東海道酒匂川の渡し

小田原市酒匂の酒匂橋の袂に「酒匂川の渡し」の碑があった。


酒匂川は、古くは「まりこ川」といった。

 文明18年(1486年)、道興准后は「まりこ川」で歌を詠んでいる。

まりこ川にて、俳諧、

   鈴かけのくゝりを上けてまりこ川おひ綱かいつけふは暮さむ


 元文2年(1737年)5月20日、佐久間柳居白井鳥酔、鈴木戸凉を伴って江戸を立ち、箱根に向かう。

   酒匂を日暮てわたるに、
   川番所のともし火照あふ。

行燈を余所目に川は螢かな
   西奴


酒匂川の渡し


酒匂川の渡しは、東海道五十三次道中の難所の一つで、古くは船渡しが行われていたが、延宝2年(1674年)船渡しが禁止されて、徒渡(かちわたり)制が施行され 、冬の時期を冬川と言い仮橋を架けて往来したが、夏の時期は夏川と称し橋を架けないので必ず手引・肩車・輦台(れんだい)など有料で川越人足などの力を借りて渡らなければならなかった。この制度は明治4年(1871年)に廃止された。

 嘉永4年(1851年)4月7日、吉田松陰は肩車で酒匂川を渡っている。

 一、七日 翳。卯後、小田原を發す。肩輿にて酒匂川を渡り、大磯・平塚を經てて、舟にて馬入川を渡る。


東海道五拾三次之内・小田原「酒匂川」(安藤広重)


「酒匂のかは」は『東海道中膝栗毛』にも出ている。

打わらひつゝあゆむともなしいつの間にか曾我の中むら小八わた八まんの宮を打すぎ、さかわ川にさしかゝりければ

   われわれはふたり川越ふたりにて酒匂のかはに〆てよふたり

此川をこへゆけば小田原宿のやど引はやくも道に待ちうけて、

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