『成美家集』

文化13年(1816年)板。亀田長梓序。諫圃・子強校合。久藏補訂。
亀田長梓は儒学者亀田綾瀬。亀田鵬斎の子。諫圃は成美息。久藏は井筒屋の番頭。
成美家集上之巻
春
はる雨や窓はいくらもほしきもの
墨水晩望
人うつす水のこころもはるなるか
乙二坊に對す
春風のあとさきもみな咄かな
冥々が七十の賀
いつまでもかくてませませはな千句
六になりける娘の、そのかの母と手たづさへて菫ほりつばなぬきてあそぶに、あるやんごとなき方の花見し玉ふとて、上揩スちの立ありきつゝ、「あこよ、名はなにと。としは」ととひたまふに、ふしめになりて、「名は糸とまうす。年はこれ」とて、ゆびひろげたるに、みなあいきやうありとてわらひ給ひぬ。たかき人に名をきこへ(え)あげしを、かれが一世のめいぼくにして、そのみな月なくなり侍しが、ことしかの花の陰もなつかしく、ひとりすみだ川に杖ひきて花見ありくに、さらにこゝろもなぐさまず。
古墳の柳のみ風にうごきて、したふがごとくうらむが如し。
あるやんごとなき人の、「杖つくやうやしりてある」との玉ふに、「なにともおぼえ侍らず」と答申せしに、「杖をいさゝかもたのむ心なくつくべし」と仰られし。此ことわり何事にもかよひてたふとくおぼえし。われ脚病、脛よわければ、はつ老のけふより杖をもちふるに、かの御ものがたりはおもひ出ながら、かくぞ申侍る。
哭二浙江一
膝をかさね頤(おとがい)をもたせて俳句に交りし事二十余年なりし閑齋が閑も、いまはまことの閑になりて、ながく作意を聞事なし。
はる雨やそこにより居しはしらあり
夏ぢかの誰も柱によりやすし
巣兆が千住の茅舎にひと夜とまりて
ゆくはるやおく街道を窗のまへ
夏
蝶夢法師の旅寓をたづねし日、月川上人・重厚法師などもろともに、「いざ給へ。すみだ川の若葉のけしき見せ申さん」と、かしこより小舟にのりて
ほとゝぎすひとこゑさそへみやこ鳥
きのふ見し旅人もどるさつき雨
秋田の無事菴、わが草堂にあそぶこと十日あまり。あるあさみづから本鳥おし切てすみだ川の流にながし捨ぬ。その胸中ちりばかりの念慮なきを、みな人うらやむ。従来の無事、またいよいよ無事ならんとたはぶれて
いつのむかしならん、柴扉に杖をむかへて『鶴柴』の三吟ありしも、たゞめのまへのやうなり。
南部の一草、はじめて京へゆく。「しれる人のもとへ状書てそへよ」といふにしたゝめつかはすとて
曲直老人、七十初度の賀にあはせてあらたに家つくられしを
なつ桃に老せぬ門とたづねけり
題西行
このおくにしる人あれな山清水
成美家集下之巻
秋
脚病一歩をすゝめず
名月を追ふ(う)てひけひけ庭むしろ
名月やことばつゝしむ夜の人
名月やわするゝころを風のふく
浙江、潮かれ尽てより、春秋行かふこと既に七度、ひさしく波浪の清音をきかず。俗耳を洗ふによしなし。
白雄居士が一周忌に、人々あつまりて追善のはいかいしける日、懐旧のこゝろを
尾花みだれてむなしくまねかず、桐おとろへて葉のおつることはやし。臨海主人には、かの病に物故のよしをきく。時しもあれとおどろかれて
後の月あれよとおもふ人はなし
右、哭春蟻
冬
浙江二七日に
人をとふ我も冬野のきりぎりす
哭二巣兆一
三十余年の旧交、たゞ一時のあだことゝなりてながき恨をいだく。書畫の雅名も今朝一片のけぶりとともにあとかたなし。
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