『旅客集』(蚶満寺所蔵)


象潟を訪れた文人墨客が詠んだ作品を俳人自ら書きしるしたもの。

象潟


伊(第1冊)

   象潟

きさかたの雨や西施がねぶの花

夕方雨やみて処の何がし舟にて江の中を案内せらるゝ

ゆふ晴や桜に凉む波の華

腰長の汐といふ処は、いと浅くて、鶴おり立てあさるを

腰長や鶴脛ぬれて海凉し

武陵芭蕉翁桃青

ことし壬戌の夏、きさかたに舟をうかべて、爰かしこ漕ぎわたれば、たゞ画中を行めぐる心地す。むかし古僧都の入道の、仮住居ありし跡なんどを見て、しきりに其[の]閑寂の羨ましければ、

蚶潟に我巣も作れ友ちどり
   武陵秋瓜

呂(第2冊)

   眺望

象潟や唐をうしろに夏構
   江戸太白堂
桃隣

暑き日は鳥海山の雪見かな
<


誰籠る能因島に夏百日



象潟芭蕉翁有合歓花句仍次末字

 水清浅照沙   象潟書横斜

 樹半含秋怨   感情二月花

   蚶満寺島は一瓶の花形に似たり

胴じめに秋の花それ蚶満寺

腰たけや初汐こしの蜆取
 武陵
青流洞
祇空

象潟の茂り西行笠を捨たりけり
 いせ射和
仙台
三千風

きさかたや千鳥とならぶ鳥[の]海
   
酒田
不玉

明月や青み過たるうづみ色
   
大津
惟然

象潟や一葉にこゝろ漕あるき
 武州
鴻巣駅
柳几

波(第3冊)

象潟の月にしのぶの紅葉かな
 
秋田
梅洗

   詞

か様に出たる者は、近比上手の俳諧師にて候。我におとらぬ子も持、それに勝たる弟子もあまた有りと、誹太郎集の自序せし、東武木者庵湖十は、芭蕉本家にして、翁三代の大宗匠なりき。後浅草ふじのうら竹門に隠て、老鼠肝と呼。其門に遊ぶ者は、白川の関の閑人夕顔庵風光宗匠。蕉門の大道を極、誹諧に何不足なく、奥羽松前迄笠を吹晒して、今汐越しに及、中田氏に三宿して、旅客集を見るに、書つまりて、一句を備べき所もなし。仍[て]我が伝書の蓋紙をはづして一冊を拵、後人のためにもと続せしむる者也。

蕉門正系翁四世宗匠

巽々坊風光居士

宝暦二壬申長月仲五日

   江四章

松嶋は笑ふがごとく、象潟は眠るがごとしと、開山我が翁の文骨也。けふしも中田氏の催しによって、今此江にのぞみ、船をうかべて黙然(ママ)とし、東西南北を見るに、いづれか風光のさはがしき所もなく、只閑なる事感る(ママ)に絶(ママ)たり

象潟やいよいよの秋の柳にて

夕顔庵風光宗匠

   汐こし

汐越の古詠あまたあれど、西行上人の蜑の釣舟に秀るはなし

汐越は西行殿を種瓢

   腰長

網打やこしたけ濡て秋寒し

   西行桜

鳥海とさくらも底のもみぢ哉

      壬申菊月十四日

仁(第4冊)

象潟はうらむに似たりと祖翁の妙詞に、此江の風情は尽たりといふべし。されどたまたま爰に眺望して、其句のなからんは、いと本意なき業なめりと、只空吟、折にふれたるかたちのみを題して

象潟や墨絵の中に花一本
   梨一

保(第5冊)

   明和改元秋九月廿五日到象潟

小鰒よる浪ふところや五湖の秋   武凌隠士
雁宕



登(第7冊)

見かへる磯わづかに隔てゝ、長鯨沫を噴といへども、いたぶる浪のとゞかざる、象潟の閑なるを感じつゝ、桜がもとに春を想し、合歓の木かげに其実を結ぶ。祖翁の顰を傚ふに似たり。これから秋の日やゝ斜に、風景猶一瞬に転じて、仰しつ府しつ、なごりあるゆふべとはなりにたり

高波や象潟は虫の藻にすだく
   東武
しら尾坊

   安永二年秋九月四日

象潟やしほ曇れどもゆふ紅葉
   武陵
烏光

きさかたの岩ね岩ねや秋静
   勢南
斗墨



日も西海にかたぶき、夜ごろ旅宿をもとめて、先は一見せばやと、小舟にさほさして、はるか湖中に沈みぬれば、目のあたりなりけらし

象潟や嶋がくれ行く刈穂船

     寛政元酉ノ八月九日    右 東都 菊明


同十日、曙を見奉らんと、かの西行桜の下に屈めば、朝凪しずかにして羽二重を晒せるがごとし。藻住む虫の夜を惜しみて、水底に声立る風姿、淋しみを止まりにたれば

象潟や朝日ながらの秋の暮れ      仝

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