小林一茶ゆかりの地

千住宿
旧日光街道を歩くと、千住本町公園がある。
千住本町公園

千住宿 高札場 由来
私たちの街千住が宿場となって栄えたのは、慶長2年(1597年)人馬引継駅として以来のことだといわれています。
江戸時代の足立は、千住宿を中心に始まったといっても過言ではありません。
特に寛永2年(1625年)東照宮建立によって、日光道中初宿として、また江戸4宿の1つとして繁栄し、約400年を経て今日に至っております。
このような高札場は、明治の初期まで宿場の掟(きまり)などを掲示して、人々に周知してもらうため、千住宿の入口・出口の所に設置されていました。
千住の街並み景観を考える会
千住関屋には建部巣兆がいた。
文化5年(1809年)6月14日、小林一茶は流山に行く途中で建部巣兆を訪れ、昼食。
十四日、晴 熱田明神の祭有、千住秋香庵中飯。小菅村水戸橋ふしん、舟渡し。新宿より高須村といふ所に堤有、去卯六月三日洪水に破れて、新堤によし簀引はりて餅など売有。足を休。
六月や草も時めくわらじ(ぢ)茶屋
泣堀通流山ニ入
『文化五年六月句日記』
文化6年(1809年)正月23日、一茶は千住に行く。
文化8年(1811年)11月28日、一茶は建部巣兆を訪ねて千住を訪れている。
廿八 晴 卯中刻千住行 房州ヨリ画タノミ来ル故也
『七番日記』(文化8年11月)
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