蕉門十哲

各務支考

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美濃国出身。別号に野盤子、東華房、西華房、獅子庵、蓮二翁などがある。

蕉門十哲のひとり。門人に巴丈、雲裡房、也柳、卯七がいる。

 元禄3年(1690年)、入門。

 元禄5年(1692年)春から夏にかけて奥羽行脚。

   支考東行餞別

此こゝろ推せよ花に五器一具

其角は旅立つに当たり句を贈っている。

支考遠遊の志あり、これにを(お)くるに、

白河の関にみかへれいかのぼり
   其角


智月も句を贈っている。

   盤子、白川へ行脚を聞て

鉢の子に請よ桜はちりぬとも
   智月


象潟の紀行   
      野盤子

 支考ことし文集つくらむとおもひ立ことありて、奥羽の間に行脚せしころ、雨山の呂図司かしこくあなひして、其国の名所あまた初見侍し也。


伊東不玉、図司呂丸と共に象潟に遊ぶ。

すゞ風や蚶の入江を持ありく




奥羽行脚の記念集『葛の松原』刊行。

 元禄6年(1693年)2月2日、呂丸京都で客死。

鶴岡市羽黒町手向の烏崎稲荷神社に図司呂丸追悼碑がある。


消安し都の土に春の雪

呂丸辞世の句である。

支考の句が刻まれている。

   追悼

死に来てそのき佐良支の花の陰
   野盤子

 元禄7年(1694年)10月12日、芭蕉の臨終を看取る。

芭蕉没後、芭蕉の足跡を巡遊。美濃派を開いた。

 元禄8年(1695年)7月15日、『笈日記』自序。

 元禄12年(1699年)、『西華集』

 宝永5年(1708年)7月より9月13日まで直江津および高田に滞在。

 宝永7年(1710年)3月17日、京都東山の西行庵に「かな書の碑」建立。

 享保15年(1730年)8月、『三日月日記』自序。

享保16年(1731年)2月7日、没。

 元文2年(1737年)10月12日、支考七回忌法要追善で秋田市の不動院に師資塔を建立。



 寛保3年(1743年)2月7日、芭蕉五十回忌、支考十三回忌追善で雲裡房は仙台市の榴岡天満宮芭蕉の句碑を建立。



芭蕉の句と並んで、各務支考の句が刻まれている。

芭蕉翁
   あかあかと日はつれなくも秋の風

蓮二翁
   十三夜の月見やそらにかへり花

 明和5年(1768年)4月12日、盛岡市の天満宮に芭蕉塚を建立。

芭蕉塚


左右に東花坊と幾暁庵の句が刻まれている。

右 梅花開一重に彌陀の彼岸哉
   東花坊

左 居らんとして烏の行衞かな
   幾暁庵

東花坊は各務支考。幾暁庵雲蝶は各務支考の門人。

 安永6年(1777年)10月12日、雲裡坊七回忌で五老峯故貝は笠森観音に支考の句碑を建立。

獅子庵蓮二翁


すへられて尻の落着く瓢かな

 山梨県上野原市の諏訪神社ある芭蕉の句碑には芭蕉の句と並んで、東花坊の句が刻まれている。


稲妻に悟らぬ人のとふとさよ
   はせを

虻の目の何か悟りて早がてん
   東花坊

 山梨県上野原市の長峰砦跡にある芭蕉の句碑には芭蕉の句と並んで、連二房の句が刻まれている。


古池や蛙飛こむ水の音
   はせを

あかりてはさかりて明けては夕雲雀
   連二房

支考は石川県加賀市の全昌寺の柳に寄せて句を詠んでいる。

青柳若葉や秋をまのあたり

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