上州の俳人

富処西馬


 本名は富処弘門。通称豊治郎。初号樗道。別号惺庵。高崎嘉多町の志倉家の養子となる。児玉の春秋庵久米逸淵の高弟。

 文化5年(1808年)、高崎田町に生まれる。

 天保4年(1833年)、西馬と号す。

 天保9年(1838年)、逸淵に文台を譲られ、惺庵と号す。

   門人西馬の文台披露に

梅老て柳にゆずる垣根かな   逸淵

 天保12年(1841年)の暮、榎戸村の玉芝亭を訪ねる。

吹上の水辺公園に西馬の句碑がある。



いふ事もせまるばかりぞ年の暮

 天保13年(1842年)3月、清水寺に芭蕉の句碑を建立。



観音の甍みやりつはなの雲

 弘化元年(1844年)、奥州行脚に旅立つ。

奥州行脚の首途に望んで前途三千里の思ひ今更に覚て

笠の蝿さすかに憎うなかりけり

 弘化3年(1846年)、江戸新橋宗十郎町に惺庵を構え、惺庵西馬と称した。

 嘉永5年(1852年)、『おらが春』刊。惺庵西馬跋。

 安政2年(1855年)、西馬が行司役で「発句大会番付表」を作る。

安政5年(1858年)8月15日、没。51歳。

前橋市の宝禅寺に西馬の句碑がある。



実をむすぶおもひやけふのかれ尾花

門下に春秋庵三森幹雄がいる。

 松島の瑞巌寺にある「芭蕉翁奧の細道松島の文」の碑に西馬の句が刻まれている。



松島に明ころの□はなれけり

新町宿北口の俳人久保一静は西馬の門下。

安政2年(1855年)6月、一静は弁財天に芭蕉の句碑を建立。



むすふより早齒にひゝく泉かな

西馬の句

福引にしてとらせけり京ミやげ


   隅田漫興

夜のはるのさかりになりぬ朧月


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