一茶の句文集



『志多良』

文化10年(1813年)の発句・連句・随筆文などを書き記したもの。

人並の正月もせぬしだら哉   一茶

 文化五年祖母三十三回忌墓参りの時になんありける。弟かたより古衾おこしたりけるに、しばらくして又武さし野にさすらへけり。其迹にて其衾いたく垢つきたれば、二倉なるゆかりの所にて洗ひ得させんとて、ばらばらにほどきけるに、こはいかに、中に入たるは綿にはあらで、襁褓(むつき)の果、あるは古雑巾などの荒布(あらめ)のやうに黒くしぼしたるものにぞありける。

文化5年(1808年)7月9日、祖母三十三回忌取越し法要を営む。

「仁倉」に一茶の母の家があった。

 かくては縫ひたらんとも暖きたしにはならじと、其まゝ箱におし込置たりけるを、ことし霜月廿四父十三回忌といふに、はるばる古郷に来たりけるに、仁倉の人、しかじかのもの也とてかたられき(し)を、よくよく見れば、いかにも申さるゝ通り、都の乞食衆は爪はじきして嫌ふべき品也けり。

文化9年(1812年)11月14日、一茶は江戸を引き上げ、24日、柏原に入る。

   廿四 晴 柏原ニ入

『七番日記』(文化9年11月)

 今も又あやにくに玄冬素雪の折から来合せ、しかのみならずしかとしたるやどりといふもあらねば、必しもかゝる太雪(みゆき)に埋れ果なん。 されど鉄臼が霊となりて鉄杵をとり殺さんも今さら古めかしく、とやせんかくやせんとさまよひけるを、情ある里人、家の小隅かしてとらせんとあるに、地獄にて仏見たらんやうにうれしく、師走の廿四といふにそこにうつりて、可候よりめぐみたる鳥の毛蒲団をかぶつて大寒を凌ぎ、春甫に貰(もらう)たる紙張を引張て裂(烈)風を防ぎつゝ、人々のかげにて漸(やうやう)酉の春にはなしぬ。

人並の正月もせぬしだら哉   一茶

可候は毛野の門人、滝沢可候。春甫は長沼の門人、村松春甫。

   廿四 晴 借家入

『七番日記』(文化9年12月)

   板橋

かしましや江戸見た雁の帰り様

浅草の不二を踏へてなく蛙

大凧や上げ捨てある亦打山

木母寺の花を敷寝の蛙哉

   題 吉原

目の毒としらぬうちこそ桜哉


  翠兄 改
古雛に胡粉の過し余寒哉
   道隣

文化10年(1813年)10月27日、道隣没。享年60。

志だら 二

   おく信濃に浴(ゆあみ)して

下々も下々下々の下国の涼しさよ

   二月出 同日来


正月が来た上にまた梅の花
   一瓢

   三月五日出 同日来


わか芝に今降をさへ残る雪
   久藏

久藏は井筒屋の番頭。

蝉鳴や空にひつゝく筑摩川

蝉鳴や空にひつゝく最上川

『七番日記』(文化10年6月)

志だら 三

しなのにて不二を見にけりけさの秋
   葛三

立待や空を見くだすしなの山
   対竹

蓬から虹のまたがる夏野哉
   下フサ素迪

螢見やりつ合わろき夜の笠
   雨塘

けさの雪竹の臥所も見廻たし
   古人柳荘

 げにげに此書に明かせる通りなりし物を、前にかゝる事夢にもしらば、はからふべき術あるべかりしを、医師(くすし)ならぬ身のつたなさは、たゞそれなりにうち捨おける物から、病は思ひのまゝにはびこりて、つひに癰にせいせられて、長[の]月日をくるしみにおくりぬ。

名月や寝ながらお(を)がむ体たらく

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