大島蓼太
『芭蕉庵再興集』

明和8年(1771年)、大島蓼太は芭蕉百回忌取越し追善のため、深川要津寺に芭蕉庵を再興。その記念集である。
それよりこの道にふけり翁の徳行を志たへは其遺跡の絶たるをうらみかの舊庵に程近き要津禪林に七十年の冬百回忌を招いて塚を築木像を彫刻して位牌堂に納年々の十月十二日は俤をしたはすといふ事なしさるを明和八年のことしや時至て江都の人々を始社中力をあわせ彼寺の門前引入たる所に再はせを庵を結あたりにくほかなるところをうかち忘水のわすれぬ古池の吟をうつす又砌に一宇をいとなみ觀世音と木像を安置す
芭蕉の句碑

| | ふる池や
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| 碑面 | 蛙飛こむ
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| | 水の音
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| | 雪はふる池に和して水音をつたへ
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| 碑陰 | 月の一燈花の清香もをのつからな
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| | る此翁の徳行をあふくのみ
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| | 夜雪庵
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| 白妙の雪より出たり後夜の月 | 普成
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| | 雪杉樓
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| 夕汐やのほれは月のみやこ鳥 | 龜求
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| | 玉雪齋
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| うつろはしうつろはしとてちる花歟 | 子交
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| 深川親和七十三歳書
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懐舊之俳諧
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| 取こして牡丹を蓮のうてなかな | 蓼太
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| 非時も新茶の香ににほふ時 | 楚水
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| 先ひとへ傳授に箱の紐ときて | 班象
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百韻余畧之
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| 江戸七芭蕉 | 兩國橋より順禮道筋
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| 深川六間堀
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| 俤塚 | 禪宗 東光山要津寺
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雪中三代蓼太造立
寳暦十三年十月十二日七十年に相當翁の自畫を埋塚を築てもつて名つく三萬句を興行し百回の法會を執行俤塚集に委
| 深川森下町
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| 時雨塚 | 禪宗 蟠龍山長慶寺
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世にふるはさらに宗祇のやとりかなこの一葉を埋て元禄七戌年古杉風築傍に其角嵐雪の碑あり寛保三亥年五十回忌之節眠柳居子再興同光忌にくはし
| 本所猿江
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| 塚并千那 | 天台宗 醫王山泉養寺
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| 本所押上村
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| 浄土宗 長行山大雲寺
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旅に病て夢は枯野をかけ廻る此句を埋寛保三亥十月五十回に古祇徳築其後寳暦五亥十月松村桃鏡立
| 本所原庭
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| 小堂 | 禪宗 白牛山東盛寺
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寛保三五十回之節夢中庵破笠彫刻の肖像を安置夕可庵馬光造立芭蕉林に委
| 本所牛御前近所
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| 雪見塚 | 天台宗 寳壽山長命寺
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いささらは雪見にころふ所まて此句を刻て名とす寳暦三酉十月古祇徳門人祇庸造立松村桃鏡補之
| 牛込關口氷川明神近所
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| 五月雨塚 | 禪宗 龍 隱 庵
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さみたれにかくれぬものや瀬田の橋此句を埋て名とす寛延三八月夕可庵門人露什芬路造立
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