大島蓼太

『蓼太句集』(安永版)


明和6年(1769年)初編刊行。吐月編。月巣跋。

安永6年(1777年)再刊。南畝の序がある。

飯島吐月は上総の人。

安永9年(1780年)9月4日、54歳で没。

山村月巣は出羽寒河江の人。

天明5年(1785年)1月5日、56歳で没。

蓼太句集 春の部

三弦も接穂時なりむめの花

   臥龍梅

道々も此木這てやむめのはな

   行 旅

馬借てかはるがはるにかすみけり

   大 礒

祐成が惜みし春の夜明かな

   東叡山

雲雪や世に手をられて花切手

  櫻

世の中は三日見ぬ間に櫻かな

   鹿 島にて

人の代に成て見上るつゝじかな

蓼太句集 夏の部

   箱 根

雲踏で聞日も遠しほとゝぎす

鳥遠うして高欄に牡丹哉

明和九年四月廿五日、深川はせを庵再興成就の日、吏登翁十七回忌をまねきこして

取こして牡丹を蓮のうてなかな

   大 礒にて

(すし)に肌ふれぬもうれし虎が石

   黒 塚

桑子さへ齒音おそろし木下闇

   身 延

此山の茂や妙の一字より

   白骨観

夏痩のわがほねさぐる寐覚かな

   花かつみを尋て

里人はわすれ草とも花かつみ

   忍摺の石を尋て

見てのみやいざ帷子にしのぶずり

  五月雨

五月雨やある夜ひそかに松の月

   白河関

片袖は秋の風なり夏ごろも

   遊行柳

ひとすくひ腸洗ふ清水かな

   悼吏登翁

六月を經帷子に名殘かな

   一周忌 畫像前

秋またぬ人のもぬけを泣日かな

   三廻忌

似た人もなき六月の紙子哉

   ふたゝび武隈の松にいたりて

我老も松のおもはむ下すゞみ

蓼太句集 秋の部

  秋 草

姨捨によろぼひたりて女郎花

   真間寺にて

真間の井や道を千尋にしのぶ草

   松嶋にて

朝霧や跡より戀の千松しま

   眠我と墨水に遊て

木母寺を力なりけり秋のくれ

   高舘毛越寺懐古

礎をかぞへあまして秋の暮

   深川舟逍遥

河上と此河下や月の友とはせを翁の申されし松もたゞ一本残れり。

十人の月見の友や松ひとり

   鹿 嶋

筥船を神代の宿に月見かな

名月や生れかはらば峯の松

   眠江亭

相撲とるおとこいくたり庭の秋

蓼太句集 冬の部

  時 雨

植ながら松にしのぐや初しぐれ

   芭蕉忌

百回忌を七十年の今日にまねきこして深川要津寺に俤塚建立の折から、西上人の花の陰にて我死んと詠ぜられしを思ひ出て

我ねがふ小春の望や十二日

  雪

ともしびを見れば風あり夜の雪

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