
蝶夢の『芭蕉翁發句集』(安永3年刊)を倣って句を配列している。『芭蕉翁發句集』の年次を訂正したものもあるが、訂正が誤ったものも多い。
延宝天和年中
(※「タイ」=火+主)
杉風生夏衣いと清らかに調して贈りけれは
我草の戸の初雪見んとむとよ所にありてもいそき帰ことあまたゝひなりけるに師走八日はしめて雪降けるよろこひ
曽良何某ハ此あたり近く仮に居をしめて朝なゆふなにとひつとはる我喰ひものいとなむ時は柴打くふるたすけとなり茶を煮夜来りて水をそゝく隠閑を好む人にて交(まじはり)こかねを断或夜雪にとはれて
貞享元子
春の部
春立や新年古き米五升
荘子の画讃
唐土の俳諧問はん飛胡蝶
世にさかる花にも念佛申けり
三聖人の圖
月花の是やまことのあるし達
夏の部
松風の落葉か水の音涼し
画讃
馬ほくほく我を繪に見る夏野哉
甲子吟行野さらし紀
千里に旅立て路粮をつゝます三更月下無何に入と云ひけむむかしの人の杖にすかりて貞亨甲子秋八月江上の破屋を出る程風の聲そゝろ寒氣也
富士川の道を行に三ツ斗なる捨子の泣あり此川の早瀬にかけて浮世の浪をしのくにたえす露斗の食物間と捨置けん小萩かもとの秋の風今宵やちるらん翌やしをれんと袂より喰物投て通るにいかにそや汝父に悪まれたるか母にうとまれたるかちゝハ汝をにくむにあらしはゝは汝をうとむにあらし只是天にして汝か性のつたなきをなけ
廿日あまりの月かすかに見へて山の根きはいとくらきに馬上に鞭をたれて数里いまた鶏鳴ならす杜牧か早行の残夢小夜の中山に至りて忽ち驚く
松葉屋風瀑か伊勢に在けるを尋音信(たづねおとづれ)て十日斗足をとゝむ腰間に寸鉄をおびす襟に一嚢をかけて手に百八の珠数を携僧に似て塵あり俗に似て髪なし我僧にあらすといへとも浮屠属にたくへて神前に入事をゆるさす暮て外宮に詣けるに一の華表(とりゐ)の陰ほのくらく御燈(みあかし)處々に見へてまた上もなき峯の松風身にしむ斗ふかき心を起して
長月のはしめ古里に歸り北堂の萱艸も霜枯はてゝ今ハ跡たになし何事もむかしに替りてはらからの鬢白く眉皺よりて唯命有てとのミ云て詞ハなきに兄の守袋より出てゝ母の白髪拝めよと浦島か子の玉手箱汝か眉もやゝ老たりとしはらく泣て
大和より山城を經て近江路に入て美濃に至り今す山中を經ていにしへ常盤の墳あり伊勢の守武か云ける義朝殿に似たる秋風とハいつれの所か似たりけん我も又
大垣に泊ける夜は木因か家を主とす武藏野を出し時は野さらしを心に思ひて旅立けれは
艸の枕に寐あきてまたほのくらきに濱の方へ出て地蔵堂の桓に書つく
桐葉のぬし心さし淺からさりけれは暫くとゝまらんとせしほとに
貞享二丑
伊豆の國蛭か小嶋の桑門去年の秋より行脚しけるに我名を聞て草の枕の路つれにもと尾張の國まて後をしたひ来りけれは
此僧告て曰円覚寺大顛和尚ことし睦月のはしめ遷化し給ふよし誠や夢のこゝ地せらるに先に其角か方へ申遣しける
貞享三寅
貞享四卯
鹿嶌山の麓にて月の夜雨頻に降て月見るへくもあらさりけるに暁の空いさゝか晴ぬるを
根本寺の隠室にやとる人をして深省を発せしむいひけんいさゝか清浄の心を打るに似たり
はやこなたへといふ露のむくらの宿ハうれたくも袖をかたしきて御とまりあれやたひ人
鳴海の驛本陣ボク言亭に泊けるに飛鳥井雅章の君都をへだててと詠てあるしに給ハりけるを見て
伊良古崎ハ南の海の果にて鷹のはしめてわたる所といへり伊良古鷹なと歌にも詠めりとおもへはなをあハれなる折ふし
歳暮
代々の賢き人々も古里ハわすれかたきものにおもほへ侍よし我今ハはしめの老も四とせ過て何事につけてもむかしのなつかしきまゝにはらからのあまたよハひかたふきて侍るも見捨かたくて初冬の空のうちしくるゝ頃より雪を重ね霜を經て師走の末伊陽の山中に至なを父母のいまそかりせはと慈愛のむかしも悲しく思ふ事のミあまたありて
元禄元辰
春の部
阿波の庄に新大佛といふあり此所ハ南都東大寺の聖俊乗上人の舊跡也旧友宗七宗無一人二人をさそひものしてかの地に至る仁王門鐘樓の跡ハ枯たる草の底に隠て松ものいはゝことゝはむ礎斗菫のみしてといひけんもかゝる景色に似たらん猶分入るに蓮花座獅子の坐なとハ未た苔の跡を殘せり御佛ハ後へなる岩窟に埋れてわつかに見へさせ給ふ御くし斗ハいまたつゝかもなく上人の御影を崇置たる艸堂の傍に安置したり誠にこゝらの人の力を費したる上人の御願ひいたつらになり侍ことも悲しく涙も落て物語もなしむなしき石臺にぬかつきて
探丸子の忌別埜の花見催させ給ひけるにまかりて古き事なと思ひ出侍に
大和行脚の時今井桜井なと過て丹波市とかやいふ所にて日の暮かゝりけるに藤のおほつかなく咲けるを
葛城の麓を通るに四方の花にて嶺々ハ霞わたりたるあけほのゝけしきいと艶なるにかの神の見形あしゝと人の口さかなく世にいひ傳へ侍れは
招提寺にて鑑真和尚の御影を拝し御目の盲させ給ふことを思ひつゝけて<
若葉して御目の雫拭ハはや
明石の夜泊
蛸壺やはかなき夢を夏の月
ほとゝきす消行方や嶌ひとつ
大坂にて或人のもとにて
杜若語るも旅のひとつかな
山崎宗鑑屋敷にて近衛殿の宗鑑か姿を見れはかきつはたと遊しけるを思ひ出てこゝろのうちにい
秋芳軒宜白のまねきに應して稲葉山の松の下涼して長途の愁をなくさむほと
鵜飼を見るに鵜舟も通り過るほとに歸とて
更科山ハ八幡といふ里より西南に横をれて冷しく高くもあらすかとかとしき岩なとも見へす唯哀ふかき山のすかたなりなくさめかねしといひけんもことはりしられてそゝろに悲しきに何故にか老たる人を捨たらんと思ふにいとゝ涙も落そひけれは
仲秋の月ハ更科の里姨捨山になくさめかねて猶あハれさの目もはなれすなから長月十三夜になりぬ
元禄二巳
松嶋の月心にかゝりて住る方ハ人に譲りて杉風が別埜に移るに
千住にて舟をあかりて首途三千里のおもひ胸にふさかりて幻のちまたに離別の泪をそゝく
岩窟に身をひそめ入て瀧の裏より見れはうらみの瀧と申傳へ侍る也
那須の黒羽へ出る野にかゝりて草刈おのこになけき野飼の馬を借るちいさき者二人馬のあとしたひてはしる獨ハ小姫にて名をかさねといふ聞なれぬ名のやさしかりけれは
陸奥一見の桑門二人路次の篠原一見せむと云を殺生石見んといそきけるも俄に雨降り出しぬれは先此所にとゝまり候
那須の温泉明神相殿に八幡宮を移し奉て兩神一方に拜れ給ふ
當國雲岸寺のおくに佛頂和尚の山居のあと有石上の小庵むすひかけたりBR>
黒羽の館代より馬にて送らる此口付のおのこ短冊得させよと乞やさしき事を望侍るものかなと
清水流るゝの柳ハ芦野の里にありて田の畔に殘
日数重るまゝに白河の関にかゝりて旅心定りぬ
須賀川の驛に等窮といふものを尋て四五日とてまつ白川の關いかに越つるやと問ふに
此宿の傍に大なる栗の木陰をたのみて世をいとふ僧あり橡ひらふ太山もかくやと閑に覚て
佐藤庄司の旧跡の古寺に義経の太刀弁慶が笈をとゝめて什物とす
奥州名取の郡に入て中将実方の塚ハいつくにやと尋侍れは道より一里半はかり左りの方笠嶋という所にありとおしゆ降りつゝきたる五月雨いとわりなくなく打過るに
武隈の松見せ申せ遅櫻と挙白といふものゝ餞別したりけれは
画工嘉右衛ヱ門といふものまつしま塩竃の所々画て贈る且組の染緒付たる草鞋餞す風流のしれもの爰に至て真実を彰す
日既暮けれは村人の家を見かけてやとりを求む三日風雨あれてよしなき山中に逗留す
仙人堂岸に臨て□水みなきつて舟あやうし
象潟の景色ハ俤松嶋にかよひて又異なり松嶌は笑ふがことく象潟ハ恨むかことしさひしさに悲しひをくはえて地勢魂をなやますに似たり
越後の越後国出雲崎といふ所より佐渡へハ海上十八里となり初秋のうす霧立もあへすさすがに浪も高からされは唯手の上のごとく見わたさるゝ
荒海や佐渡に横たふ天の川
新潟にて
海に降雨や恋しきうき身宿
高田医師細川青菴にて
薬園にいつれの花を艸まくら
今日は親しらす子しらす犬もとり駒返しなといへる北國一の難所を越てつかれ侍れは枕引よせて寐たるに一間隔て表の方に若き女の声二人斗と聞ゆ年老たるおのこの声も交て物語するを聞は越後の國新潟といふ所の遊女なりし伊勢參宮するとて此關まておのこの送りて翌は古里にかえす文認てはかなき言傳なとしやる也白浪のよする汀に身をはふらかしあまのこの世をあさましう下りて定めなき契日々の業因いかにつたなしと云を聞々寝入て
金沢の一笑といふ者去年の冬早世したりとて其兄追善を催す
旅愁なくさめかねてものうき秋もやゝ至りぬれハ流石に目に見へぬ風のおとつれもいとゝかなしくなるに殘暑いまた終止まさりけれは
此所太田の神社に詣実盛か甲錦のきれあり往古源氏に属せし時義朝公より給りしとかや実にも平士の物にあらす目庇より吹返し迄菊唐草の彫物金をちりはめ龍頭に鍬形打たり実盛討死の後木曾義仲願状に添て此社にこめられ侍るよし樋口の次郎か使せし事ともまのあたり縁起に見へたり
那谷寺ハ奇石さまざまに古松植ならへて萱ふきの観音堂岩の上に造りかけて殊勝の土地なり
山中や菊は手折らぬ温泉の匂ひ
桃妖の名を付て
桃の木のその葉ちらすな秋の風
曽良ハ腹を病て伊勢の長嶋といふ所に由縁あれは先達行に行々てたふれ伏とも萩の原と書置たり行ものゝ悲しひ殘るものの恨雙鳧の別て雲にまよふかことし予もまた
大聖持の城外全昌寺といふ寺にとまる猶加賀の地なり曽良も前夜此寺に泊て終夜もすから秋風聞や裏の山と殘す我も秋風を聞て衆寮に臥すけふは越前の國へと心早卒にして堂下に下る折ふし庭中の柳散れは
淺水の橋をわたる俗にあさうつといふ清少納言の橋はとありて一条あさむつのと書る所とそ
十六日空晴たれはますをの小貝ひろはんと種の濱に遊ふ
其日あらまし等栽に筆をとらせて寺に残す路通も此濱迄出むこふて美濃の国へと伴ふ駒にたすけられて大垣の荘に入如水別埜
斜嶺亭戸をひらけハ西に山あり伊吹といふ花にもよらす雪にもよらす唯是孤山の懐あり
風羅袖日記 下
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