『奥の細道』

〜日和山公園〜

本間美術館から日和山公園へ。


 酒田の日和山公園に芭蕉の句碑や牧水の歌碑を始め、数多くの句碑や歌碑がある。

芭蕉像もあった。


平成元年9月、酒田ロータリークラブ創立30周年記念事業として建立。

平成元年(1988年)は松尾芭蕉奥の細道紀行300年。

芭蕉の句碑


温海山や吹浦かけてゆふ涼み

元禄2年(1689年)奥の細道の途次、伊東不玉宅でよまれた句。

   出羽酒田の湊、伊東不玉亭にて

あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
   ばせを

 海松(みる)かる礒に畳む帆莚
   不玉


『泊船集』には「洲庵不玉亭」と前書きがある。

伊東不玉は酒田の医師伊東玄順。不玉は俳号。

『俳諧一葉集』には「袖の浦の眺望」と前書きがある。

「袖の浦」は最上川河口左岸(酒田市宮野浦近辺)で、歌枕。

君恋ふる涙のかかる袖の浦はいはほなりとも朽ちぞしぬべき

『拾遺和歌集』(よみ人知らず)

 宝暦2年(1752年)、和知風光は袖の浦で句を詠んでいる。

   袖の浦

振向けは秋風からし袖の浦

『宗祇戻』(風光撰)

 天明8年(1788年)、酒田の俳人柳下舎寸昌が須磨明石の俳人武然の書で設立。

酒田市中町1丁目に不玉宅跡がある。


不玉宅跡


 元禄2年(1689年)6月10日、芭蕉は羽黒山南谷別院を立ち、鶴岡の長山重行宅に3泊、13日酒田に到着して伊東玄順亭に2泊する。

 羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、俳諧一巻有。左吉も共に送りぬ。川舟に乗て、酒田の湊に下る。淵庵不玉と云医師の許を宿とす。

淵庵不玉は酒田の医師伊東玄順。俳号が不玉、医号は淵庵。

もう1つ芭蕉の句碑があった。


暑き日を海にいれたり最上川

 昭和54年酒田ロータリークラブが建立。元禄2年(1689年)奥の細道の途次、酒田滞在中によまれた句。書は素竜本からとって刻まれた。

『俳諧一葉集』には「寺島彦介亭」と前書きがある。

『継尾集』『泊船集』には「涼しさや」とある。

 芭蕉は不玉の家にばかりおったのでなくて、通称彦助という者の宿にも滞留した。寺町のさる家であったとばかりで、これも訊ぬべき資料はないそうなが、「暑き日を海に入れたり最上川」は彦助方の作である。句集に寺島彦介亭という前書がある。


酒田市中町1丁目に安種亭令道寺島彦助宅跡がある。


安種亭令道寺島彦助宅跡


   六月十五日、寺島彦介亭にて

涼しさや海に入(いれ)たる最上川
   ばせを

 月をゆりなす浪のうき海松(みる)
   令道


『曽良随行日記』には「十四日 寺島彦助亭へ 被招。俳有。」とある。

 元禄9年(1696年)、天野桃隣は象潟から坂田へ戻る。

 此所より右の道筋を坂田へ戻る。尤此所より津軽・南部・越後筋へ順よし。


 元禄10年(1697年)、惟然は玉江を訪れ、句を詠んでいる。

   酒田夜泊

出てみれば雲まで月のけはしさよ

『泊船集』(巻之六)

 延享4年(1747年)7月6日、横田柳几は陸奥行脚で象潟から酒田へ戻る。

蚶潟より又酒田へ取て返しけれは例の人々待うけもてはやされかの青楼の風流なと見物させられ文月六日袖か浦の名残を引わかるゝとき

蚶潟や唐絵の中を秋の雲
   柳几

常世田長翠の句碑があった。


人の柳うらやましくもなりにけり

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