『つげ義春の温泉』〜颯爽旅日記・抄〜

昭和42年10月、つげ義春は颯爽と旅に出たようだ。旅の初めは蒸(ふけ)ノ湯温泉。

日本秘湯を守る会の「ふけの湯」
日本の秘湯を守る会の「ふけの湯」

 オンドル小屋でムシロを敷いて毛布にくるまっている細々とした老人を見ると、人生のどんづまりを見る思いだ。

初出「つげ義春とぼく」

 湯治棟は13棟あり1,000人もの湯治客がいたため別名「ふけの湯村」とも呼ばれるほどの賑わいをみせていたそうだ。現在は旅館部のみの営業。「オンドル小屋」など今は無い。

風呂は90度くらいある。白く濁って硫黄の臭いがする。

「ふけの湯」の内風呂
「ふけの湯」の内風呂

確かに白濁している。泉質は単純酸性泉。

10月27日。

御生掛(ごしょがけ)温泉を見物。

「八幡平御生掛温泉」旅館部
「八幡平御生掛温泉」旅館部

10月28日。

 大曲(おおまがり)で乗換え湯沢で下車。バスで小安(おやす)温泉に行く。太郎兵衛に泊る。

 小安峡温泉は皆瀬村にある。私は小安温泉のお風呂に入ったことはないが、皆瀬村観光物産館で栗駒高原牛乳を飲んだことがある。

10月29日。

 不動大滝も写真で見るより迫力がある。落差30米はあるだろう。大噴湯近くの川はそのまま露天風呂になるほどの高温だ。

泥湯温泉へ歩いて行く計画が、台風が近づいていて駄目になった。

昭和51年9月つげ義春は改めて泥湯温泉へ行く。

10月30日。

 会津若松から滝ノ原線(現会津線)の湯野上温泉に行く。期待はずれ。駅の近くの塔泉閣に泊る。

「塔泉閣」は今でも健在。

 湯野上温泉では「さる湯」が明治23年(1890年)創業の老舗旅館。つげ義春はこういう老舗旅館に泊まったりはしないようだ。「さる湯」は昭和48年12月「ホテル大坂屋」に改名。

 私は「ホテル大坂屋」で日帰り入浴を断られて、「ホテル大坂屋」の側の吊り橋から露天風呂が見える露天風呂に入ってみた。

湯野上温泉露天風呂


10月31日。

岩瀬湯本温泉……来てよかった。いままでで最高の所だ。

 岩瀬湯本温泉のお風呂には入ったことがないが、「いままでで最高の所だ。」と言うので、行ってみた

岩瀬湯本温泉「ひのき風呂の宿分家」


茅葺きである。

つげ義春が岩瀬湯本温泉を訪れたのは昭和42年10月31日。当時は茅葺きばかりであったようだ。

 コケむしたわら葺き屋根が隣家にくっつきそうに幾棟もひしめき合い、まるで家と家とが額を寄せ合い、ボソボソと陰鬱な話をしているようだ。

 つげ義春は「わら葺き」と書いているが、「茅葺き」が正しいのだと思う。つげ義春はそんな細かいことに拘らない。

11月1日。

 湯本から歩いて二岐温泉へ登る。渓谷に面して5軒の宿があり、いずれも自炊可。カメラをこわしてしまった。湯ノ小屋旅館が最も貧しそうなので泊る。

つげ義春は「最も貧しそうな」宿を選んで泊まった

漫画「二岐渓谷」(初出昭和43年2月「ガロ」)では「2食で600円」とある。

現在二岐温泉に7軒の宿がある。「湯小屋旅館」の宿泊料金は1泊2食付きで8,500円らしい。

私は最も高そうな宿のお風呂に入った。

二岐温泉「大丸あすなろ荘」


宿泊料金は18,000〜25,000円。

11月2日。

会津田島と白河をむすぶ長距離バスは二岐で小休止する。それに乗り白河へ向う。

 羽鳥湖を過ぎ峠の赤松の植林で小休止。運転手は「小便でもすべえ」と言って、車掌とともに、バケツを下げ松茸をとりに行ってしまった。

のどかな時代であった。

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