一茶の交友
〜立花呂芳〜

経善寺の住職。
長野市役所長沼支所の前に春甫と呂芳の句碑がある。
春甫と呂芳の句碑

鶉鳴くや山一つくれふたつ暮
| 春甫
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陽炎やくたびれ顔の古仏
| 呂芳
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立花呂芳(不明〜1830)
穂保、経善寺の住職。その父其一完芳、呂芳の子の宋も三代にわたって一茶に師事。一茶は寝慣れた寺で我が家のようだ、と言った。
一茶との交流も多く、七番日記に記載あり。
陽炎やくたびれ顔の古仏
春甫は一茶の門人第一号。
文化6年(1809年)4月16日、一茶は長沼に入る。経善寺の住職呂芳は湯治に出掛けて留守だったようで、春甫と善光寺に入る。
十六[日] 晴 長沼ニ入 呂芳湯治 春甫として善光寺圭好ニ入
『文化六年句日記』
文化7年(1810年)5月15日、一茶は郷里に向かう途中で長沼の経善寺に宿る。
翌16日、一茶は浅野の正見寺に泊まる。
十五 晴 ふのゝ渡りをわたりて漸七里、長沼呂芳にやどる。此寺はよりより寝馴れし寺なれば、来し方の咄などに心伸して、我家のやうにはらばふ。
唐がらし詠(ながめ)られけり門清水
『七番日記』(文化7年5月)
文化10年(1813年)10月12日、経善寺で芭蕉会があった。
十二 晴 長沼ニ入 経善寺有芭蕉会
『七番日記』(文化10年10月)
何がしの寺に芭蕉会あり。門には蓑と笠とをかけたり。しかるにけふは又ことさらに晴れたれば、さるもの、蓑に打水して其のぬれたるさまを見せたるも、かの翁の昔しのぶにはおもしろき企にこそあれ、一念の信、俳諧に遊ぶともがらにはかゝるわざくれの事も好しからず。此の身このままの自然に遊ぶこそ尊かるべけれ。
『志多良別稿』
文化11年(1814年)4月25日、一茶は長沼に入り、門人と半歌仙を巻く。
廿五日 晴 長沼上ミ町ニ入
『七番日記』(文化11年4月)
卯月廿五日発足の折から
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江戸へいざ江戸へいざとやほとゝぎす
| 一茶
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右(みぎり)は早苗ひだり卯のはな
| 春甫
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市小屋に有明月の筋かひて
| 呂芳
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茶呑に来よと笛をふく秋
| 魚淵
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文政5年(1822年)閏正月11日、一茶は柏原を立って、牟礼、豊野、長沼まで駕籠にて門人宅を転々、17日には善光寺の門人上原文路宅に入り滞在。22日、長沼上丁に戻る。23日、完芳会。
上丁ニ入
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完芳会
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羽織きた女も出たり梅の花
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鶯のたかぶり顔はせざりけり
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某の隠居行すまして、ぬきば(軒端)にはかの後世をたのむ梅ていふものを植ゑ、又泉石をしつらへ、日々いくたびとなく掃ききよめて、一片のおち葉、一抹のちりにも心をいため、家人さへ近けざりけり。
『まん六の春』
「某の隠居」は経善寺の住職呂芳の父完芳。
明治初年、経善寺は廃寺となったそうだ。
完芳の句
笳(あしぶえ)に人をあつむる新茶かな
山焼くやひそかに見ゆる大桜
あさぢふや菫じめりのうす草履
呂芳の句
庵前即興
夕鴫の二たび戻ル庵りかな
初空や門に橋あり柳あり
親猫の痩て来にけり芥子の花
夕ぐれの一際立ぬくさのはな
寝《よ》(によ)とすれば拍子の揃ふ砧かな
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